帰還の航路
『こうして彼らはルーシードで最低限の交易品を買い、大量の食糧を船に積み込みました。本当は交易品をもっと買いたかったのですが、航海にかかる物品の購入に充ててしまったため、新大陸へと到達した証明となる分しか買えなかったのです。そうして、近海の地図と船乗りたちからの情報をまとめたメモを持って、アダマスへと戻る航海が始まったのです』
「ん~、交易品があまり買えなかったのは残念ですね」
「そうですね。しかし、彼らも焦っていたのです。ここまでに数か月をルーシードで過ごしており、その間にアダマスからの船が到着しては無意味とは言いませんが、商いの規模で勝てませんからね。あくまで彼らの目的は新大陸と航路の発見です」
「ま、目的と優先順位をはき違えちゃ、結局は何も手に入らないよねぇ」
「仰る通りですね」
なるほどなぁ。彼らとしても実際、積み込みたかったけどぐっと我慢したんだろうな。その時のハーマンさんたちの思いに胸をはせる。
『こうして海路を行くこと四日。ちょうどお昼になるころにハーマンが甲板で見張りをしていると、何やら声が聞こえてきました。「ららら~」「この声……ファナスか?」声をした方向へと船を向けると、海面に浮いたまま歌を歌うファナスの姿が見えたのです。「あっ、ハーマン。こちらを見つけてくれたのね。こっちから行こうと思ったのに」ファナスの言葉にハーマンは首をかしげました。いかに彼女が海を自由に泳げるといっても、この広大な海で自分たちの船を見つけられるのだろうかと疑問に思ったのです』
「うう~ん、確かにハーマンさんの疑問も当然ですよね。一体どうやって見つけるつもりだったのかな?」
私も風の魔法を応用して周囲の魔物を探知することはできる。もちろん水魔法でも同じことはできるけど、海の上だと探索範囲が段違いだ。それに、船のサイズを測るのも難しいし、同じサイズでハーマンたちの物でない船もたくさんあるだろう。
「これから語るところなのですが、セイレーンたちは歌を歌うだけではなく、その歌に魔法を乗せられると言い伝えられているのです。ファナスはハーマンたちと別れる前にその魔法を船に込め、その反応が近づくのを感じてやってきていたのですよ」
「すごいですね! 探知の範囲が相当広くないとできないですよ」
「探知の魔法というよりは魔道具に近いもののようですね。目印を付けた相手との距離によって反応に強弱がでる魔法だと伝わっております」
ん~、前世だとレーダー装置みたいな感じかな? 仮にそうだとしても有効半径はかなり広いみたいだし、どの道すごい技術だと思う。私が感心していると、ベスティアさんは話を続けてくれる。
『「この前別れる時に船に印をつけておいたのよ。その反応が近づいたからやってきたの。さすがに人が大勢いるこの場所まで普段は来ないわよ」ハーマンはその言葉に驚きながらも無事に合流できたことに安堵し、ここからアダマスへの案内を頼む。「南の大陸へ行きたいのよね。いいわよ。でも、このまま私を見ながら進むのは難しいでしょ」確かにファナスの言う通りです。今は昼だから問題ありませんが、夜ともなれば海は昏く、月明かりを頼みにファナスについて行かなければなりません。ハーマンは考え込みました』
「あれ? でも、前にルーシードへ行く時も同じ状況だったんじゃ……」
「お気づきでしたか。確かにハーマンたちがルーシードへ向かう時も同様の状況でした。しかし、あの時は新大陸へとたどり着くので精いっぱいだったので、それどころではなかったのです。今回は命がけの航海というよりは、どれだけ精緻な海図を持って帰れるかという航海ですから。それに、ファナスと出会った場所は新大陸に近く、日数も知れていました。ですが、今回は一か月近くの航海だったのです」
だったら、毎夜見張りを立てるのは難しそうだ。満月近くの日はいいだろうけど、月が隠れるようになってきたら進めないだろうし。
「何より海には海魔が出るしね」
「そうですね。ハーマンたちはここまで運よく海魔には出遭っていませんが、一か月ともなればどこかで出くわすでしょう。そうなった時、ファナスとまた会えるかは分かりません。中間地点で迷子になるのだけは避けたかったのです」
帰りの方が大変そうだ。もちろん行きは行きで未知だらけで大変だったと思うけどね。
『「何かいい方法があればいいんだが……」しかし、しばらく考えてもハーマンには何も思いつきませんでした。そこでファナスから声がかかります。「私がそっちに行こうか?」ハーマンにはありがたい申し出ですが、下半身が魚のファナスには耐えられないのではないかと思いました。ですが、いい案も思い浮かばず、一度彼女を引き上げることにしました。「よ~し、みんな上げるぞ!」他の船員も合流し、荷物搬入用の設備を使ってハーマンたちはファナスを船へと上げたのです』
「ファナスさんセイレーンなのに船の上に上がって大丈夫ですかね?」
水槽でもあれば違うんだろうけど、咄嗟に用意できないだろうし、大丈夫なんだろうか?
「ここからがこの話の面白いところですよ」
いたずらっぽくベスティアさんは笑うと続きを話してくれました。
『海へ上がったファナスをどうするかとみんなで考えていると、突然ファナスの体が光に包まれました。次の瞬間、何とファナスの体は人間の物になっていたのです。「な、変化した?」あまりのことに船員たちが驚いていると笑顔でファナスは答えます。「どう? 驚いたでしょ。魔力の強いセイレーンはこういうこともできるのよ。私は二百年は生きてるんだから当然よね!」そう自慢げに話すファナスでしたが、船員たちは顔を反らします。「あれ? みんなどうしたの?」「ファナス、服はないのか?」そう、ファナスは人間の体に変化しましたが服を着ていなかったのです』
「は、裸……エッチだ」
「まあ、変化するのに服まで付いてきたら変だよねぇ」
「落ち着いてる場合じゃないですよ、ジャネットさん! これ大変ですよ」
私はジャネットさんに抗議する。もっと慎みを持ってもらわないと!
「とはいっても、セイレーンって魔物みたいなもんだろ? そんな恥じらいとかいちいち持ってるものかねぇ」
「それを言われると……」
持って無さそうだけど、でもそういう問題じゃない。こんな破廉恥な話を子どもも聞いてるのかと思うと気になってしまうのだ。
「まあ、セイレーンとしては特に何とも思わなかったようですね。ただ、ハーマンが服を着せたようですが」
「良かった~」
さすがにそのままじゃなかった。それに服を着てないと人間になったなら風邪ひいちゃうしね。
「では、話を続けますね」
「お願いします」
『ファナスの姿に慌てたハーマンは直ぐに自分の上着を着せ、以降は自分の服を分け与えました。そうして始まった帰還の航海ですが、ハーマンたちには一つ気掛かりなことがありました。それは海魔です。これまでは運よく出遭いませんでしたが、この船には対海魔用の装備も施されていません。「海魔? ああ、あいつらならまず出ないと思うわ。ほら、前は嵐に遭う航路だったでしょ? ああいうところには出ないし、今は私が乗ってるし」ファナスから話を聞くと、海魔というのは嵐を本能で避ける生物とのことでした。また、セイレーンたちの魔力にも弱く、歌を歌えば戦いを避けると分かり、ハーマンたちは胸をなでおろします』
「はぁ~、セイレーンの歌にはそういう効果もあるんですね」
「魔力を歌に乗せておりますので、そのためだと思われます。変化魔法を使う時点でかなり魔力の高い種族ですので」
「そうですよね。変化魔法とかどれぐらい魔力があればできるのかなぁ」
ちょっと興味がある。私の魔力でも使えるならアルナみたいな小鳥になったり、キシャルみたいな猫にもなったりできるかもしれない。
「なれたらその魔物の言葉が分かったりもするのかなぁ?」
そうなったらアルバに住んでいる魔物の研究者であるディースさんに協力できそうだ。だけど、一日中色々な魔物になってばかりの生活になるかもしれないけど。
「魔物の言葉が分かったら凄いですね。研究をされている人はいるかもしれませんが、セイレーンのようなものはともかくとして、我々とは異なる存在ですから」
「本当ですよね!」
もう一部は解読済みですともいえず、私は力強く返事をするにとどめた。ディースさんの論文が日の目を見ると良いな。
『さて、海魔の脅威が薄れたと分ったハーマンたちは喜びの中、航海を続けます。しかし、数日経ったころあることに気が付きました。「なぁ、ファナス。俺たちは小島を経由したんだが、あそこには向かわないのか?」そう、嵐の中を耐えて辿り着いた小島は少し東にあり、通るルートにはなかったのです。「ああ、あそこ。あの辺って嵐が発生しやすいの。だから海魔も通らないのよ」行きでハーマンたちが海魔に遭わないのは偶然ではなく航路の問題だと分かりました。海魔から身は守れるものの、別の意味で危険なルートだと判明しました』
「海魔も嵐には勝てないんですね……」
「意外だねぇ。触手とかぬめりがあったりする魔物もいるのに」
言われてみればそうだ。水中に逃れていれば影響も少ないと思うんだけど、他にも何かあるのかな? そんな疑問が浮かびながらも続きを聞く。
『「でも、この西からだと割と安全かな?」ファナスの言葉にハーマンたちは緊急退避場所として地図に書き込みました。小さいながらも木が生えており、食料も調達できるためです。後で船員が遺したメモもまとめることにしました。こうして始まったアダマスへの航海は順調に進んでいき、その中でハーマンとファナスは絆を深めていきます。アダマスへ着くころには二人は恋仲に近いものになっていましたが、それでもセイレーンであるファナスには人間の町へ行く勇気はなく、もう一度ルーシードへ行く時にこっそり合流することを約束して別れたのです』
「ああ、恋人たちのしばしの別れ……悲しいですね。でも、また会えるんですね!」
「そうですね」
何故か微妙な返事をするベスティアさんに気づかず、私は気持ちを昂らせた。




