イリスと依頼
「さっ、それじゃあここからは帳簿の書き方についてやっていきましょうか。何について聞きたいの?」
「その…根本的なことなんですけど、この科目コードってどうしたらいいのかなって思いまして。ここには三桁の数字の欄がありますけど、細工で使うのだったら金属と宝石と魔石ぐらいだから1・2・3ぐらいでも問題ないのかなって」
「細工? 仕入れか何かなの?」
「いえ、自分で作るんですけど……」
「ん~、そういえばそんなことも言ってたわね。まず、科目コードに関してはちゃんと三桁使いなさい。今はそこまで考えが回らないと思うけど、考えて使うのは大事よ。例えば頭の一桁目が店舗で十の位が予算の種類、もしくは契約している人や未契約の人からの仕入れの処理分類。最後はアスカの言ったようにどんな材料なのかという風にもできるのよ」
「うう~ん。でも、私しか細工をしてないですけど……」
何だかイリス様の言葉を聞いていると、経営者目線に感じる。そんな予定はないんだけどな。
「例えば誰かに魔石の購入を依頼したり、馴染みの店で安く仕入れたりするでしょ? そういうのもコードだけで簡単に見返せるのよ。後は冒険者をやめて細工に打ち込んだ時に、弟子とか取ったらどうするの? そういう時も簡単に分けられるんだから」
「その時にやったらよくないですか?」
「弟子を取るってことは一人でお金の管理もできないから、当然事務員も雇うわよね? 教育に時間がかかるだけじゃなくて、突然項目や数字が増えたら間違いの元よ。最初から三桁で内容の追加なら処理するのも楽になるわ。後はお菓子代とかもね」
「お菓子代? でも、するのは細工ですよ?」
「それこそアスカがお店を持ってみなさい。従業員への給与もそこから出すし、ちょっとした休憩にお菓子も出すでしょう? 全部自腹にしちゃうの? 店からじゃなくて毎日オーナーからなんて恐縮しちゃうわよ」
「そんな日は来ないと思いますけど……」
弟子を取るなんて思いつかないし、ましてや従業員かぁ。でも、もし雇うことになったら制服とか考えたいなぁ。私がそんなことを考えていると、イリス様がわなわなと震える。どうかしたのかな?
「来るか来ないかじゃなくて想定しておくのよ! 後で三桁にしますとか色々ルールを追加していくと、過去のデータまで直さないといけないんだから!!」
「はっ、はいっ!」
何かあったのかイリス様は帳簿になってからスパルタだ。社会人だったし、色々あったのかな? そんなこんなで三時間以上しごき……優しく教えてもらうと何とか形になってきた。
「うんうん、これぐらいできれば入門編は終わりね!」
「入門……これが……?」
「お嬢様はできる人に合わせるのが得意でして。諦めてくださいませ」
「そんなぁ~!」
そう絶叫した後はテレサさんが持って来てくれた飲み物を飲みながらの休憩だ。
「ううう、疲れた……」
「初日だもの。そういうものよ」
「絶対違う。一応、宿の帳簿も見たことありますし」
「あはは。その辺の店とは比べ物にならないわよ。そもそも、金額自体どんぶり勘定のところも多いし、ちゃんと書いていても、それが個別に分類されているなんて珍しいわよ。商人でも商会長の機嫌ひとつで科目が変わるなんてことも珍しくないんだから」
「でも、これからはこうやってまとめられていくんですね」
紙はまだまだ高いけど、こうやって一つずつ進化していくんだなとしみじみと思っていると、イリス様から爆弾発言が飛び出す。
「さあ? やり始めは面倒だからね。貴族みたいに綺麗な数字でないといけない人はともかく、一般まで広まるかしら? 税金も収入というより、農地なら面積と作物から割り出した分が税金になるし」
「えっ⁉ じゃあ、これって無駄になるんじゃ……」
「ならないってば! アスカの商売の助けにちゃんとなるわよ。商会の運営をしてるなら尚更よ」
ほっ、良かった。まだ実践はしてないけど無駄にならないみたいだ。これだけ苦労したのに無駄になったら本当につらいもん。
「そういえば、アスカ様が書き写していた帳簿の中身ですが、実際のものですか?」
「はい。嘘書いてもしょうがないですし……」
「ええっ⁉ そうだったの? でも、これって結構売れてるというか、利益出てるわよね」
「ま、まあ、細工師として活動するからには当然利益は出すようにしてます」
「活動ったってまだ15歳でしょ。よくもまあこんなに売ったものね」
「えへへ、それはムルムルのおかげでもあったりするんです」
「ムルムル?」
「あっ、私の友達なんですけど、水の巫女をやっていてそこで依頼をもらってから、自信がついて……」
なんせ、神像の出来をその宗教の人たちに褒めてもらえたからね。あれは私にとって一つの契機だったんじゃないかな?
「なんですって⁉ 水の巫女様と知り合いなの?」
「え、ええ、まあ……」
「ねぇ、誰かシェルレーネ教の細工師を紹介してもらえないかしら? うちって一大穀倉地じゃない? 昔から水の神様を崇めてるところが多くてね。以前はそれぞれの地域で土着の信仰があったんだけど、他の大陸と交易をするようになってから、シェルレーネ教徒が増えたのよね。もちろん、カーナヴォン家もそうなの。だから、こう……邸に飾れるような物を作れる人知らないかしら?」
「うう~ん。知らないわけではないんですけど……」
知ってはいるけど、果たしてお眼鏡に適うかどうか……。
「本当⁉ いや~、言ってみるものだわ!」
「お嬢様、気が早いですよ」
「ちゃんと紹介料も払うから、何とか話を付けてくれない? 何なら魔石とかも調達するわよ。流石にドラゴンの魔石とかは無理だけど」
「ドラゴンってやっぱりいるんですか?」
「らしいわよ。まあ、こことは無縁だし、出てこられても困るけどね」
アルトレインに来てからドラゴンなんて聞いたことがあったっけ?いたら一度見てみたいなぁ。イリス様の言う通り、急に出てくるのは嫌だけど。
「領地の騎士たちも精鋭がそろっておりますが、流石に相手が悪いですね」
「それより、どういう人なの? できるだけ早く会ってみたいんだけど……」
「あ、目の前に……」
「ん?」
「はい」
私はおずおずとシェルレーネ教刻印使用許可証を見せる。
「えっと、冗談よね?」
「これ複製したら多分めちゃくちゃ怒られます」
「まあ、怒るというか世界中が敵になるでしょうね」
「アスカってそんなに細工が上手なの? ちょっと作品を見せてよ」
「はい」
イリス様の言葉を受けて、制作途中の物や完成した物を出していく。
「えっ⁉ アスカがこれを本当に作ったの。すごいじゃない! これならどの商会でも扱えるわよ」
「そうですね。うちの商会どころか伯爵家や侯爵家お抱えの商会でも取り扱えますよ」
「そんな大げさですよ。まだ、初めて二年ですし」
「二年⁉ どうやったらそんな短期間でできるようになるのよ……」
「あ~、まあ、そこは魔道具がありますから。魔力が高いので思い通りに削れるんです」
「それにしてもこんなにうまくなるものなのかしら? まあいいわ。それでやってくれるの?」
「やるのはいいんですけど、具体的にどういう構想か言ってもらえるとありがたいんですけど……」
神像を作るのにあたっては相手のイメージを知ることが重要だ。目的にもよるしね。それに地方ごとに特色もあるし、どういうデザインが貴族の邸に相応しいかは私には分からないからね。
「そうねぇ~……」
「ああ、それは私がやります」
「いいの? 任せちゃって」
「ええ。お嬢様は心配なさらず」
「じゃあ、そこはテレサに任せるわね。それにしても刻印付きの細工かぁ~。えへえへ」
「イリス様大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫ですよ。お嬢様はこちらに来る前からシェルレーネ教の教会はお気に入りで手を出しませんでしたからね」
「そう! 宗教関係者なのに意外と慎ましやかなのよね」
「意外とって……」
「ほら、前世だと色々言われてるところとかあったじゃない? アスカは子どもだからあんまりそういう話は知らないか」
「そうですね。病院では何度か聞きましたけど」
「ああ、そっち。まあ、なんにせよいい宗教よ。この領地に来てからも信仰されてると知って、すぐに挨拶にも行ったし。他にもこの大陸では聖王教やグリディア教も多いわね」
「グリディア様の信仰も多いんですか?」
意外だ。この大陸はそこまで国も多くないし、戦争状態にもないのに何かあるのかな?
「アスカはこの国の西にある国って知ってるかしら?」
「アダマスですか? 珍しい連合国家ですよね」
「そう。連合国家になる前は小国が乱立していたから戦争続きでね。その流れで今もアダマスを中心に信仰が続いているのよ」
「ところで聖王教って何ですか?」
聞きなれない宗教の名前が気になったので聞いてみる。アラシェル様はグリディア様やシェルレーネ様と仲が良いみたいだし、私が知らないだけで他の神様ともお知り合いかもしれないしね。
「ああ、フェゼル王国の大陸じゃ、遠いからメジャーじゃないわよね。昔、魔王が出た時に活躍した聖女を輩出した宗教よ。大活躍したらしいけど……どうかしらね?」
「何か気になるんですか?」
「学生時代の暇な時に……」
「毎日ですね」
「暇な時に! 歴史書を読んでたんだけど、初代聖女時代の魔王ってアンデッドだったのよね。この宗教は名前の通り聖属性を扱う人が多い宗教だから、アンデッド相手に活躍したことは過去にもあったみたいなんだけど、残ってる書物の記述がな~んか変なのよね」
「変?」
聞いた限りだと別におかしいところはないと思うけどなぁ。
「いや、聖属性がアンデッドに効くのは分かるのよ。でも、あまりにも美化されているというか内容が向かうところ敵なしなのよ。でも、実際にはいくつもの国が滅んでいて、その時代から今に至るまで荒廃したままの国まで存在するぐらいなの。当時、そこまで隆盛を誇っていなかった聖王国が一国主導でそこまでできたとは信じられないのよね」
イリス様の補足説明によると聖王国が現在の領土を持つようになったのは、その聖女の活躍後に信者が増えたからだというのだ。それ以前の規模で見れば納得できないのだという。
「まあ、お嬢様的に色々問題を抱えているのがその聖王教な為、ケチをつけたいということが主ですが」
「だって、あそこって偉そうなんだもの。いくら世界を救ったからって何十年どころか何百年も偉そうにされたらたまらないわよ。そういえば、他にもそこそこの勢力がいたみたいね。ただ、そっちは民間団体で国は持ってなかったみたいだけど」
「そんな勢力があったんですか? でも、魔王の軍団とか民間団体だと危険なんじゃ……」
「でも、相当強かったみたいよ。嘘か本当か知らないけど、私の読んだ本だと魔王軍の幹部を町の住民の避難をしながら倒したってあるのよね。ぶっちゃけ、民間団体でそれができるんだったら、聖王教の内容はちょっと解せないのよね」
「まあ、活躍したことは間違いないですし、国を挙げてひとつの宗教を掲げている訳ですから、それぐらいの誇張はあるでしょう」
当時の記録がきちんと残っているのか。私は安心しながらも気になったことを尋ねる。
「ふ~ん。それで、その民間団体はどうなったんですか? 本の記述が確かならそれなりに残ってるんですよね?」
「それがね。最後の戦いには不参加だし、それ以降は一気に記述が減るのよね。まだ、西の大陸にわずかに信仰している人がいるらしいけど」
「ど、どこですか⁉」
「や、やけに食いつくわね。確か……ルイン帝国の北の帝国ね。ルイン帝国か港湾国家ドルフェスから行けるんだけど、アダマスからしか船は出ていないわよ? フェゼル王国に戻らなくてもいいの?」
「う~ん。まだまだ見てないものがいっぱいありますし、行ってみようと思います!」
「なら、ここを出ていく時に船の乗船チケットをあげるわ」
「えっ⁉ でも、大丈夫なんですか? アダマスとは仲が悪いんじゃ……」
「もうだいぶ前のことだからね。今になったら国内問題の方が面倒よ」
お昼になったので乗船チケットをもらう約束をして、私たちは食堂へと移動した。




