こぼれ話 迫られるスティアーナとその後
「お姉ちゃん、おはよう!」
「おはようございます、シュライク殿下」
「お姉ちゃん、もう起きてる?」
「お姉ちゃん、来たよ!」
それから連日。シュライク殿下は朝早く邸に来ては夕方に帰っていった。
「うう~ん、流石に習い事などがあるのでは?」
「大丈夫だよ。こんな事もあろうかと全部終わらせておいたから」
「そ、そうなのですか。ですが、急に領主になることになったのですから、そちらの教育は?」
「そういうのは学園からでも間に合うって!それより今日は一年前の出来事からだよ。今日はお姉ちゃんからだよ
「そうだったわね。一年前というとちょうど学園に入ったころね。そこまで社交はあまりなかったから、入園からみんなパーティーに出るようになったの。だから、最初の授業はほとんどマナーだったわ」
「へえ~。で、お姉ちゃんの相手役は誰だったの?」
「毎回違う人ね。殿下は私に興味がないし、かと言って同じ人だと不味いでしょう?ただ、私のリードが悪いのかみんな動きが硬くって。仕方がないから、メルティーナに頼んだこともあるのよ」
「そうなんだ…大変だったんだね」
「でも、そのおかげで変な噂にもならなかったし、メルティーナったら完璧に男性パートを覚えてくるものだから、男性陣がかわいそうでしたわ」
「それはきついね。でも、楽しそうでよかった。ハインツにいじめられてるかと思った」
「そのころはまだそういうこともなかったし、ミッシェルさんが殿下と仲良くなったのは2学期だったもの。まあ、1学期から兆候はあったけど、その時はそこまで殿下も私に言ってくることもなかったし。おっと、いけないわね。シュライク殿下とずっと話していて、口調が…」
「ううん!そのままでいいよ。それに、お姉ちゃん…スティアーナは僕のお嫁さんになるんだよ!その方が僕もうれしいし」
「そう?なら、少しずつ努力しますわね」
「僕も頑張るからね!」
そして、今日も殿下が帰る時間になった。
「じゃあね。スティアーナ!」
「ええ。シュライク殿下、また」
「お嬢様は殿下に愛されておいでですね」
「ミューレったら、からかって…」
「いいえ、貴族の方でも少し噂になっているみたいですよ。シュライク殿下が毎日のように王族専用の馬車でこちらにいらしていると」
「もう噂になっているの?」
「元々、学園から話が広まっておりましたから。特に貴族派の面々はとても良い縁談だと、祝いのパーティーを開いているところまであるとか」
「あっちにとってはそうでしょうね。それにしても、シュライク殿下が無理をしていなければいいのだけど…」
「お嬢様も殿下のことがお好きなのですね。両想いでうらやましい限りです」
「そ、そんなことはないわよ…多分」
「そうですか。では、そのように留めておきます」
ミューレったら全く。確かに毎日のように話していて、背も伸びたし、体つきも大人になっていたけどそれでもまだまだ弟のようなものなんだから。
「ああ、僕だよ。明日は時間が取れるからそこで会おう。なに、これが最後だよ」
2つ1セットで交信可能な魔道具を使い呼び出しの連絡をする。これで、今回の件は終わりかな?そして翌日。
「はぁ、こんな店で会って大丈夫なの?」
「大丈夫さ、これでも貴族向けの隠れ家だからね。ああ、この情報を話さないように」
「分かってるわよ。それで、本当に紹介してくれるんでしょうね?」
「当り前さ。君にもう用事はないし、変にこの国に居てもらっても目立つしね。それとも愛しの殿下といたいかい?」
「冗談言わないでよ。あんなできた婚約者を放っておく人なんてごめんよ。それに私はそこそこの地位とお金と自由が欲しいの。あの人じゃ、そんなの夢のまた夢よ」
今僕の目の前にいるのはミッシェル男爵令嬢だ。なぜ彼女と会っているかというと、僕が今回の婚約白紙の流れを考えたから。
「それじゃあ、今後の話をするよ。まず、準備はできているから明日には用意された馬車に乗ること。そこから隣国に行って、そのまま船に乗る。そのあとは聖王国を経由してルイン帝国に行ってもらう手配だよ」
「これで念願のハッピーライフね!頑張ったかいがあったわ!」
「高々1年の働きでこれだけの報酬を得るんだからせいぜい楽しんできなよ」
「ええ。もちろん!」
「ただし、これから言うことをよく聞くことだ。まず、君の旅時にはこのティリンをつける」
「ティリンです。お嬢様、今後はよろしくお願いいたします」
「えっと、侍女までつけてくれるの?」
「侍女兼見張りだね。君のやったことが公にならないように。ただ、そう警戒はしなくていいよ。彼女だって向こうに行ったらひとりきりなんだ。いわば、運命共同体だね。向こうで君が秘密を洩らせば彼女は動かざるを得ない。だけど、そうすれば伯爵夫人を害したとして彼女も無事では済まないだろう。そういう風に考えていればいい」
「じゃあ、やっぱり侍女でいいのね」
「戦闘面でも優れているから頼っていい。荷物は流石に一般の馬車になるから多くは積めないけど、それでも相応のものは用意した。魔道具もね。現地までは問題なく着けるだろう」
「それにしても、どうしてルイン帝国なんて直接我が国と国交のない遠い国につてがあるんです?」
「うちのおばあさまの出身なんだよ。ちょっと色々あって国内のご令嬢とは縁のない伯爵がいてね。そこに僕が話を持って行ったって訳さ。ただ、思慮深く機知に富んだご令嬢だと言ってあるから、そのように振る舞うこと」
「それで、あんなに大量の勉強をさせられたのね」
「そりゃあ、うちのおばあさまの実家は向こうじゃ侯爵家だもの。立場を悪くするわけにはいかないからね。さて、長々と話していて人に見つかっても面白くない。それじゃあ、元気でね」
「ええ。いい縁談をありがとう、殿下」
「こっちも助かったよ。君みたいな人でないと計画が進まなかったからね。じゃあ、もう一生会わないことを祈って」
「ええ、さようなら」
「ティリンも元気でね」
「はっ!」
僕は目立たないように裏口から、彼女たちは表から出ていく。2度と会うことはないだろうけど、ここまで協力してやってきたんだ。できれば幸せになって欲しいと思う。
「僕もハインツじゃなくてサイファー兄さまならこんなことはしなかったのにな。でも、婚約者のオウルパラマ義姉さんも好きだし、こればっかりはしょうがないよね」
王族だからって隙を見せた兄上が悪いんだから。
数日後、いつものように学園に行くと教室がざわめいていた。
「どうかなさったの?」
「あっ!?スティアーナ様!聞かれましたか?」
「えっと、何をでしょうか?」
「ミッシェルさんがお休みですって」
「はぁ、それが何か?ここ数日はおやすみされていましたよね」
「それが邸の方にも帰っていないらしくて、家の方が捜されているとか…」
「ええっ!?本当ですか?それは大変ですわね」
「スティアーナ!ミッシェルの行方を知っているだろう!!」
「ハインツ殿下。私は知りません、その話自体も今聞いたばかりです」
「嘘をつくな!他に理由があるとでもいうのか!」
「殿下、落ち着いてください。それより今は捜索を…」
「くっ、そうだな。行くぞ!」
バタバタと殿下は教室を出て行った。
「授業受けなくていいのかしら…」
「スティアーナお前な、今のはそういうところではないだろう」
「まあいいじゃないか、面倒なのがいなくなって。ところで聞いたか?新しい婚約の話」
「ああ、シュライク殿下とだそうだな。おめでとう」
「ありがとう。でも、まだちょっと戸惑ってて」
「ふ、あと2年もすればなれるさ。1年とかからないかもしれないがな」
「そういうものなの?」
「まあ、あの年の1年は大きいからな。来年を楽しみにしておくといいだろう」
「そういえば、来年はシュライク殿下も入園するのよね。1年だけとはいえ楽しみだわ。スティアーナがどんな反応を見せるのか」
「からかわないでよ」
「あら、私たちの婚約が決まった時に言ってきた方の言葉とは思えませんわね」
「あの頃はみんな小さかったじゃないの」
そう言いながらもみんな笑顔で接してくれる。私が会っていない間もシュライク殿下とは顔を合わせていたみたいで、安心しているようだ。
「それにしても、ハインツ殿下はどうされるのだろうな?このままミッシェルさんが見つからなかったら、相手がいない訳だろう」
「せっかく王都に邸を持っても、ひとりじゃなぁ…」
「あ、あの、殿下は領地に行かれるのでは?」
「あら、あなたは知らなかったの?殿下とスティアーナとの婚約は後継者の可能性があるからだったのよ。今は後継者の可能性はほぼないし、王家とすれば貴族派を刺激しないように土地を与えたりはしないでしょうね。自分から蹴った婚約で他の貴族の土地を削るなんて横暴だもの」
「王家直轄地は?」
「無理よ。それこそシュライク殿下に一部を与えるもの。残った土地をさらにだなんて」
「それにしてもどうしてミッシェルさんは消えたのでしょうね。あれほど仲がよさそうだったのに…」
「どうだかね。殿下の方は好きみたいだったけど、ミッシェルさんの方はアクセサリーみたいな扱いだったもの。案外、好意も持ってなかったのかも」
「流石にそれはないと思うのだけど…」
「まあ、私たちには関係のないことですし、経過を見守りましょう」
結局、新たな年度を迎えることになっても、ミッシェルさんは見つからないままだった。そして、新たな入園者を迎えた学園では…。
「スティアーナ、お待たせ!」
「シュライク殿下。待っておりませんから走らないようにお願いします。危険ですよ」
「また、子ども扱いして!それに、ここは学園だから殿下はだめでしょ」
「そ、そうだったわ。危ないわよ、シュライク」
「うん。さあ、お昼にしよう」
学園に入園したシュライクと私は毎日、同じ席で昼食を取るようになった。最初は友人も交えて食べていたのだけど、いつしか2人だけになっていた。みんなも遠慮しなくていいのに…。
「それで、今日の授業はいかがでしたか?」
「退屈。マナーなんて今更だしね。ダンスも」
「シュライクは以前からパーティーに出席しているからですわ。みんなを助けてあげませんと」
「う~ん。でも、婚約者のいる身だし」
「それはそうですけど…」
「スティアーナは僕が他の人と踊っててもいいの?」
いきなりずいっと身を乗り出してくるシュライク。
「ち、近いです!シュライク」
「そう。婚約者としては適切な距離だと思うけど?」
シュライクったら、学園に入ってから急に積極的になったのよね。これまで子羊の皮をかぶっていたのかしら?
「そうそう、今度の休みの約束忘れないでよ。楽しみに待ってるからね」
「ええ。でも、本当に王家の別荘を借りてもいいの?」
「大丈夫だよ。父上にも許可はもらったし。おっと、そろそろ授業の時間だね」
「そうですわね」
席を立つとシュライクがこちらに手を出してくるのに合わせ、私はその手をつかみ一緒に教室まで歩いていく。
「ふふっ」
「どうしたんですか?」
「スティアーナってば最初は中々手をつかんでくれなかったのに、最近は積極的だなぁって」
「シュライクが毎日言ってくるからでしょう。それにこれでもまだ恥ずかしいんです!」
「知ってるよ。手を出す時に一瞬、びくってしてるもんね」
「もう知りません!」
私は手を離すと自分の教室に向かって歩き出す。
「あっ、待ってよスティアーナ。悪かったってば」
私は急ぎ足で歩いているのにシュライクはちょっと歩いただけで追いついてしまう。この1年で背もまた伸びたせいだ。
「もう、どこまでカッコよくなるのかしら、この人は…」
「何か言った?」
「いいえ」
こうしてたった1年だけの2人の学園生活は過ぎていく。
それから3年後。無事に学園を卒業したシュライクと一緒に私は今、王城に来ている。
「シュライク、卒業おめでとう」
「ありがとうございます、陛下」
「うむ。お前も無事に卒業できた訳だし、かねてよりの約束通り本日をもって、王家直轄地フェーン地方を与え、新たにシュライク・フェーン伯爵を名乗るがよい。宰相!」
「はっ!」
宰相閣下が辞令を読み上げる。これで、シュライクは今日から伯爵だ。シュライクの生家である侯爵家を筆頭に、貴族派の面々も満足そうにそれを眺めている。
「フェーン伯爵家の新たな一歩に祝福を!」
陛下がそう告げ、私たちは謁見の間を後にする。その間、拍手は鳴りやまなかった。
「ふぅ、面倒な儀式も終わったし、これで今日から伯爵かぁ」
「帰ったら領地に行かなくてはね」
「そうだね。これまでは王家の所領だったけど、今日からは僕らが治めないと。今の代官も3年で交代だし、代わりも見つけないといけないしね」
王家の優秀な代官は他の直轄地に赴任することが決まっているため、フェーン領に居るのはあと3年だけ。その間に政務の引継ぎと王都にいる時の代官も育てなければならない。
「スティアーナの友人たちは?」
「みんな結婚して王都住まい。それに自分の家門のこともあるから中々ね。代官となれば領地暮らしだもの、そう簡単に声はかけられないわ」
フェーン地方は温暖で砂糖を始めとした特定の特産物を王宮へと納品する土地だ。地方としては重要だけれど、まあ田舎なのだ。
「それと、向こうでやりたいことは決まった?」
「ええ。まずは道路整備ね。王都へ納品する主要道路以外はガタガタだもの。あれはキツいわ」
今の代官は優秀ではあるけど、どちらかというと作物の品種改良や、王都への納品を増やす方向に傾いている。私たちとしてはこれをもう少し、生活方面に傾けたいのだ。
「あはは、視察に行った時は1日でお尻が痛いってスティアーナ言ってたもんね」
「笑い事じゃありません!領民は毎日耐えているのですよ」
「はいはい。じゃあ、検討事項を上げてやっていこう」
シュライクとそんな話をしながら邸に戻る。邸は私の学園卒業後、陛下から与えられなぜかシュライクもその日から住んでいた。私はともかく、シュライクは王宮の方がいい生活ができたと思うのだけど。こうして私は婚約破棄騒動からシュライクという伴侶に恵まれ、幸せな日々を手に入れた。今では彼のそばでないと落ち着かないほどだ。
「シュライク…」
「どうしたの、スティアーナ」
「私、今幸せですわ」
「そっか、ありがとう」
そう答えてくれたシュライクの言葉の後にはお姉ちゃんと続いた気がした。
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「久しぶりですね。スティアーナ伯爵夫人」
「ケイティも元気だった?」
「はい。今では子爵夫人です。スティアーナ様と一緒の婚約白紙組ですね!」
結婚から8年。今日は王都で久しぶりに友人たちと会っていた。領地改革が思ったより楽しかったのと、子どもが生まれたため、中々王都へ来る時間が取れなかったのだった。
「婚約白紙組というのは新しいな。中々いないぞ」
「メルティーナは愛しの旦那様だものね」
「からかうな!」
「王都はあまり変わらないのね」
「まあな。だが、みんなの生活は変わったぞ」
「そういえば、ミッシェルさんはまだ見つからないのね」
「ああ、実は男爵も数年前に療養で爵位を返上したらしい。そのあとは行方知れずだとか」
「大丈夫なのかしら?」
「無事を祈るしかないな。ああ、殿下は元気だ」
「あら、そうなの?私が領地に行く前はまだ尾を引いていたけど」
結局、ハインツ殿下は20歳を機にハインツ・ウォール伯爵として王都に邸が与えられた。ただ、領地もないので往時の権勢は全くなく、ミッシェルさんのこともあり静かだった。結婚はしたと聞いていたけど…。
「それが王族派のコルティ男爵令嬢と結婚なさったんですけど、最初はうまくいかなかったらしいんです。それが、子どもが生まれてから一変して!今じゃ、奥様にべったりですよ」
王都で伯爵以下の集いの時にはそれはすごいらしい。ただ、王籍を抜けたことは理解していて、昔のような横暴さはなく、ただただ子どもや妻の自慢話に終始するのだとか。
「あの殿下がね。そういえばケイティの元婚約者は?」
「あの人は…」
「学園でミッシェル捜索をしていただろう?その時に授業のサボりとケイティとスティアーナへの態度がばれて、そこからは早かった。不可侵条約を結んだとはいえ当時まだ危険だった北の砦行きだ。噂では一生そこで過ごせと言われたらしい」
「大変そうですね」
「スティアーナ、そういいながら少し笑っているぞ?」
「仕方ありませんわ。あの方にはさんざん身に覚えのないことで絡まれたんですから」
「スティアーナ、何の話をしていたんだい?」
女性陣で話をしていると、男性陣がやってきた。
「皆さんの近況報告を聞いていました」
「そう」
「シュライクたちはどうして?」
「残念ながら母親をご所望さ」
「ママー!」
「あら、ヴァネッサ。お友達とは仲良くできた?」
「うん!パウエルも一緒だよ」
「母様!」
「2人ともいらっしゃい。みんなもお友達になってくれてありがとう」
「い、いいえ、年長者の役目ですから」
照れながら答えるのはメルティーナの子どもだ。みんなもそれぞれの家庭を築いている。この子たちの未来には何が待っているのだろう。
「なにがあってもあなたたちの力になるからね」
私が周りにしてもらったように。そう決意を固めて子どもたちを抱きしめるスティアーナだった。
ENDE
 




