魔王を倒したその後で。
突然だが、俺はかつて勇者だった。
忘れもしない高校一年の秋。俺は勇者として異世界に召喚された。
目的は魔王の討伐。ありふれたRPGみたいな現実だった。
……で、俺は三年ほど掛けて魔王を討伐した。
さらっと省略しているが、割と地獄の三年間だった。なにせ俺はちょっとばかり運動神経がいいってだけの普通の人間だったし。剣の振り方なんて体育で剣道かじったくらいのもんだったし。メンタルなんて紙みたいなもんだったし。
ただ、俺はまだ恵まれていた。
なんでも召喚された勇者のみの特権とかで、修練速度――ぶっちゃけレベリングのことである――に対する補正が掛かっていたのだ。
普通の人間が十五年掛かるレベル上げが、僅か一年足らずで出来る程度には、補正の力は圧倒的だった。
まぁ、分かりやすく言えば経験値1の魔物を倒すと、俺は経験値が15貰える、みたいなシステムだったんだけどな。
身体能力とかはレベル準拠だったから、最初はレベル1ゴブリン相手にも死にそうになったっけ……。
と、まぁ、そんなわけで。
俺は最初の二年でひたすらレベリングをしていた。
レベル99が上限のこの世界における熟練冒険者並み――レベル70程度になるまで、それこそ死に物狂いで。
で、レベル70になった俺は、仲間として近隣各国から招集されたという武道家(男)、魔法使い(女)、僧侶(女)の三人と顔合わせし、魔王城まで一緒に旅をして、無事に魔王を倒した訳だ。
一年に及ぶ長旅だったので、それはそれは色々とあったが、まぁこれも省略する。
あ、別に魔法使いと僧侶が俺を巡って修羅場ラブコメとか、そういう展開はなかった、とだけ。
二人とも有能な美少女だったけど、なんせ中身は気位の高いお嬢様な魔法使いと厳格を重んじる僧侶だよ? フラグなんて一日一緒に居たら諦められるレベル。そりゃもう清く正しい生活でした。
むしろ俺がパーティーで一番仲良かったの、武道家だから。
……心は乙女なオネェ系兄貴♂だったけど。
……大丈夫、泣いてなんかない。
ちなみに旅の最中でもガンガンレベルが上がって、今は立派にカンストしてます。
自ずと筋肉もなかなかのもんになりました。
これはちょい嬉しかった。
魔法も四大元素を操る類いの簡単なのなら、無事に使えるようになったしね!
なお、そんな俺にも異世界転移時に授かった、特殊スキルなるものがある。
それは、任意の生物の心の声が聞こえる、という何とも微妙な気分にさせられる代物だった。
スキル名は【思考解析】。
なにか悪意を感じるが、結論としては、MP消費ゼロで使えるこのスキルは大層優秀だった。
大抵の場合、相手の思考が読めれば次に相手が採ろうとする手段も想像に難くない。極論、攻撃しようとしてるのか防御なのか、それが分かるだけでも非常に戦いを有利に運ぶことが出来るのだ。
おかげで圧倒的な力量差でもなければ、俺は一対一の戦闘で負けることはなかった。
後だしじゃんけん最強である。
で。
このスキルは当然、魔王にも有効だったので。
俺はとにかく仲間たちに雑魚を遠ざけてもらい、魔王と一騎討ちに興じた。
魔王は、そりゃもう強かった!
単純な攻撃でも硬いし速いし重いし。
魔法もバンバン使ってくるし。
自己回復力半端ないし。
……まぁ、倒しましたけどね! 俺超頑張ったからね!
マジで死を覚悟する程度にはギリギリの戦いだったけどね!
かくして俺は無事に勇者として魔王を倒し、世界に平和が訪れましたとさ。めでたしめでたし。
――とまぁ、そんなお伽噺的な昔語りはこのぐらいにするとして。
魔王を倒してから数日後。
俺は、俺が召喚された場所であるところの王城にて、
「では勇者よ、貴殿が望むものはいかに?」
かなりお爺ちゃんな国王にそう問われた。
国王の隣では、なんかトイレ行きたいのか疑うくらいソワソワしてる姫様(30)もいるが、敢えて無視を決め込む。
「二つあるんですけど、宜しいでしょうか?」
「うむ、申してみよ」
「一つ目は、俺を元の世界に戻すこと。出来ます?」
「…………まぁ、不可能では、ないな……」
微妙な間は、隣の姫様からのものっすごい圧力によるものだろう。
歯がギリギリいってんだけど……怖い……。
ちなみに国王も俺の能力は知ってるので、嘘はつけなかったのだろう。
つまりは、ちゃんと帰れる! やったね!
「ゴボゴホ……して、勇者よ。もう一つの願いとは……?」
「あ、はい。ちょっと元の世界に連れて帰りたい人がいるんですよ」
この人なんですけどね、と。
俺は自分の右側――屈強な王国近衛騎士たちが整列している方を指差した。突然のことにざわつく室内を意に介さず、俺はスタスタと歩き出す。
「ゆっ勇者さま……っ!? まさか私を差し置いて騎士の中に好いた者がおりますの!?」
「いや、別に貴女にも騎士の人にも興味ないですけど」
「えっ……で、ではまさか……!!??!」
俺は膝を折り、目的の人物と目を合わせる。
両側の騎士から剣を首にピタリと当てられ、手足を枷で厳重に拘束され、猿轡を噛まされた彼女に、俺は話しかける。
「君は『助けて』と言ったよね? それなら俺と一緒に行こう。……大丈夫、向こうの世界はここよりも安全だから」
言いながら、彼女の猿轡を外す。
それから俺は敢えて、困惑の表情を浮かべる騎士たちを見渡すと、ニコリと笑い掛けた。
俺のレベルは99だ。つまりカンストだ。
だから単騎で俺に勝てる存在は、この場には皆無。
確か騎士たちの平均レベルは40程度だったはずだから、ぶっちゃけ千人いようが万人いようが、切り抜けられる自信はある。
俺の無言の威圧でそれが分かったのか、彼女の両側にいた騎士たちは剣を首から離すと数歩、後ろに下がった。
うん、賢明な判断だ。
「……勇者よ! これは一体どういうことか!!!」
「どうもこうも。だって彼女、このままにしたら殺されますよね? なら、俺が向こうの世界に引き取ろうかと」
「ふっふざけるでない! それは忌まわしき魔王の血族! しかも直系の最後の一人であろう! 我が国はこれを民衆の前で処刑することで、真の平和を得るのだ! いくら勇者とて、それを曲げることは罷り成らぬ!」
「その通りです勇者さま! 今なら戯れ言として聞かなかったことにいたしますわ! だからその汚らわしいものから離れなさいな!」
国王と姫のステレオ音声攻撃に辟易しつつ、俺は視線を魔王の血族である少女へと向ける。
彼女は信じられないものを見るように、その金の中に虹色の光彩が散りばめられた瞳で、俺を凝視していた。
『わたし、たすけてなんて、言ってないのです』
「うん、声には出してないね」
「っ……!?」
『もしかして、こころのなかを、読まれ……』
「うん、正解」
「ひぇっ……!?」
初めて聞く肉声は心の声同様に可愛らしくて和む。
「君が死にたくないと望むなら、俺はそれを叶えるよ。魔王の最後の心残りも、君のことだったし」
『叔父様が、わたしを!? ……そうだ、この人は叔父様を殺めた人なのです……わたしの、わたしたちの、敵なのです』
「うん、君が俺を憎むのは当然だし、なんなら復讐してくれたって構わないよ。もちろん、俺もただでは殺されないけど」
なんせレベル99である。
今のこの子との力量差はそれこそ、赤子と歴戦の戦士くらいの開きだ。たとえ目を瞑っていても勝てるだろう。
もし仮に元の世界で身体能力が召喚前の一般人レベルに戻ったとしても、三年間の経験は本物だ。簡単には殺られまい。
まぁ、彼女に殺されるのであれば、それはそれでいいかなとも思っているけれど。
「先ほどからわたくしたちを無視して話を進めないでくださいませ! 貴方たちも! 早くその汚らわしい生き物を処分なさい!」
「っ……仰せのままに、我が姫よ!」
姫の金切り声に反応したのは、近衛騎士筆頭の男だった。
彼は剣を抜くと、俺に向けて鋭い太刀筋を浴びせてくる。俺はそれを避け、ついでに拘束具をつけたままの彼女を脇に抱えると、
「――土よ」
警告がてらに、わざと声に出してから土の槍を数本、投擲する。
彼は足許に突き刺さったそれに顔を青ざめさせた。
無理もない。
俺が本気だったら今の投擲で彼は死んでいたから。
その程度が分かるくらいには男が強かったので、俺としても加減がしやすかった。そして思う。
やはり、強くなることは、孤独になることだ。
皮肉にも最後の戦いの中で、俺と魔王の意見は一致した。俺と魔王はほぼ互角だったので、最終的には不思議なシンパシーまで覚えた程だ。
そんな魔王が最後の最後で心の声を通じて語りかけてきたこと。自らの首をはねられる瞬間に、こちらへとぶつけてきた思念。
――娘同然に可愛がってきた唯一の肉親である彼女の幸福。
もはや呪いのようなものだ。いや、正確には遺言だが。
それでも、最期を看取った者として彼の望みを叶えたいという気持ちが、俺にはある。
「陛下、姫様。これ以上の問答は無用です。俺と彼女を俺の世界に送り出すこと。それさえしてくれるならば、他には何も望みませんよ」
気配がざわつく。
この場で決定権を持つのはもちろん、陛下だけど、実力行使を前提に考えれば俺に分がある。
少なくとも、破壊と殺戮を撒き散らして逃亡、という選択肢まで簡単に取れてしまうのだから。
「……どうしても、か?」
「ええ、どうしてもですね」
深い深いため息ののち。
「……よかろう。すぐにでも去るが良い。そして二度と、我らの前に現れぬよう」
「ありがとうございます、陛下」
「わっわたくしは認め…………っ!」
姫様が何か言いかけようとするのを、陛下が視線だけで抑える。腐っても一国の王、それぐらいの覇気は持ち合わせていたようだ。
姫は何度も口を開いては閉じていたが、最後はねめつけられるように俯いて唇を噛んでいた。
その様子に少しホッとしながら、俺は腕に抱えたままの少女に問う。
「俺を殺したいなら、俺と一緒にいた方が効率がいいだろう? 俺は、君に殺されるまでは、君の傍にいるから」
「…………なぜ、ですか?」
「うん?」
「なぜ、あなたはわたしをそこまで助けたがるのですか?」
もっともな質問に、俺は用意していた言葉を返す。
「そんなの決まってるよ。自分のためさ」
魔族を殺し続けた。数は数えてないけど、おそらく何万と、殺した。
彼らは人間ではないが、意志疎通の出来る生物であり、俺たちと同じく守るべきものがあり、そのために戦っていた。
最初は意思疎通が出来ない魔物だったから、正気を保てた。
だが、魔王の城へ近づくにつれて殺した相手と言葉を交わしたのちに、気づいてしまった。
俺が殺してきたのは、自分たちと変わらぬ者たちであると。
どんなに言い繕っても俺は人殺しであると。大量殺戮者であると。
世間はそれを英雄と呼ぶのかもしれないけれど。
人を殺したのならば、相応の罰を受けなければならない。
他の誰に許されても俺は俺を許せないから。
――だからあの魔王が、最期に死力を賭して俺に殺されたように。
「今度は君が、俺を殺してくれ」
三年間で得た結論を俺は今、腕の中の小さな少女に委ねたのだった。
******
そして現在。
世界を救って地球に帰還してから、いくつもの四季を通り過ぎて。
抜けるような青空と暖かな日差しが優しい桜並木の下に、俺はいた。
「……はぁ、バカなのです。本当にバカなのです」
「ばかー」
俺のすぐ隣。
まだ年端もいかない可愛らしい女の子を抱っこしながら、金の中に虹色の光彩が散りばめられた瞳を持つ女性がこちらに向かってため息をついた。
「だいたい、自分が嫌だったことを人に押し付けるなんて、最低なのです」
「さいてー」
「……でも、あなたの気持ち、少しだけ分かるのです」
「わかるー?」
「はい。だから、わたしはこの子と一緒に、あなたを幸せにするのです。それが、わたしの復讐なのです」
言って、彼女は――俺の好きな人は、幸せそうに笑った。
その顔を見たらもう駄目だった。
「……? ママ、パパないちゃったよ?」
「ええ、本当にどうしようもないパパなのです」
「……はい、どうしようもないパパでマジすみません」
地獄のような三年間を生きた、かつて勇者だった俺は今。
勇者をやめて、この世界で幸せに暮らしている。