第九話:Friend of a 幼馴染
「おーい、蓮」
放課後になると、ここ最近とは違うやつがおれのクラスまでやってきて、扉の前で片手をあげている。
「おお、梓。帰りか?」
廊下まで出て応じると、
「今日は部活休みになったから、小佐田菜摘にでも会っておこうかと思って」
とここまで来た理由を説明してくれた。
いや、ていうか。
「小佐田に会いたいなら小佐田のクラス行けよ……」
「蓮と話してる菜摘に会わなきゃ意味ねーじゃん」
「なんだそれ。ていうか、小佐田が今日も来るとも限らないからな? 別に約束してるわけでもないし」
「そーなん?」
梓は軽く首をかしげてから廊下を見て、
「……って、その心配は要らねーみたいだけど?」
と、ニヤリと笑った。
梓の視線の先を見ると、ショートカットの女子が全速力で走って来ていた。廊下は走ってはいけません。
やがてその小柄な女子はおれと梓の前で止まり、息を切らせながら、
「はあはあ……須賀……くん……!」
と言った。
「ハアハアされてんぞ、蓮」
「ハアハアするのをやめろ、小佐田」
2人でツッコミをいれると、
「ひ……ひどいよ……はあはあ……」
と、なおも息を切らしている。
小佐田の教室からおれの教室まで、走ったら、かかっても3、4秒のことだと思うのだが、どれだけ体力がないんだ……。
「まーちょっと落ち着けよ」
「う、うん……ふうふう……」
梓が小佐田の背中を撫でてやると、少しずつ呼吸が整ってきた。梓、優しいな。
「それで? 菜摘はそんなに急いでどうした?」
「あ、うん、あのね、うちのクラスのホームルームが長引いちゃってね、それで、もしかしたら須賀くん帰っちゃったかもって思って……!」
「だってよ、蓮? 愛されてんなー?」
「あ、あいっ!?」
ちょっとした意地悪に簡単に動揺する小佐田。それを見て嬉しそうにケラケラと梓は笑った。
「悪い悪い、ただの冗談だって」
「も、もー……! というか、今日は梓ちゃんがいるんだね?」
「おー、そうなんだよ。ジャマだったら帰るけど」
「ううん! 大丈夫だよっ! むしろ本物がどんな風にしてるのか、間近で見るチャンスだし! 勉強させてもらいますっ!」
「ホンモノ……? 勉強……? お前らいつも2人で何やってんの?」
期待に満ちた眼差しで梓を見上げる小佐田と、訝しげな視線をおれに投げて来る梓。
「いやその前に、そもそもおれの予定とか都合とか気にしてくれよ……」
形だけでもいいからさ……。
「どうぞどうぞ!」
「おジャマしまーす」
「失礼します」
おれと梓は写真部の部室に連れて来られた。ていうか、今思えば、この部室入っていいんだったらなんで最初の2日、あの変な茂みでやったんだ……?
3畳程度の部室。小佐田が奥の席に座り、扉側の席に梓が座った。椅子は2脚しかないので、おれは梓の横に立っている。
「いやー、一年生の菜摘が部長なんてやってるとはなー。つーか写真部なんて部活があることも知らなかったけど」
「梓、それは単純に失礼」
「ううんっ! いいのいいの、実際、部員はわたし1人だけの弱小部だし……!」
えへへ、と恥ずかしそうに頭をかく。
そういう人懐っこい動きが普通にできるのだから、常識の範囲でだけ行動してれば、本当にみんなの『メインヒロイン』って感じでさぞかし可愛がられるだろうに。
「そんで、普段2人はどんなことしてんだー?」
「それはねー……これっ!」
そう言って、例の『幼馴染ノート』を梓の目の前に開いた。あーあ見せちゃった。
「はー……?」
梓が目を白黒させている。引いているとかそういうんじゃなくて、そもそも理解が追いついていないって感じだ。
「ねね、梓ちゃんっ。この中で、実際に須賀くんとやったことあることってある?」
「……へ? あたしと、蓮が?」
「うんっ!」
頬をピクピクさせている梓に、小佐田は満面の笑みでうなずく。
「この中でっていうのは、なんだ……?」
「あ、ごめん、説明が足りなかったよねっ! これ、わたしの考える理想の幼馴染シチュなんだけど、マンガから着想を得て書いたものが多いから、実際の幼馴染だとどんなシチュがあるのかな? って!」
「おさななじみしちゅ……? ちゃくそー……? おい蓮、この美少女、何言ってるのか全然わかんねーんだけど……?」
救いを求めるように、こちらを見て来る。梓に頼られることなんかそんなにないんだが、よりによってこれがそのタイミングか……。
「えーっと、つまり、この間もちょっと話したけど、小佐田が、『もう恋なんてしない』って名前の少女漫画にハマってて」「『もう一度、恋した。』だってば! 須賀くん、わざとでしょ?」「……ああ、うん、まあ、とにかくその少女漫画にハマってて、幼馴染という関係性に憧れを持ってるらしいんだ。それで、幼馴染としてみたいシチュエーションを書き出したんだと。それが、そのノートってことらしい」
「はー……」
感心なのか驚きなのか絶望なのか理解不能なのか、とにかく平坦に梓は声を吐く。
「とりあえず、読んでみてっ!」
「お、おー……」
こんな状態の梓を見るのは長い付き合いの中で初めてだな……。
そして、古文のテキストでも見るように眉間にしわを寄せてじっくりとめくっていく。こんな怪文書を真面目に読んであげる梓さん、さすがです。
ゆっくりと10ページくらい進んだところで、
「えーと……、全ページにこういうのが書いてあるのか……?」
と、質問する。
「うんっ!」
それに対して、相変わらず満面の笑みでうなずく小佐田。
「そっか……分かった」
パタリとノートを閉じて、おれを見上げて言い放った。
「蓮、お前……」
「ん?」
「まじでやばいやつに捕まったな!?」
ですよね……。
「あ、梓ちゃんまで!?」
なんだその「須賀くんがツンデレなだけかと思ってた!」みたいな反応。
「なあ、蓮はなんでこんなのに付き合ってるんだ……?」
「そ、それは……」
当然の流れでされた当然の質問に、しかし回答を用意していなかったおれが目を泳がせると、
「そ、それは秘密っ!」
と、小佐田が焦ったように言葉を挟む。
梓はその焦った姿をどう解釈したのか、
「なるほどなー……」
と、明確な回答は得られていないにも関わらず納得したようにうなずいた。
「……蓮、お前、弱みを握られてるんだな?」
そのあまりにも的確すぎる指摘に「わあっ」と声があがる。
「すっごーい! やっぱり、幼馴染だとそういうの分かるんだねっ!?」
瞳を輝かせまくっている小佐田。おい、秘密はどうした。
「なあ、蓮……それはあたしにも言えないような秘密なのか……? 」
よほど哀れだったのだろう。
少し涙目になって、上目遣いで寂しそうにおれに問いかけて来る。
「い、いや、それは……す、すまん」
「そっか……」
ひどく悲しそうな顔をしてから一瞬視線を落とした梓は、「いや、そういうこともあるよな」と自分の頬を軽く叩いた。
そして、勢いをつけて立ち上がると、
「秘密があったってなんだって、まじでやばい時はあたしに言えよ?」
そう言って、おれに肩を組んで来る。
制汗剤かなんかだろうか、石けんの香りが鼻腔をくすぐった。
至近距離で目を合わせた梓が二カッと笑う。
「あたしは何があっても、蓮の味方だからな?」
その笑顔は昔から変わらない、梓らしい最高にかっこいい笑顔だった。
「ちょっとお二人さん、わたしがここにいること忘れてませんかー……?」




