海上の歌姫
「アスカ、気をつけろ……」
「リ、リックさん!?」
リックさんもジャネットさんのように気を失ってしまった。一体何が起こってるの?
「貴方は私の歌声を聞いても何ともないのね」
「えっ⁉ どこから声が……」
ハスキーボイスがどこかから響いてくる。しかし、甲板に起きている人はもういなかった。
「こっちよ。船の下」
「船の下?」
言われるがまま私は甲板の縁から身を乗り出してみる。するとそこには人らしき人がいた。
「人間?」
「あら、私がそう見えるの?」
私の問いかけに意外そうな返答をしてきたお姉さん。よく見てみるとなんだか人とは違うような……。
「えっ!? 下半身が魚に見える。ひょっとしてセイレーン?」
「人間は私たちをそう言うわね。それにしても貴方凄いわね。セイレーンの歌声を聞いて何の影響も受けないなんて」
「歌声? それじゃあ、ジャネットさんたちが倒れてるのって……」
私はもう一度、ジャネットさんたちを見てみる。確かに気を失っているというより寝ているようだ。良かった、これなら後遺症とかも無さそう。
「ええ。私たちは声に魔力を乗せることが得意なの。だから、普通は人間なんて簡単に寝ちゃうのよ」
「寝る? みんな倒れてるんじゃなくて寝てるんですか?」
「もちろん。私たちって歌は得意だけど戦いは苦手なの。あんまりひどいことすると、こっちの身が持たないわ」
「うう~ん、それなら眠らせなければいいんじゃ……」
「でも私たちって美人ぞろいでしょ? 人間の方が放っておかないのよ」
微笑みながらセイレーンさんは悪びれもせずそう続けた。確かに綺麗だけどやっぱり船員さんたちを寝かしておくのはなぁ。
「だけど、このままだと舵も取れませんし、海魔だっているから危ないですよ」
「大丈夫よ。事情は良く分からないけど、最近この辺りを我が物顔で動き回っている海魔たちは見かけなくなったから」
「そうなんですか。じゃあ、ちょっとは安心ですね。でも、やっぱり何が起こるか分かりませんから起こしてください」
海魔は急に海から現れるし、私の探知魔法でも感知しにくいから何とかお願いしてみる。
「しょうがないわね。代わりに私を船にあげてくれない?」
「それは構いませんけど、大丈夫ですか?」
「問題ないわ」
「分かりました。フライ!」
私は風の補助魔法をセイレーンさんに使うと甲板にゆっくりと降ろす。
「ありがと。それじゃあ、ちょっと力を使ってと」
それだけ言うとセイレーンさんの姿が水に包まれる。水が消えた後に現れたのは……。
「に、人間の姿になってる!?」
「変化の魔法ぐらい私たちには簡単な事よ」
「あの、それは良いんですけど裸ですよ?」
堂々とされているんだけど、なぜか変化の魔法を使ったセイレーンさんの姿は素っ裸だった。
「当たり前じゃない。大体、もし変化の魔法を使って服を着た姿になってごらんなさいよ。結局その服って皮膚でしょ?」
「言われてみれば……ってそんな場合じゃなかった。みんなを起こす前に服を着て下さい!」
危ない危ない。ごまかされるところだったよ。
「服なんて持ってないわよ。必要ないもの」
「うっ。確かにそうですよね。分かりました、私の服を持ってきます。ちょっときついと思いますけど我慢してくださいね!」
私は足が渦巻になるような勢いで一度部屋に戻るとマジックバッグから服を一式取り出して甲板に戻った。
「こ、これどうぞ!」
「ありがとう。気を遣わせたわね」
「い、いえ、このままの方が気を遣います」
主に船員さんたちが。セイレーンさんの身体は目のやり場に困るどころではない。さっきからちらちら目に入って来るけど、背も百七十五センチぐらいあるし、細身で出るところは出ているナイスバディなんだから。髪も目も鮮やかな蒼色で神秘的だしね。
「それでこれはどうやって着るの?」
「えっ⁉ 服着たことないんですか?」
「ないわよ。だって陸に上がることがないもの。もちろん、好奇心が強くてわざわざ人間の生活を学ぶ子もいるけどね」
「分かりました。着替えを手伝いますからいう通りにしてくださいね」
「分かったわ。お願いね」
何だかこんな美人さんの着替えを手伝うなんて貴族のメイドになった気分だ。そんなことを考えながらセイレーンさんの着替えを手伝う。
「きついというか短いわね。普通はこんなものなの?」
「うっ、すみません。私って身長低くて……」
服を着てもらったものの、どうしても身長差が大きくて丈が合わない。普段町へ行く時に来ている、ゆったりとしたフレアスカートやそれに合わせたブラウスを持って来たものの、下は膝が見えるぐらいに腕は五分ぐらいの袖の長さになってしまっている。
「まあいいわ。これで船を歩き回れるのよね?」
「い、一応。私の船じゃないので許可は出せませんけど」
「それは問題ないわ。無理でも声を使えば簡単にできるもの」
「良くないです。それよりみなさんを起こしてください」
「分かったわよ。らら~~~~♪」
セイレーンさんが再び歌声を辺りに響かせるとみんなが反応を見せる。
「うっ、さっき何か魔力が……」
「リックさん!」
「ん、アスカか。何かさっき魔力を感じたのだが」
「あっ、え~と。後で説明します。それより、みんな眠ってしまったので起きた時に慌てないよう説明して回ってもらえますか?」
「良く分からないが分かった。ジャネットは……」
「ジャネットさんはあっちです。多分もう少ししたら起きると思います」
「そうか、甲板は任せてくれ」
船員さんたちの相手をリックさんに任せて私はセイレーンさんに向き直る。
「それで、これからどうするんですか?」
「セッションしましょう。貴方が吹いていた笛の音に釣られて来たんだからやるわよね?」
セイレーンさんは笑顔で語りかけてきたけど目は笑っていなかった。これは避けることはできなさそうだ。
「構いませんけど、さっきみたいに魔力を乗せないでくださいね」
「分かったわ。それじゃあ、早速やりましょうか!」
「えっ⁉ 今すぐですか?」
「貴方だって毎日吹いているわよね?」
「あっ、一応……」
最近は船の上でできることが少ないから毎日吹いてるけど、セイレーンさんほどの情熱はないから微妙な返しになってしまった。
「それじゃあ、すぐに用意しなさい」
「分かりました。ちょっとだけ音を合わせて良いですか?」
「もちろんよ。私も中途半端なセッションはやりたくないもの」
セイレーンさんを待たせないように簡単だけど音を合わせる。普段は独奏だからあまり気にしないけど、やっぱり人と一緒にってなると緊張するしね。
「♪~~♪♪ うん、このぐらいでいいかな。セイレーンさん用意できました!」
「分かったわ。それじゃあ、私があなたに合わせるから軽く一曲流してくれない?」
「はい!」
急なこととはいえ、久し振りに人と一緒に演奏できるので実は私も楽しみだった。先に一曲流していよいよ本番だ。
「それじゃあ本番行きますね!」
「ええ」
「「♪~♪♪……」」
私が奏でる音楽に合わせてセイレーンさんが歌を歌う。魔物の歌なのでちょっと意味は分かりにくいけど、誰かを思う歌のようだ。
「なんだ? 急に体の調子が悪くなったと思ったら今度は歌か?」
「だけど、いい歌だな。笛の音はアスカ様か?」
船員さんたちも無事に起きてきたみたいだ。なんだか私たちの演奏が目覚ましになってしまっている。
「ふふふ、思った通りいい演奏になったわね。ねぇ、この船は後どのくらい航海するの?」
「う~ん、あと二週間ぐらいでしょうか?」
「それだけあればまだまだやれるわね。これからもよろしく!」
「ええっ⁉ この船に乗り込むんですか?」
思わず声を上げてしまう。でも、さすがに船に乗り込むだなんて思ってなかったからしょうがない。
「もちろんよ。私たちは歌を歌うのが好きだけど、なかなかこうやって楽器と合わせることがないからいい機会だわ。海も静かだしね」
「アスカ、大丈夫かい? ん、その女性は?」
「あっ、ジャネットさん。身体は大丈夫ですか?」
どうやら体調も戻ったようでジャネットさんがこちらに来てくれた。
「ああ、急に身体から力が抜けて大変だったけど、何とかね。アスカは?」
「私は影響を受けませんでした。どうやら魔力が高いと大丈夫だったみたいです」
「それでリックの方は影響が少なかったんだねぇ。で、その人は」
「あっ、えっと……」
なんて言えばいいんだろう? 私が考え込んでいるとセイレーンさんが口を開いた。
「私はフィレーナよ。貴方は?」
「あたしかい。あたしはジャネット。見ての通り剣士だよ」
「そうなの。それじゃあ」
それだけ言うと会話を打ち切ろうとするセイレーンさんにジャネットさんが食い下がる。
「ちょ、ちょっと待ちな。あんた船にいたかい? そんだけ美人なら見逃すはずないんだけど」
「あっ、今乗り込んだから見覚えなくて当然よ」
「ちょっと、セイレーンさん! あっ……」
「セイレーン?」
やばい、つい勢いでフィレーナさんがセイレーンだって言っちゃった。
「あっ、そういえばちゃんと名乗ってなかったわね。私はセイレーンのフィレーナよ。よろしく、アスカちゃん!」
こうしてフィレーナさんは大きい爆弾を投下したのだった。




