1-4. 顕生累代
◆顕生累代◆
また少し新しい時代へ行きましょう。
今から5億4100万年前にはじまり、今日まで続いている時代を顕生累代 (Phanerozoic) といいます。原生累代に続く地球の4番目の時代です。顕生累代は古い方から順に、古生代、中生代、新生代の3つの時代に分けられます。
顕生累代 Phanerozoic
新生代 Cenozoic
第四紀 Quaternary
新第三紀 Neogene
古第三紀 Paleogene
中生代 Mesozoic
白堊紀 Cretaceous (註2)
ジュラ紀 Jurassic
三畳紀 Triassic
古生代 Paleozoic
ペルム紀 Permian
石炭紀 Carboniferous
デボン紀 Devonian
シルル紀 Silurian
オルドビス紀 Ordovician
カンブリア紀 Cambrian
◆カンブリア紀◆
カンブリア紀になると、海の中の酸素がさらに濃くなり、生き物が呼吸しやすい環境ができあがりました。また、体の硬い殻などを作る元になる、カルシウムイオンが海の中に増えました。
こうした環境変化とともに、海の中でたくさんの多細胞生物が生れました。この時期の大型動物の急速な多様化はカンブリア大爆発 (Cambrian Big Bang) と呼ばれています。カナダのロッキー山脈から見つかったバージェス動物群 (Burgess fauna) や、中国の雲南省から見つかった澄江動物群 (Chengjiang fauna) は特に有名です。これらからは三葉虫類 (Trilobita) や、大型の肉食動物であるアノマロカリス (属名: Anomalocaris) など、今では滅んでしまった動物の化石が多く見つかっています。
▲図1-d: 動物の系統樹 (Hoyal Cuthill 他 [2018] に基づき作成)
カンブリア紀には、軟体類 (Mollusca)、環虫類 (Annelida)、節足類 (Arthropoda)、棘皮類 (Echinodermata) など、今いる動物と同じ仲間が数多く暮していました。
また、脊索類 (Chordata) もカンブリア紀には既に現れていました。ピカイア (属名: Pikaia) は、現生のナメクジウオに似た頭索類 (Cephalochordata) です。ミロクンミンギア (属名: Myllokunmingia) は、カンブリア紀古世の澄江動物群に含まれる脊椎類 (Vertebrata) です。顎やうきぶくろはなく、海の中に漂う小さな生き物を漉し取って食べていたと推定されています。
◆オルドビス紀◆
オルドビス紀の浅い海では、棘皮類のウミユリ類 (Crinoidea)、軟体類の頭足類 (Cephalopoda)、現生のシャミセンガイのなかまである腕足類 (Brachiopoda) など、多くの種類の生き物が暮していました。
◆シルル紀◆
三葉虫はシルル紀以降には種類が少くなり、体を丸めて敵から身を守るものも現れました。
シルル紀までに、陸で暮す植物も現れました。光合成生物が現れる前は空にオゾン層がなく、DNAや細胞を傷付ける紫外線などが直に地表に届くので、陸の上は生き物にとって危険なところでした。ですが、光合成生物によって沢山の酸素が吐き出されると、酸素が大気の中に溜まり、紫外線による反応でオゾン層ができました。オゾン層は有害な紫外線などを吸収するので、陸上は生き物が暮せる環境になったのです。
約4億年前にいたクックソニア (属名: Cooksonia) は、今まで見つかった中でもっとも古い陸上植物です。この植物は小型で維管束がなく、胞子で増えました。
◆デボン紀◆
デボン紀にはアグラオフィトン (属名: Aglaophyton)、リニア (属名: Rhynia) などの植物が現れました。水中から陸上への進出には、乾燥と重力への適応が不可欠です。これらの植物は、根や葉が分化していませんが、クチクラ層や気孔が見られます。表皮細胞の外側のクチクラ層は陸上の乾いた環境から体内の水分の蒸発を防ぎます。また、気孔は二酸化炭素や酸素、水蒸気の通り道になります。リニアには維管束があり、羊歯植物の特徴が見られます。維管束は、安定した水分の供給と重力に耐えうる物理的な強度をもたらしました。
デボン紀新世になると種子をつくる種子植物も現れました。種子植物の中で初めに現れたのは裸子植物です。
植物が陸に上がって栄えたことで、大気中の酸素がさらに濃くなり、動物も陸に上がれる状態になりました。デボン紀末期になると陸上で暮す昆虫類やクモ類が現れます。
魚類ではエイやサメなどの軟骨魚類 (Chondrichthyes) や、現生の多くの魚類が属す硬骨魚類 (Osteichthyes) が進化しました。原始的な硬骨魚類には、咽頭の奥に原始的な肺があり、それが呼吸の補助的な役割を果たしていたと考えられています。また、肉鰭類は既に鰭の中に太い骨を発達させていました。これは浅瀬の暮しに適応したためだと考えられます。
デボン紀末期には、肉鰭類の仲間に四本の足をもつものが現れました。今の両棲類 (Amphibia)、爬虫類 (Reptilia)、哺乳類 (Mammalia) はこの仲間から進化したと考えられています。エルギネルペトン (属名: Elginerpeton) などは主に淡水中で暮していました。陸の上でも暮していたと考えられるイクチオステガ (属名: Ichthyostega) は、陸上で呼吸するための肺と、陸を歩くための四本の足が発達していました。また、水の中に比べて重力の影響を大きく受けるため、内臓を支える役割を持つ肋骨も発達していました。ただし、この頃は、
・肌は鱗に覆われていない。
・受精と胚発生は水の中で行われる。
という特徴があるので、水辺でしか暮せませんでした。
また、デボン紀や石炭紀には、浅い海にたくさん暮していたウミユリが積もって、ウミユリ石灰岩になりました。
◆石炭紀◆
石炭紀やペルム紀には大型の有孔虫であるフズリナ類が浅い海に栄えました。
陸上に進出した植物はやがて葉や根などの器官を持つように進化しました。葉は太陽の光エネルギーを効率よく吸収できるように平らになり、光合成器官として特殊化していきました。根は体を支え、水分を地中から吸収する器官へと特殊化していきました。石炭紀になると、ロボク (蘆木、属名: Calamites)、フウインボク (封印木、属名: Sigillaria)、リンボク (鱗木、属名: Lepidodendron) などの高さ数十mにもなる巨大化した羊歯植物が森林を形作っていました。こんにち掘り出されている石炭の多くは、これらの植物の亡骸が分解されずに炭化したものです。
石炭紀の地層からはゴキブリの化石や、広げた翅の長さが80cmにもなる巨大なトンボの化石も見つかっています。この時代は温暖で酸素濃度が高かったと考えられています。
石炭紀は両生類の全盛期となり、いろいろなグループが栄えました。この時代の両生類は、魚類のほかに、昆虫や羊歯植物を食べるものが多かったと考えられています。
また、爬虫類 (Reptilia) が進化しました。爬虫類は両生類とは違い、
・肌に硬い鱗をもつ。
・体内受精を行なう。
・卵の殻の内側に羊膜という膜がある。胚は羊膜に包まれた羊水の中で発生する。
などの性質をもっていて、一生を陸の上で過ごせるようになりました。
◆ペルム紀◆
古生代の海で栄えた三葉虫などの動物群は、その多くがペルム紀の終りに滅びました。これは地球上で何度か起きた大量絶滅の中で最も大きなもので、海中の酸素濃度の低下が原因だと考えられています。一方、アンモナイトの祖先は絶滅を免れ、中生代に繁栄を遂げることになります。
◆三畳紀◆
中生代になると、それまでの羊歯植物に代って裸子植物が栄え、分布を内陸部まで拡げてゆきました。種子植物の雄性配偶子は、花粉の中につくられる精細胞で、通常、花粉管により雌性配偶子の卵細胞まで運ばれるため、受精時には外界の水を必要としません。ですが、裸子植物のイチョウやソテツの仲間は花粉管の中で精子が形作られ、羊歯植物の精子のように自力で卵細胞まで泳いでいきます。種子の内側には新しい植物体に育つ胚と、幼い植物の栄養分になる胚乳が入っています。種子を作れるようになったことで、胚を乾燥から守る仕組を得て、分布を拡げるのもたやすくなりました。
中生代には爬虫類も大いに栄えました。爬虫類には陸で栄えた恐竜類 (Dinosauria) だけでなく、水の中には魚竜類 (Ichthyosauria) や首長竜類 (Plesiosauria)、空には翼竜類 (Pterosauria) などが現れ、地球上のあらゆる環境に進出しました。恐竜の中には、群れで行動したり、巣を作って子育てをするものもいました。また、羽毛が生えた肉食恐竜も見つかっていて、体温保持の役割があったと考えられています。
哺乳類の祖先も三畳紀に現れていましたが、中生代の終りまでは小型で、あまり多様化しませんでした。
◆ジュラ紀◆
ジュラ紀には鳥翼類 (Avialae) が現れました。鳥翼類は小型の肉食恐竜の仲間で、今の鳥類 (Aves) を含むグループです。
始祖鳥 (属名: Archaeopteryx) は、ジュラ紀のヨーロッパにいた鳥翼類です。始祖鳥には、今生きている鳥類にはなく、爬虫類にはある前肢 (翼) の先端の指、歯、長い尾骨などがある一方で、羽毛がほぼ全身に見られます。ですが、強力な翼筋を付けるための幅広く大きな胸骨は発達していないため、飛ぶのはあまり上手ではなかったと考えられます。
◆白堊紀◆
白堊紀までに、胚珠が子房に包まれている被子植物が現れました。子房がつくられることで、胚珠が乾燥から守られるとともに種子をさらに包み込むつくり、つまり果実が生れました。被子植物は、果実の発達により、動物による種子撒布の可能性を広げました。
また、被子植物は花の作りが複雑になることにより、主に昆虫類により花粉が運ばれる仕組が発達しました。送粉や種子撒布を通して、被子植物と動物の相互関係ができ、被子植物は花や果実、動物は主に口の形が、互いにより密接な関係になるような方向に変っていったと考えられています。このように、生き物が互いに影響を及ぼし合いながら進化することを共進化といい、被子植物の花の多様化に大きな役割を果たしました。
白堊紀の中頃には、鳥翼類の中に鳥類が現れました。
白堊紀には、哺乳類の中に有袋類、単孔類、真獣類も現れました。
白堊紀末には、地球規模での環境変化が起きたと考えられています。2億年もの長いあいだ栄えた大型爬虫類のほとんどが滅びました。海ではアンモナイトが滅びました。その原因として、地球にぶつかった巨大な隕石による地球環境の大変動が挙げられています。
◆古第三紀◆
新生代になって、鳥類と哺乳類はさらに多様化しました。特に哺乳類は、寒冷化や乾燥化が進むにつれて地球上の様々な環境に適応していきました。哺乳類の特徴である体毛は体温保持の役割を果たし、乳腺は子育てに使われます。
古第三紀までに、木の上での暮しに適応した霊長類 (Primates) が現れました。この仲間は、物を立体視できるように両目が顔の前についています。また、木の上で枝を摑むために、薄くて平らな平爪をもっています。その後、古第三紀のうちにオマキザルやオナガザルなどの真猿形類 (Simiiformes) が現れました。真猿形類では、親指が小さくなり、他の4本の指と離れて向い合うようになっているので (拇指対向性)、枝をしっかりと握れます。
◆新第三紀◆
新第三紀の約2200万年前の地層からは、テナガザル、オランウータン、ゴリラ、チンパンジーなどの祖先に近い類人猿の化石が見つかっています。今生きている類人猿の中ではチンパンジーがヒトに最も近く、遺伝子の塩基配列の違いは1.2%ほどです。また、ヒトとチンパンジーの系統が分れた年代は、化石やDNAの研究から、800万~700万年前と見積られています。
類人猿とは異なり、直立二足歩行や小さな犬歯などの特徴を持つ方向に進化した動物を人類といいます。初期の人類は猿人と呼ばれます。その中で最も古いのは、アフリカのチャドで見つかったトゥーマイ猿人 (種名: Sahelanthropus tchadensis) で、新第三紀の約700万年前に現れたと考えられています。その後、約580万~440万年前にラミダス猿人 (種名: Ardipithecus ramidus) が現れました。ラミダス猿人は腰のつくりなどから直立二足歩行をしていたと見積られています。約420万年前にはアウストラロピテクス類が現れました。その化石は東アフリカや南アフリカで多数見つかっています。
初期の人類は、必ずしも開けた場所での地上生活をしていたわけではないと考えられています。彼らが確かに直立二足歩行をしていたと考えられる裏付としては、脊椎が頭骨に入る部分 (大後頭孔) が頭骨の真下についていることや、骨盤が横に広いことなどが挙げられます。こうした特徴により、骨格を支えとして二足立を保てるようになりました。また、アウストラロピテクス類では、二本足で歩いた足跡の化石が見つかっています。これらの初期の人類は、犬歯が小さく退化し、歯列が輻射状に近いなど、類人猿とは異なる特徴を幾つも持っています。また、約260万年前からは、石を砕いて作った簡単な石器も使っていました。ですが、この頃の脳の大きさは今のヒトの3分の1ほどで、類人猿とのはっきりとした違いは見られません。
◆第四紀◆
約240万年前になると、ハビリス原人 (種名: Homo habilis) やエレクトス原人 (種名: Homo erectus) などの原人が現れます。猿人の化石はアフリカ大陸からしか見つかっていませんが、原人の化石はアジアやヨーロッパからも出てきています。そのため、人類はアフリカで生まれて、原人の時代に初めてユーラシア大陸に広がったと考えられています。原人の体のつくりには、猿人と違うところがあります。体に比べてに腕は短く、足は長くなって、今のヒトに近付いているのです。このような骨組から、森林とサバンナの両方で暮していた猿人が、原人になって開けたサバンナに適応して、完全な二足歩行が確立したと見積られています。原人は、猿人よりも進んだ、形の整った石器を使っていました。火を使っていた裏付もあります。また、肉をよく食べていたと考えられます。脳はアウストラロピテクスよりずっと大きくなりました。
約60万年前になると、脳がさらに大きい旧人が現れました。旧人たちは複雑な石器技術をもっていましたが、その分布範囲は、原人より少し拡がった程度でした。旧人の中では約30万年前に現れたと見積られ、その後ヨーロッパと中近東を中心に拡がった集団は、ネアンデルタール人 (種名: Homo neanderthalensis) と呼ばれています。彼らは骨組がとても頑丈でした。脳の大きさは今のヒトとあまり変りません。住んでいた跡からは、亡くなった人を埋葬していた跡も見つかっています。ネアンデルタール人は、ヨーロッパや中近東が寒くなったり、ホモ・サピエンスが拡がったりしたせいで滅んだようです。
化石やDNAの分析から、今生きているヒト (種名: Homo sapiens) の直接の祖先は、約20万年前にアフリカで暮していた集団であると考えられています。彼らは新人と呼ばれ、約7万~5万年前にアフリカを出て、ユーラシア大陸に進出し、その後、全世界に拡がったと考えられています。彼らは、精巧な石器を様々に使い分け、洞窟の壁に動物や人間の絵を描いたり、人物を表した小さな彫像を作ったりしていました。
実は、ネアンデルタール人とヒトは交雑することがあったと考えられています。アフリカ以外の現代人のDNAの1~4%は、ネアンデルタール人に由来しています。
ヒトの特徴の1つに言語を使うことがありますが、人類の進化の中で言語がいつ現れたのかはよくわかっていません。言語をもつためには、発声器官と大脳の両方の発達がなくてはなりません。エレクトス原人は発声に関る胸部の神経が発達していたとされますが、彼らが言語を使っていたかどうかははっきりしません。
第1章 生命史 (終)