ある朝のできごと
あんてぃ〜く世界──骨董雑貨店「古色堂」の起こす騒ぎの今をお楽しみください。
石畳の似合う街並みが特徴の木古里商店街。そこはノスタルジーを感じさせる店構えの建物が並び、古き佳き時代を感じさせてくれる。商店街の奥には古くからある神社があるため、その参道のようなところだ。
その中にレンガ造りの外観をした店がある。その店の上には、大きく『古色堂』と書かれた看板が掲げられていた。この街に古くからある骨董雑貨店だ。
そのお店の外で、女性がショーウィンドウのガラス磨きをしている。
「お母さん。行ってきま〜す!」
そのお店からランドセルを背負った腕白そうな男の子が飛び出してきた。
「いってらっしゃい。車には気をつけるのよ」
「わかってるよ〜」
女性の声かけに、男の子が元気に答えた。そしてそのまま石畳のゆるやかな坂を元気に駆け下っていく。途中、
「お祖父ちゃん。おっはよー。行ってくるね〜!」
少し先で店の前を掃き掃除していた老人に、明るく手を振りながら駆け抜けていった。
「おお、今日も元気に勉強しろよ」
老人のいる店には、『有栖川写真店』と看板に書かれていた。その看板の下には、パソコンと携帯電話の取扱店とも書かれている。
「ああ〜。お兄ちゃん、待ってよぉ〜」
その男の子の家──古色堂から、次に女の子が駆け出してきた。その女の子も、
「お祖父ちゃん。おはようございまぁ〜す」
写真店のところにいる老人に声をかけて、小走りで男の子を追いかけていった。
「今日も気をつけろよ〜」
「うん。行ってきまぁ〜す」
女の子が振り返って、老人に手を振ってきた。それに老人が、満足そうに手を振って返す。
その兄妹が共に見えなくなると、老人はさっさと掃除をやめて店に入っていった。どうやら孫のたち顔を見るためだけに外に出ていたようだ。
さて、その兄妹の家──古色堂では、
「おはよう、加々美。春兎と心々美、もう登校する時間になってたか」
店の奥から、中肉中背の男が出てきた。見るからに引き締まった身体をしていて、将来的にも中年太りとは縁のなさそうな体格をしている。
「おはよう、雪兎。昨日は遅くまで仕事してたの?」
女性──加々美がガラス磨きをしてた手を止め、店の中に答えてくる。
「仕事してたというか、昨日着いた荷物の憑喪神から、延々と昔話を聞かされてたんだ」
大きなあくびをしながら中年男──雪兎が店の奥にある座敷に腰を下ろす。そこは昔ながらの店舗の居間だ。
『もう掛け軸の爺さんには勘弁して欲しいわ。おんなじこと何遍も何遍も何遍も喋りくさりおって……』
店の棚の方から、そんな愚痴が聞こえてきた。店に入って右奥の棚には、人形やぬいぐるみが並んでいる。その中で一歩前に出てきたフランス人形が腕を組んで、
『物の怪なのに痴呆入っとるんかいな』
とボヤいた。それに後ろにいた京人形が、
『江戸時代のお生まれですからねぇ。享保って、三百年近く前ですよぉ』
と、眠そうに目をこすりながら言う。
「あ、フラちゃんと、京ちゃん。今日も仲好しね」
加々美が二体の人形に近づいてきた。
『加々美はん、おはようさん。うちらの売約希望、今日こそ入っとらんか?』
フランス人形が、すぐにそんなことを聞いてくる。
「雪兎、入ってない……わよね?」
「ないよ。今日も売れ残りだ」
『まだ朝や。店、開く前やないか。決めつけるんやないで!』
雪兎の答えに、フランス人形が反射的に憤った。だが、それに京人形が、
『フラちゃん。もう二〇年も同じことを言ってますよぉ。あきらめましょう』
と、達観したことを言ってくる。
『あと二〇〇年……。ううん、一五〇年もすれば重要文化財になれますよぉ』
『そこまで待てるかぁ〜いっ!』
フランス人形は往生際が悪かった。
『すべては不況が悪いんや。世の中に仰山お金が溢れたったら、うちを欲しがる御仁が一人や二人や三人や四人……』
『いたらいいですねぇ〜』
京人形がそれだけ言って、こてんと横になった。寝直すつもりのようだ。
その京人形の近くの棚を、小さなモップが宙を浮くように動いて掃除している。
「アニスちゃん? それともユエちゃんかしら?」
『あたしでしゅ〜。加々美しゃんに、見えなくなってたでしゅか。ごめんなさいでしゅ〜』
加々美の前で、中華風の小さな女の子が姿を現してきた。このお店を繁盛させる福の神──福娘の阮月梅だ。加々美をお手伝いしてたようである。
『加々美はんが見えるんは、うちと京ちゃん以外は、ユエはんが姿を見してくれる時だけ……やな』
「それねぇ。もう一人、見たくない女狐が見えてるのよね。幸い、今日はまだ見てないけど……」
『ああ、シズクはんか。そういや朝、春兎はんに何かやられとったな』
加々美の答えに、フランス人形がそんなことを言ってきた。
「春兎、何かやったの? 我が子ながら、いい心がけだわ」
「よくないわよ!」
奥のふすまがバンと開いて、女神のような女性が文句を言ってきた。店に居座る水の女神──シズクだ。
「おはよう、シズク。今日は妙に薄いな」
目を向けた雪兎が、冷めた声で軽く言う。
「薄い? 今日もイヤというほどハッキリ見えてるわ。他の憑喪神なら見たいけど、あんただけはそのまま消えて欲しいのに……」
「加々美ちゃん。相変わらず憎らしいことを言ってくれるわね」
シズクが拳を握って、歯をギリギリとこすり合わせる。
「……ん? 薄いって、身体の厚みのこと?」
シズクの身体が、紙のように薄くなっていた。
「あの子、盛り塩の結界なんて、どこで覚えたのかしら? おかげでお塩に水分を取られて、お姉さん、すっかり乾燥肌よ」
「それは乾燥肌じゃなくて、すっかり熨されてるじゃないの」
シズクの動きは、まるで切り抜かれた絵が動いてるような感じだった。ここで風を当てたら──
「あ、加々美ちゃん、やめて……」
加々美がエアコンのリモコンを持って、スイッチを入れていた。そこから吹き出してくる風に飛ばされて、シズクの身体が舞い上がっていく。
「簡単に飛んだわね。体重ゼロはうらやましいわ」
「加々美ちゃん。少なければいいってもんじゃないのよ。世の中には理想体重ってものが……。あ、頭に血が昇りそう……」
飛ばされたシズクは、その先にある壁に上下逆さまに張りついていた。そこに掛けられた大きめのホワイトボードを見た加々美が、次にマグネットで留めてみたい心境に駆られている。
そこに朝食を摂ろうと立った雪兎が、
「アニスは春兎を止めなかったのか?」
と、ついでに尋ねた。
「止める気はなかったみたいよ。まるで春兎ちゃんの成長を見るために、好きなようにやらせてるみたいで……」
「何、言ってるんですか。ちゃんと今日も助けたじゃないですか!」
そこへ小さな妖精が、羽をパタパタさせながら飛んでくる。この子が話に出てきた小妖精──アニスだ。そのアニスがシズクの物言いに異論を挟んでくる。
「すみません。後片づけに手間取りました。畳が塩水を吸ってたので、元に戻すのに時間が……」
アニスが事情を伝えながら、雪兎の肩に留まる。その雪兎は台所に入って、自分の朝食を用意していた。
「今日は盛り塩の結界だって?」
「はい。今日こそシズクさんを封印しようと、何日も前から準備してたみたいですよ」
トレイにご飯と味噌汁が置かれ、横に夕食の残り物の八宝菜が並ぶ。
「それで失敗したのか……」
「いえ、危うく成功しそうでした。それで、シズクさんが封印されないように結界の中に塩を撒いて、霊気の流れを乱したんです。それでお塩が水を吸って、ドロドロに溶けちゃうのは予想外でしたけど……」
「そこまで成長したのか」
「さすがは雪兎さんのお子さんですよねぇ。生まれついての霊能者ですから」
「ふむ。だが、退魔能力と魂読みに関しては、俺は後天的で、春兎は天然物だからな」
そう言いながら、雪兎がトレイを持ったまま居間へ戻ってくる。その雪兎が今も壁に張りついたままのシズクを見て、
「その春兎が店で唯一の悪霊だって言ってるんだろ。シズクを……」
と零す。
「お姉さん、悪霊じゃないわ!」
「春兎にとっては、お母さんと仲の悪い悪霊だろ」
この話に聞き耳を立てていた加々美が、「うんうん」とうなずいている。
「あう。それを言われると、お姉さん、ツライ……。あ、脱水して涙が出ない……」
シズクは泣きたい心境らしいが、涙も作れないようだ。
「さっさと風呂でシャワー浴びて、水分補給してきたらどうだ?」
「水道のお水は、カルキがあるからダメよ。湯船にお湯を張っても、カルキが抜けるまで三日はかかるんじゃないかしら」
「カルキがあるとダメなのか?」
「いつもなら問題はないんだけどねぇ。ここまで脱水させられたら、お山のキレイな湧き水でないと悪い気を吸って、本当に悪霊になってしまうわ」
「雪兎さん。シズクさんが今の状態で水道のお水を吸ったら、正気を失って何が起きるかわからないってことですよ」
アニスがそう耳打ちして、今の状況を伝えてきた。
「雪兎。この性悪精霊、このままだと悪霊化するの?」
加々美にはアニスの姿は見えないし、声も聞こえなかった。そのため耳に入った話を断片的につないで、そんなことを思ったらしい。
「不用意に水分を与えるなよ。キレイな山の水じゃないと、暴走して何が起こるかわからんって話だ」
「カルキがどうとか言ってたけど、沸かしたお湯ならカルキが抜けてるんじゃなかったかな?」
「ぎゃあ! 加々美ちゃん、熱湯のままかけようとしないで!」
魔法瓶を持った加々美を、シズクが悲鳴じみた声で止めた。
「沸かしたお湯……か。ああ、それはダメだ。お湯を沸かしても、一割は残るみたいだぞ」
朝食を摂り始めた雪兎の横で、アニスがノートパソコンを使って調べている。その結果を見た雪兎が、調べて出たことを加々美に伝えた。
「なぁ〜んだ。つまらないわね」
「加々美ちゃん。今のは絶対に拷問よね? 拷問しようとしたわよね?」
すっかり青い顔になったシズクが、加々美に非難をぶつける。
「アニス。今日の天気は?」
「降水確率0%で〜す。雨が降る予報は出てませんよ」
「雨や雲は汚れてたり、中で細菌やウィルスが繁殖してることもあるから、やっぱり山のお水が……」
シズクは贅沢だった。
「仕方ない。あとで山に連れてって、どこかの湧き水に放り込んでくるか」
「そのまま置いてくるのね」
雪兎の口にした言葉に、加々美が瞳を輝かせて、そんなことを言った。
「な、何よ……」
とシズクが文句を返そうとするが、その前に雪兎が、
「そりゃあ元に戻るまでの時間がわからないからな。丸めて、放り込んで、で、直りゃ勝手に帰ってくるだろうし」
と簡単な計画を語る。
「その言い方、やめて。お姉さん、なんだか悲しい……。っていうか、そろそろ下ろして……」
シズクは天地が逆さまになったまま、今も壁に張りついていた。これでは自力で森の泉に行こうとしても、風に飛ばされてどこへ行くかわからないだろう。