魔抜き神社
さて、その騒ぎを起こした春兎は、
「ただいまぁ〜! お母さん、神社、行ってくるぅ〜!」
学校が終わって家に帰ってくると、居間にランドセルを放り込んで、そのまままた出かけていった。
「こら、春兎ぉ〜」
あまりにも一瞬のできごとに、加々美の対応が遅れてしまった。注意しようにも、もう石畳の通りを、ずっと先まで駆けていっている。
「あたしも行きます!」
すぐにアニスが、春兎を追って店から飛び出していった。だが、霊能力を持たない加々美は、
「アニスちゃ〜ん。今日も春兎の付き添い、するのよね? ついでだから帰ったら小言を覚悟しなさいって伝えといて〜」
店の中に向かって、見えないアニスに向かって呼びかけた。
『加々美はん。アニスはんなら、もう行ったあとやで』
「え? そうなの?」
加々美に状況を教えたのは、フランス人形だった。彼女と京人形、それとユエメイだけは加々美に見えるため、憑喪神たちとの仲介役になっているのだ。
問題の春兎は、
「神主さ〜ん。こんにちわ〜!」
神社の境内に入ったところで、見かけた白髪の神主にあいさつをする。彫りの深い顔をした、威厳のある男だ。
「春くん。今日も来たのか。いつも飽きないね」
「うん。森の神さまから、いろいろ教わるの、楽しいから」
春兎がその場で駆け足を続けながら、神主に答える。
「勉強も同じぐらい熱心にしたまえよ。お母さん、ぼやいてたぞ」
「は〜い。考えておきま〜す」
春兎がそれだけ答えて、逃げるように神社の裏の方へ駆けていった。そのすぐあとを、
「春兎さ〜ん!」
追いかけるアニスが、全速力で通りすぎていく。
「お師匠さま。今、春兎くんが通りませんでした?」
拝殿から若い女性神職が出てきた。二〇代なかばぐらいの見た目だ。その後ろから、
「お兄ちゃん、今日もお山?」
巫女装束をまとった心々美が、ひょこっと顔を出してくる。
「今日も女神さまのところだ」
「そうですか。できたら今やっている厄払いの原因が、霊障なのか神さまの試練なのか、それとも思い込みなのかだけでも見てもらいたかったのですが……」
「ん? ケイくん。祈祷中に席を外したのかね?」
「はい。いつもと手応えが違いましたので、ポーズだけのお祓いで済ませるのは失礼かなぁ〜と……」
女性神職──ケイが胸の前で人差し指を突き合わせて、困ったように答える。
「そういう時は、いつも言ってるだろう。どうせ依頼者にはわからないんだ。不正さえ働かないのなら、ウソも方便だと……」
「お師匠さまぁ〜! いい加減すぎますよぉ〜。わたしにウソを言う度胸なんてありませんよぉ〜。それにココちゃんの前で、そんなことできません」
「ううむ。見えすぎる正直な霊能者は、困りものだな」
神主が、まるでケイからウソつき呼ばわれされた気分になった。それを言ったケイは、
「わたしにも雪兎さんのように、一般の人にもわかるような理由を見つけて、諭すように話せればいいんですけどねぇ。わたし、頭が悪いから……」
と、ネガティヴモードに入っている。
「雪兎くんのアレは、一種の特殊技能だからねぇ」
「俺の何が特殊技能ですか?」
そこへ雪兎が入ってきた。
「あ、お父さん」
「雪兎さん。お仕事帰りですか?」
「仕事帰りじゃなくて、今朝、ちょっとした事件でシズクが干からびてしまってね。戻すためにキレイな水が必要だから、栃原の山の奥まで湧き水を探しに行ってきたんだ」
「はぁ、キレイな湧き水……ですか……」
話を聞いたケイが、目を神社の裏山へ向ける。
「あ、言わなくていいよ。ここへ帰ってくる途中、神社裏の修業用の滝場のことを思い出したんだ。あそこもけっこうキレイな湧き水が出てたんだった」
ケイが何かを言う前に、雪兎がそう言ってきた。そして頭の後ろを掻きながら、
「それに気づいたら、なんかシズクを山の奥に捨ててきただけのような気がしてきたよ」
などと照れ笑いする。
「心々美は今日もお手伝いか? おまえも神社が好きだな」
「うん。楽しい」
雪兎に言われて、心々美がにこりと微笑んだ。
ちなみに心々美は低学年のため、春兎よりも下校時間が早い。そのため先に神社に来ていたのだ。
「それよりケイちゃん。もしかして祈祷中じゃないのか?」
雪兎が拝殿から、こちらを伺っている人たちに気づいた。
前列中央にいるのは、車イスに乗せられた老人だ。その横にいる初老の男性は息子だろう。反対側には偉そうな雰囲気の男がいて、その後ろに二〇人ぐらいの人が並んでいる。
けっこうな人数で来てるところから、かなり厄介な案件だと察せられる。
「そのぅ、原因がわからなくて……。悪い霊障ではないのはわかるんですけど、こう……いくつもの呪詛祓いがぶつかって……って言いますかねぇ。それにからまってる守護霊さんが一柱、文句を言って騒いでるみたいなんです。それで、それを解く祝詞を上げたんですけど、余計にからまってしまって……。もう次に何をすればいいか迷ってて……」
「ケイちゃんが迷う? 並みの霊能者なら原因まで見えないかもしれないけど……。ケイちゃんほどの霊能力者なら、こんなに一目瞭然でわかりやすい事案、そうそうないぞ」
「……え?」
雪兎の言葉に、ケイがきょとんとした顔をする。
隣りにいる心々美も、雪兎が何を言ってるのかわからくて、一緒に首を傾げていた。
「宮部師匠。師匠が今日のお祓いをケイちゃんに任せたのは、師匠には原因の霊が見えないと気づかれたからですか?」
「いや、そんなつもりはないぞ。そろそろ大きな仕事を任せて、自信をつけさせようと思っただけだ」
雪兎の確認に、神主──宮部から軽い答えが返ってくる。
「何か問題があったのかい?」
「ケイちゃんが社会常識を知らない……とまでは言いませんけど、意外とビジネスの言葉を知らなかったみたいで……」
「はうっ!」
雪兎の一言が、ケイには寸鉄殺人になった。
「言葉を知らない?」
「ケイちゃん。さっきあの中に一柱、文句を言って騒いでる霊がいるって言ったけど、何を言ってるか、ちゃんとわかるかな?」
「あれ、何語ですか?」
「日本語だよ」
やはり言葉が通じてなかった。
「んっとね。あの守護霊さん、どうすればいいのか教えてくれてるんだけど、言ってること難しくて、わかんないの」
心々美の方がちゃんと言葉を聞いていたらしい。雪兎がその心々美の頭をなでながら、
「心々美はよく聞いてたなあ。でも、あれだけ意味もなくカタカナ言葉を並べてたら、俺にも何を言ってるかわかんないよ。ケイちゃんが日本語に聞こえないっていうのもわかるけどさ」
と言って、ケイに逃げ道を用意してあげる。
「カタカナ言葉をしゃべる守護霊さま……かい?」
「それよりは支配霊になろうと取り憑いてきてる、タチの悪い邪霊じゃないですかね? だから周りの人たちの念で呪詛祓いが向かってるのかも……」
疑問を挟んでくる宮部に、雪兎が拝殿にいる人たちを見ながら答える。
「ケイちゃん。どんなお祓いを求められてるんだ?」
「えっと、会長さんのご病気が重くて、その快復祈願です。今の医学では治せないご病気だそうで、お師匠さまのお見立てでも、余命何か月とか……」
ケイが雪兎の質問に答えた。それに宮部が、
「まあ、あくまで医者としての見立てだ。霊能者としての見立てなら、あの会長はこのあと一〇年は軽く生きるぞ」
と付け加える。宮部は神社の神主であると同時に、雪兎たちの住む街にある病院の医院長でもある。
「でしょうね。あの会長さんのご病気、おそらく守護霊さま……というか、あの人を気に入ってる神さまが何らかの事情で起こしてるもの……ってところか……」
雪兎が境内から、拝殿にいる人たちの様子を窺う。
「おそらく、あの会長さんは事業に大成功して、一代で大きな会社に育てた人……ってところかな。周りにいる顔ぶれは、俺には親族と会社の幹部たちじゃないかと思う。付き添って世話をしてるのは、会社の経営を任された息子さん……かな?」
「見ただけで、わかるんですか?」
「状況から想像してみてるだけだよ。もしかしたら会長さんのご病気が始まったのと同じ頃に、会社の経営が傾き始めたんじゃないかな。それで会社の幹部たちも何かに祟られてるとか呪われてるとか心配になって、会長さんに付き添ってきたんじゃ……」
「祟りや呪い……ですか?」
「よくある話だろ。会社が大きくなる背景で、何があったか……だ。何か神さまの許せない一線を越えた祟りか、仕事を競い合って敗れた会社の人からの呪いか、もしかしたら成功者を妬んだ人からの理不尽な呪いとか……」
「なるほど。ありそうな話ですね。勉強になります」
ケイが感心した顔で、雪兎を見ている。
「それに、あの人たちもここに来るまで、相当な数の神社をめぐってきてるぞ。このあたりで終わらせてあげないと可哀想だ」
「相当な数……ですか?」
ケイの雪兎を見る顔が、きょとんとしたものに変わった。
「さっきケイちゃんも言ってただろ。『いくつもの呪詛祓いがぶつかってる』って。それだけあちこちの神社で祈祷してもらってきた証拠だ。それに駐車場に止まってた車のナンバー、県を二つもまたいでたぞ。それが地方の小さな神社にすぎない魔抜き神社を、何かのウワサで聞いて頼ってきてるんだ。これは相当切羽詰まってると見て取れるよね」
「ああ、言われてみれば……。そこは配慮が足りませんでした……」
ケイがまた感心したような顔に戻っている。そこへ拝殿にいた年配の女性が、
「あのぅ、何かございましたか?」
と声をかけてきた。上品な雰囲気のある女性だ。ケイたちが戻ってこないため、代表で様子を見に来たのだろう。
「これは失礼しました。ちょうど霊感の強い者が立ち寄りましてね。なかなか大変な案件でしたので、助っ人を願えないかと話してたところですよ」
宮部がさらっと答えた。
「え? いきなり助っ人話?」
とは雪兎だ。それにケイが、
「雪兎さん。お願いします。今日のお相手、わたしには荷が重いみたいで……」
と祈るように懇願してきた。そんな態度に、
「ああ、これは首を突っ込むしかない流れか……」
と、青空を見上げて嘆息する。
「やはり、それほど大変な問題でございましたか?」
「ご安心ください。大変は大変ですが、ここから見た限りにおいては、祟りや呪いのようなものではないと思いますよ」
心配する女性に、雪兎が安心させるように語りかけた。
その女性の背後から、小さな物の怪がひょこっと顔を出してきた。その物の怪がぴょんと飛んで、雪兎の肩に飛びついてくる。
『あんなー。あの爺ちゃんなー。……』
小さな物の怪は、会長たちを見守ってきた小さな守護霊さまの一人のようだ。その物の怪が雪兎に、事の次第を伝えてくる。
雪兎はその話を聞きながら、頭の中で何が起きているのかを少しずつ組み立てていた。
女性には物の怪が見えないため、雪兎の目が拝殿に向かっているところから霊視してるように映っているだろう。
それとは対照的に、物の怪の見えるケイは、
「お師匠さま。わたしの時には、あの物の怪さん、何も言ってくれなかったんですけど……」
宮部に近づいていって、そんな小言を言って聞かせた。心々美も一緒になって、うんうんとうなずいている。
「それは人徳かねぇ? あの霊、雪兎くんなら何とかしてくれると思って語りかけたんじゃないかな?」
「霊から見ても、わたしはまだ頼りないんですね。わたしに足りないものは……」
「語彙力」
「はうわっ!」
今度は宮部から痛恨の一撃を受けた。
「ご、語彙力って、どうやれば鍛えられるんですか?」
「そりゃあ本を読んで、ニュースを聴く以外に手はないだろ」
「それは、ちょっとぉ……」
宮部の答えに、ケイの目が游いでいる。どちらもケイには苦手なことのようだ。
そんなケイの様子を、心々美がじーっと見上げている。
「本殿に女神さまから求められた本をたくさん奉納してあるだろう。あれ、ケイくんも自由に読んでいいんだぞ」
「いつも思いますけど、女神様って、あんな小難しい本がお好きなんですか? 最近は政治とか歴史とか経済とかの本が増えてますけど……」
ケイが表情でイヤだと語っている。
「女神さま、最近は地政学のターンとか言ってたなあ。アニスくん用に神話や小説も取り寄せてあるから、それでも少しは語彙力が付くだろ」
「マンガは……ないんでした……よね?」
「女神さまたちは活字中毒だからなあ。それにアニスくんはともかく、女神さまは大の電子書籍嫌いだぞ。機械には憑喪神が宿れるが、電子データには宿れないから大まかな内容すら教えてもらえないって……」
そんな会話の間に、物の怪から一通りの話を聞いた雪兎が、
「少し確認させてください」
と、女性に声をかける。
「わたしはまだご病気になった会長さんの、快復祈願に来られたところまでしか聞いてませんが……」
そこで一度言葉を途切り、目をつむって大きく息をした。
「あの会長さん、学生時代に会社を起こして大成功されたようですね。会長さんを愛する神さまの話では、会長さんは仕事を心の底から楽しんで、素直に打ち込まれたようですね。それで儲かってもお金には溺れることなく、自分にも、部下にも、ご家庭にも無理はさせないで、とにかく仕事を楽しむことを第一として……。だからこそ更に神さまに愛されて会社を大きくできて……」
「そ、その通りです。主人はそんなに神さまに愛されてるのですか?」
女性は会長のご婦人だった。その彼女に、
「その神さまからの伝言です。会長さんのご病気は、何一つ心配されなくて大丈夫です。これは会長さんに頼ってばかりの息子さんを鍛えるための、神さまからの試練です」
と、物の怪から聞かされた話を、大ざっぱにまとめて伝える。
「息子を鍛えるために、主人が病気になったのですか?」
「神さまに愛されるというのは、こういう怖いこともあるんですよ。会長さんは病気になっても、誰も恨まない人格者です。それどころか神さまから息子さんを鍛えるためだと聞かされたら、喜んで病気になることを引き受けるんじゃないでしょうか」
「そうです。主人はそういう人です」
ご婦人が両手を口に当て、目に涙を浮かべた。心の底から抑えていた感情が上がってきたのだろう。
「会長さんがご病気になられたのは、会長さんが手や口を出してしまったら簡単に解決してしまうので、息子さん──三男ですか。あの方のためになりませんからね。息子さんが立派に会社を継いでみせれば、会長さんのご病気はまるでウソだったように回復されますよ」
「本当ですか? あ、ありがとうございます。ありがとうございます」
雪兎から安心を担保する言葉をもらい、ご婦人が涙を零しながら、何度も深くお礼をしてきた。
内情を知らないはずの雪兎が、細かいところまで言い当ててきたのだ。そのため素直に言葉を信じられたのだろう。
「主人は一代で会社を大きくしたのですが、仕事を息子に譲った途端に病気になってしまって……。会社を大きくしたツケがまわってきたのかと心配していたのですが……」
ご婦人はこれまでに溜まっていたストレスを吐き出すように、泣きながらそんなことを言ってきた。それが一番の気がかりだったようだ。
「ツケ……ですか。それに関しては会長さんは大変な人格者ですから、まったく非はありません。先ほども言いましたけど、息子さんを鍛えるためですよ。そのために会長さんには理不尽ですけど、息子さんが独り立ちできるように病気になってもらったそうです。そのための病気ですから、神さまも無下に死ぬような目には遭わせません。とにかく息子さんに、しっかりしてもらうだけです」
「あの子、しっかりするでしょうか? もう五〇も近いのに……」
「しっかりしてもらわないと困りますよ。そこを邪霊に付け込まれて、会社を乗っ取られそうになってるみたいですからね」
「乗っ取り? 本当ですか?」
ご婦人には寝耳に水だったようだ。
「さっきから、やたら『アセッションだ』『イノベーションだ』とカタカナ言葉を乱発する口やかましい邪霊が見えてるんですよ。おそらく、それに取り憑かれた……」
「それ……、もしかしてCFOが……」
ご婦人の口を衝いて、個人を特定する単語が出てきた。
それを受けて雪兎の肩に乗っていた小さな物の怪が、
『あんなー、あんなー』
と、話の続きを始めてくる。
それを横で聞いていたケイが、
「お師匠さま。CPOって何ですか?」
知らない単語を、こそっと宮部に尋ねた。
「PじゃなくてFな。会社の経理や財務を担当する役員のことだ」
「F、CFOですか。まるで空を飛びそうな役職ですね」
「それはU……」
宮部がそこまで言いかけて、ケイにツッコむのをやめた。
雪兎に話しかけてた物の怪の話が終わったみたいだからだ。
「また、神さまからの伝言です。『外国の言葉には虫が湧く』『カタカナ言葉を乱発する人は信用するな』だそうですが……」
そこまで言ったところで、雪兎が拝殿に目を向けた。そこでは会長を含めた人たちが待たされっぱなしだ。
「ここで話してても仕方ありませんね。宮部師匠。神職の服、借りますよ。急な話で何も用意してませんから」
「好きに使ってくれ。雪兎くんが扱ってくれるなら安心だ」
このやり取りを聞いて、ケイとご婦人がホッと安堵した顔になった。ケイにとっては荷が勝ちすぎる案件を任せられること、ご婦人にとっては信頼できそうな人に担当してもらえることで安心できたのだろう。
「あたしもお父さんのお着替え、手伝うぅ〜」
社務所へ向かう雪兎に、心々美がくっついてきた。
「ケイちゃんたちと待ってていいんだぞ」
「あのね。お父さんのお祓い、カッコよくて好きなの。今日は見れそうだから、うれしいの」
「おお、そうかあ。じゃあ、お父さん、ガンバっちゃおうかな?」
「わーい」
父娘がそんな話をしながら、社務所へ入っていく。
それを見届けた宮部が、
「さて、雪兎くんの支度が済むまでの間、奥方さまは、今のことを皆さまに伝えていただけますか。その間、ケイくんは祝詞をあげててくれ。無用な呪詛祓いは早めに解いておいた方がいいからね」
と言って、二人を拝殿へ返した。