第二十一話:幼馴染はさんかく こころは幼馴染
「そうだ、蓮君」
小佐田とかくれんぼごっこをした帰りのこと。地元の駅の改札を出ると、ふと、凛子が思いついたように言う。
「ちょっと、夜ご飯の買い物に付き合ってもらってもいい? 私、今日お米とか買って帰らないといけないんだけど、よく考えたらサックス持ってるし、ちょっと運ぶの重くて」
「ああ、いいよ、たしかにそりゃ大変だ」
別にこのあと差し迫った予定があるわけでもない。おれも家に帰って夕飯を食べるだけだ。
スーパーに着き、凛子はショッピングカートを引っ張って来て、上の段に買い物カゴ、下の段にサックスケースを乗せて、おれによこす。
「今日の夜ご飯はカレーです」
「分かった」
うん、まあ、別におれが食うわけじゃないんだが。
「野菜コーナーでじゃがいもとにんじんと玉ねぎ、そのあとにお肉コーナーで豚肉、乳製品コーナーで牛乳とバター買って、最後にお米かな。お米が重いから。他に何か食べたいものある?」
「おれ食わねえよ……」
ツッコミながらも内心では、凛子はこのスーパーの全体図が頭に入ってるんだな、と感心していた。
「あはは、そうだよね。それじゃレッツゴー、だね!」
楽しそうに右手を軽く振り上げて、いつもよりも気持ち大股で凛子は歩き出した。
おれはそれに付いてショッピングカートを押す。
野菜コーナーに着くと、凛子は早速、両手ににんじんを手に取り、にらめっこを始めた。おれには何が違うのかも、何を比べる根拠にしているのかもさっぱり分からない。
そんな凛子を見ながら、なんとなく一つ思いつく。
「なあ、凛子」
「ん?」
凛子はにんじんから目を離さずに答える。
「凛子、お嬢様キャラって思われるのが嫌なら、買い物とかしてるよって話を普段から周りにすればいいんじゃねえの? 指相撲がどうとか言うよりもそっちの方がずっと庶民的っつーか。もちろん、悪い意味じゃなくて」
「私、別にお嬢様キャラって思われたくないわけじゃないよ」
「あれ、そうなの?」
「うん。……こっちにしよう」
凛子はにんじんの選定を終えたらしく、片方をおれの手元のカゴに入れた。
そして数歩進んで、次は玉ねぎの選定に入る。
「私は、見た目通りの人だと思われるのが嫌ってだけ」
「なんだそれ?」
「蓮君、覚えてないの?」
こちらを少しだけ見てまゆをひそめるので、おれも首をかしげた。
凛子は呆れたように息をついて、玉ねぎをカゴに入れ、買い物を続けながら話し始める。
「小4で引っ越して来た時、私、最初から男の子にからかわれてたじゃない? それで、女の子には変に特別扱いされてたっていうか」
「ああ、まあ……」
気まずくなり、少しうつむく。
女子のあれは特別扱いというよりは崇拝、そしてそれが高じて、腫れ物扱いされていたという感じだ。
おれが今気まずい思いをしているのは、その理由である。
要するに、凛子は小学生にしては発育が良かった。しかも美少女の部類に入るのは今も昔も変わらない。
男子も女子も、突然現れたその超越した存在を、持て余したのだ。
好きな女の子との距離感を測ることのできないことに定評のある小学生男子からは『お』から始まって『い』で終わる胸部を指す言葉を言われてちょっかいをかけられたり、女子からは『えーっと、うちらの話は凛子ちゃんには分からないんじゃないかな……』みたいな感じで敬遠され。
引っ越して早々、凛子は孤高の存在として、有り体に言えば『ひとりぼっち』になっていた。
「そんな時に、私のところにいきなりあずさが来たの。『おい、凛、腕相撲しよーぜ』って。そんで、蓮君を親指で指差して、『こいつ、審判』って言ってて」
「ああ、あったな。梓はあの頃からずけずけと人のパーソナルスペースに入ってたな……」
苦笑しながら頬をかいていると、
「蓮君も蓮君だよ?」
と優しくにらみつけられる。
「は、おれ?」
「腕相撲で私とあずさが手を組んだ時のことだよ。なんのためらいもなく、私と梓の手を上からぎゅっと両手で握って、『レディ……ゴー!』とか言って」
「いや、それは審判の仕事だからだろ」
なんだ、過去のおれが無自覚鈍感系主人公みたいなことしたのかと思った。普通じゃん。
「私には、衝撃だったんだよ。そんな風に気安く触られることってなかったから」
「気安くとかいうなよ」
「あはは、褒め言葉褒め言葉」
凛子はいたずらっぽく笑った。
「それ以来、あずさがサッカーとかバスケとか色々なのに誘ってくれて、それでやっと男子とも女子とも普通に話せるようになって……それが嬉しかったなあ。一回、社会の授業かなんかで知ったセパタクローやろうぜって言ってた時もあったよね?」
「そんなんあったなあ……。ルールわかんないのにバレーボール蹴って体育の先生にマジギレされたな……」
懐かしむようにふふ、と笑って先を続ける。
「一回、あずさに『なんで私に声かけてくれたの?』って聞いたことがあったんだけど、あずさの転校の時に蓮君がそうしてくれたのが嬉しかったからだって言ってたよ」
「は、おれ?」
首を傾げて、思い返す。そういえばさっきそんな話を聞いたばかりだ。
「あー……かくれんぼ大会の話か。すげえな、おれ、ヒーローじゃん。かくれんぼしただけなのに」
「あはは、本当だね」
凛子はおかしそうに笑うと、少し声のトーンを変えた。
「ねえ、蓮君」
「ん?」
「あの時、なんで他の男子とかと同じように私を特別扱いしないでくれたの? 女の子慣れしてた?」
と、おれに尋ねてくる。
「さあ、分からないな」
「嘘ついてる」
おれが答えるのに、凛子はおれの顔をじっと見て、そう言った。
「は? なんで?」
眉間にしわを寄せてみせると、
「蓮君は嘘ついてる時にするクセがあるもん。今、それしてた」
と答えられてしまう。
「え、まじ? 何それ教えて」
「嫌だよ、教えてあげない。それで? 正直に言ってみて?」
ほらほら、とせっつかれて、仕方なく答える。
「わかんねえけど……そこまでの衝撃がなかったんだ」
「ん? 私がタイプじゃなかったってこと?」
あの頃の私が? と自分を指差して言う。たいそうな自信だな……。
「いや、うーん、タイプとかそういうことじゃなくて……」
「……好きな子がいたんだ?」
顔を覗き込んでくるその質問を、おれは無視した。
「ふーん……、私は、あずさのこと好きなのかなってずっと思ってたんだけど、アテが外れたのかしら?」
凛子が追い討ちをかけてくる。
黙っていると逆にボロが出そうだ。
「ちげえよ……ただ単純に凛子が自分の容姿に自信持ちすぎなんだよ。おれみたいなのだっていくらでもいるだろ」
「ふーん……?」
凛子はおれの顔をじっと見て、
「……まあ、今回は見逃しておいてあげましょう」
と言った。なんだよ、また嘘ついてるクセ出てたのか……?
おれが自覚していなかった弱点に戦々恐々としていると、
「ねえ、蓮君?」
今日何度目だろうか、凛子がまたおれの名前を呼ぶ。
「なに……?」
今度は何を言うのだろうか、と思っていると、凛子はふう、と優しく息を吐いて、言った。
「幸せになってね。……なるべく早く」
「いや、幸せってなんだよ……」
凛子はいきなり深いっぽい話してくるから、うまく反応できないんだよな……。
するとその時、ポケットでスマホが震えた。
発信元を確認して、首を傾げながら電話に出ると、不機嫌な声がした。
『もしもし、須賀くん?』
「どうした小佐田……?」
ていうか、こんなすぐ電話かけてきて、さっきの思わせぶりな行動はどこへ言ったんだよ……。
『今、須賀くんが他の女の子とすーっごく幼馴染っぽいことをしている予感がしたんだけど……?』
「し、してねえよ……」
なんだよ、あいつには、ついに幼馴染センサーでも搭載されたのか? ていうか、おれはなんで冷や汗をかかなきゃならんのだ……。
「あ、蓮君、また嘘ついてるでしょ」
目の前では、いたずらっぽく、お嬢様には似つかわしくない含み笑いがこちらを見ていた。




