歴史と物語
『セリアレアの町に戻ったハーマンたちはたちまち男たちに囲まれました。それもそのはず。彼らからすれば一年近くも帰って来なかった男たちが戻ってきたのです。どうせ途中で諦めて帰るだろうと思われた彼らの荷物を見て、さらに驚きを隠せませんでした。「ハ、ハーマン。これは一体……」ハーマンに声をかけたのは以前、世話になった船の船長でした。高齢で船を降りることにした彼も少しだけ、ハーマンに協力しましたがまさかこんな結果を持って帰って来るとは思ってもみなかったのです』
「おおっ! いよいよ凱旋ですね。ここから真の航海の始まりですかね?」
「さて、それはどうでしょうか? では続けます」
ベスティアさんは意味深な言葉を紡ぐと続きを話してくれた。
『ハーマンたちの帰還の知らせが街中に知れ渡ると、彼らは英雄として称えられました。しかし、彼らは気を緩めませんでした。気持ちの良い言葉に踊らされず、自分たちが得たものを守り抜き、ハーマンはすぐに町の有力者に会いに行ったのです。「お前がハーマンか?」有力者の家に行くと、ハーマンはすぐに応接間に通されました。有力者もすでに彼らの航海の話を掴んでいたのです。「ご用件はお分かりのようですね」ハーマンの言葉に有力者は頷くと口を開きました。「君たちが発見した航路、その整備に全力で力を貸したい」』
「あっ、これは悪い人の予感」
私のアンテナがピクッと動いた気がした。横を見るとジャネットさんは懐疑的にこちらを見ている。ううん、きっとこの予感は当たっているはず。
『ハーマンにはこの町でも一、二を争う有力者から協力を得られることにひとまずは安堵しました。他にも当てはありましたが、悪い噂もあるところとは話をしたくなかったのです。「では、航路の取り分などは……」ハーマンはすぐに本題に入りました。待ちきれないということもありましたが、早く契約を結ばなければ他の勢力が強硬姿勢に出る可能性があったからです。「早速ですね。それでは貴方が四割、他の方たちで四割でいかがでしょう?」この言葉にハーマンは驚きました。残念ながら自分たちには資本がなく、五割残ればいい方だと思ったからです』
「あれ? 実はいい人だった?」
「アスカはまたすぐに人物評を覆すねぇ。もう少し聞いてから判断しな」
「そうですね。ベスティアさん、お願いします」
「かしこまりました」
『「ええ、うちは命も懸けておりませんし、その程度貰えば十分です」二人が会話をしているとドアがノックされます。「おや? 誰です?」「お父様、どなたかお客様ですか?」そこに現れたのは有力者の一人娘でした。彼女のことを彼は大層かわいがっており、こうして部屋に入ってくることもできたのです。「こちらの方は?」ハーマンも彼女の乱入には戸惑いながらも尋ねました。「ああ、申し訳ない。こちらは一人娘のレイラです。レイラ、挨拶を」「失礼しました。レイラと申します」こうして乱入者はありながらハーマンは協力を取り付けたのでした』
「こ、ここに来て強力な恋のライバル登場! ファナスさんはどうなっちゃうんでしょう」
「そんな簡単な話かねぇ。タイミングも良すぎる気がするし」
「う~ん、そう言われればそうですね。でも、家に誰か来たら気になりませんか?」
「誰か来たらって言っても、あたしの場合は村だったからね。周りはみんな知ってる顔だし、商人が来た時ぐらいかね?」
「それですよ! 商人さんが来て色々話を聞きたい感じなのかも」
うんうん、きっとそうに違いない。一人娘ってことだし、海の男の話を聞く機会は貴重なんだろう。
「では、答え合わせと行きましょうか」
ベスティアさんがそう言うと再び物語が動き出す。
『ハーマンは有力者と協力を結ぶとすぐに仲間たちに伝えました。そして、次の日には他の三人は有力者が経営する宿へ、ハーマンは有力者の邸で暮らすことになりました。「俺がこんな立派な邸で暮らしてもいいんですか?」「ええ。今私たちが一番困るのは貴方の身柄が確認できなくことですから」有力者がそう言うと隣に立っているレイラも続けます。「そうですよ。それにまた航海の続きを聞かせてくださるんでしょう?」元気いっぱいにそういうレイラにハーマンも笑顔で答えます。邸に住んでいるのでせっかくの航海で体験した冒険譚の話し相手がいないのです。そのため、ハーマンは話を真剣に聞いてくれるレイラを好ましく思うようになりました』
「あああ、やっぱり!! ほら、ジャネットさん。私の心配した通りになりましたよ!」
「はいはい。しかし、不思議なもんだねぇ。町で何不自由なく暮らしてるお嬢様とはいえ、生まれも分からないような男に入れ込むなんて」
むっ、ジャネットさんはまだロマンの素晴らしさが分かってないなぁ。そりゃあ、未知の世界の話をいっぱいしてくれる人だもん。憧れも募るよね。
「アスカ様、色々と考えられているところ申し訳ありませんが、レイラにも思惑があってのことなのです」
「へっ?」
「レイラという娘は有力者の娘だけあって、幼いころから高度な教育を受けております。つまり、ハーマンには打算的に近づいたのです」
「なっ、それじゃあ、ファナスさんが……」
セイレーンとして海の上で暮らしていた人が恋愛の駆け引きで陸のレイラさんに勝つのは非常に難しいのでは? 悪い予感を感じながら私は続きを聞いた。
『それから1か月。船の修理や新しい船団の手配を終え、再びルーシードへ行く時にはレイラとハーマンはより親密な関係になっていました。「ハーマン様、お気をつけて行ってきてくださいね」レイラの言葉にハーマンも笑顔で答えます。「ああ、もちろんだよ。すでに通ったルートだしな」こうして出発したハーマンたち。今回は途中で海魔も出たものの、船団が組織されたこともあり、問題なくルーシードへ到着しました。もちろん、その航路が安定していたのは途中の海路で合流したファナスの力がありました』
「無事に付けたのはいいけど、何だかもやっとする」
「ま、そうそううまくはいかないってことさ」
『ルーシードに着いたハーマンたちは前回と違って、大量に積んだ交易品で多くの取引を行いました。また、今回の航海に限り船団の利益の一部も懐に入ります。船上ではファナスとの逢瀬を楽しんだハーマンですが、このような機会を与えてくれたレイラの父には感謝してもしきれぬ思いでした。そして、船は再びルーシードを発ちます。ファナスとは相変わらず仲は良いですが、帰る日が近づくにつれレイラのことが頭によぎります。「また、次の航海で会おう」そういって別れたハーマンでしたが、次の航海で彼は船に乗りませんでした』
「あっ……」
「船乗りが船に乗らないなんてこりゃあ、年貢の納め時かね」
「お二人の予想通りです。ハーマンは陸に帰った後、有力者からレイラとの婚姻を勧められました。彼も憎からず思っていましたし、今回の船団の助力や利益供与の件もあります。面と向かって断ることは今後にも影響すると思ったのでしょう」
「このままファナスさんは失恋してしまうのでしょうか?」
「というか、話は終わりじゃないんだね」
「はい。ここからが肝心のところになります」
『約束をしたのにもかかわらず、ハーマンの姿が見えないと分かるととうとうファナスは陸へ上がる決心をします。右も左もわからぬまま、彼女は町へと降り立ちました。しかし、そこは人間とセイレーン。時間の感覚の違いは大きく、彼女が降り立ったのはそれから3年の月日が経った後でした。そうして何とかハーマンの居場所を掴んだファナスが見たのは仲睦まじく暮らす夫婦とその間にいる一人の赤子の姿でした』
「うわぁ」
「あらら、こりゃあもう無理だね」
私もジャネットさんも諦めムードだ。一応、一応最後の希望を込めて続きを聞いてみた。
『ファナスはハーマンのことを愛していましたが、この光景を見て諦めることにしました。しかし、そこにはひとつ大きな問題がありました。セイレーンは人の姿を取ることができますが、愛したもののために陸に上がる時、体は完全に人間へとなってしまうのです。そして、その体は恋が叶わぬ時に泡となって海へと還るのです。こうしてファナスはその身を海へと還し、泡と消えました。その姿を見ていた町の人はこれを語り継ぎ、今でもその場所はファナスの岬として後世へと伝わっているのです』
「これが、〝セイレーンの海〟の全容です。この後、話を聞いたハーマンが岬に訪れたとも言われていますが、真偽は不明です」
「うううっ、ファナスさ~ん!!」
「おお、よしよし」
こんな切ない終わり方なんて、私はジャネットさんに胸を貸してもらう。
「でも、ハーマンさんは幸せになったんですね。それならよかったです」
「……まあそうですね」
「えっ⁉」
こ、この期に及んで何かあるのだろうか?
「その後のハーマンですが、結婚後の五年後に死亡しています。レイラとの間には男女一人ずつを儲けました。このハーマンの死亡については今も憶測が飛び交っています。というのも、ハーマンは元々ただの船乗りであり、陸でのんびり報告を待つのに飽きていました。そんなハーマンは船乗りとしての性が抑えられず、同年中にレザリアース大陸への新たな航路を求めて船団を率いる予定だったのです」
「えっと、それが死因と何の関係があるんですか?」
「当時の船と今までの船団の失敗から航海には多くの困難が予想されていました。レイラや有力者側からすると、もう何もしなくても船がルーシードに行くだけでお金が手に入るのです。ここでリスクを取る必要はありません。ハーマンは英雄ですが、もはや彼が生きていることでもたらすものは不利益となったのです」
「うわっ、ドライ……」
「まあ、商人っぽくはあるかもね」
「真偽は不明ですよ、あくまで」
私はそういうベスティアさんの表情が恐らく答えなのだろうと感じ、身震いするのだった。




