俺は未来の娘に恋をする
新しい短編を書いてみました。私が書く短編にしては珍しく長い物語でございます。
それではお楽しみください。
世の中に一目惚れをしたことのある男は何人いることだろう。たまたま街で見かけた人や学校、職場など挙げていたらきりがないと思う。
そして、俺―――佐辺優生は高校2年の春、自分の教室で行われているホームルームで一目惚れをした。
「佐辺唯です。皆さん、これからどうぞよろしくお願いします」
担任の白石先生と入ってきたのは転校生だった。雛鳥のように先生の後をついていき、少し長く伸ばされた黒髪は胸につくほどの長さで窓から差し込む日差しが反射して輝いていた。
少し震えた声もまるでカナリアのように綺麗で美しく、俺の目と耳を奪うには十分過ぎた。
佐辺さんが一礼すると教室の皆が拍手をし、いつもうるさい野郎共は「かわいい!!」とか「好きだー!」と言うことを叫びながら歓迎をする。
「なあ、佐辺。お前はどう思うんだよ」
ペンで腕をつつきながら話しかけてきたのは隣席の安部友喜だった。からかうようにして話しかけてきたのは、自分でも分かってしまうほど転校生の佐辺さんに目を奪われていたからだろう。
「まあ……可愛いとは思うけど」
適当に言葉を濁して言うと友喜はからかうような笑みをみせ、親指を立ててどや顔を決める。
「安心しろ!お前には無理だ」
「うるせえ」
そんな分かりきったことを言うなと思いながら指示された席に向かう佐辺さんを肘をつきながら目で追う。転校生ということもあって、佐辺さんは窓側の一番後ろの席というベストポジションだった。
暫く担任の話も聞かずに佐辺さんの方を見ていると、視線に感づいたらしい佐辺さんがこちらを向き、そして目が合う。
―――少し茶色が入り交じった黒の瞳と目が合い、俺は不意に目を逸らした。
「……気のせいだよな」
俺のことを見る佐辺さんの目が初めての人を見るような感じではなかったと思ったけど、それを思い過ごしだと判断した俺は終わりが近づいている担任の話を肘をつきながら聞き流した。
それから佐辺さんとは特別何があるわけでも、友達になるわけでも仲良くなることもないのだろう。一目惚れをしたことは自分が良く分かっていたけど、元々告白するような勇気もないので“ただのクラスメイト”という関係で終わるのだろうとこの時は思っていた。
※※※
―――それから時を重ねる度に佐辺さんとの距離がどんどん近くなっていた。転校してきた初日は話すことも片手で数えられる程度で終わると思っていたのに、苗字が同じということもあって絡む機会は多かった。
「おい佐辺!!何でお前だけいい思いしてるんだよ!!」
「なにがだよ」
休み時間になって机に突っ伏したまま寝ていたら息を荒くして悔しそうな表情をした安部が肩をゆすってきた。眠気で視界が悪いというのに、肩を揺らされたから完全に目を回してしまった。頭がフラフラしていると安部がギュッと肩をつかみながら言った。
「何で佐辺さんと仲良くなってるんだよぉ!!俺にそこのポジションをよこせよぉ!!」
顔も悪くなく、勉強も運動も中の上である安部だけど極度の女好きであるこいつは昔から女子と仲良くなれなかった。中学の頃から一緒だから俺は既に慣れているが、このクラスには安部が苦手な女子が数多くいる。
そんな安部だからこそ、そこまで良い関係を築こうと努力をしていない俺が佐辺さんと絡んでいることに嫉妬しているのだろう。
「お前の性格の問題じゃねえのか?まずその“女好きです”オーラをどうにかしろよ」
すると安部は自分の胸を強く叩き、大きな声で叫ぶようにして言った。
「女好きは俺のアイデンティティだからな!それととったら俺じゃねえ」
「佐辺さんが転校してきた時にお前が俺に言ったことを覚えているか?」
俺が問いかけるが、安部は涙目になってただ首を振った。これ以上安部の心を傷つけたら㏋がマイナスになってしまうと思ったが、それでも俺は言わないといけないと思ったのであえてキメ顔で言うことにした。
「―――“お前じゃ無理だ”って言ったんだ。俺から見たらお前が女子と仲良くなるのは無理だな」
「……」
俺が親指を立ててあの時の安部と同じようなキメ顔で言うと完全に撃沈してしまい、この世の終わりを迎えたような顔をしながらトボトボと自分の席に戻って行った。
特大ブーメランが返ってきた時の衝撃は自分で想像しているよりもダメージが大きく、イノシシに突進された並のダメージを与えてしまったことを少し後悔した。
「あの・・・佐辺君」
「ん?どうしたの?」
トボトボと席に戻る安部の背中を見届けていると後ろからカナリヤのような声で尋ねられた。振り返って見ると俺が一目惚れをしたまま何も出来ない佐辺唯さんがそこにはいた。
「これ、先生が佐辺君に渡せって」
申し訳なさそうにプリントを差し出す佐辺さん。少し不思議に思いながらプリントを受け取ると、一番上の紙には大きく“補修プリント”と書かれていた。渡された途端、思い当たる節がありすぎて直ぐにため息をついた。
渡してくれた佐辺さんに一言お礼を言った俺は、受け取ったプリントの枚数を確認して脱力感に襲われた。
「はあああああ・・・・」
力を全て抜くようなため息を吐いた俺。そのまま机に向かって突っ伏し、授業が始まるチャイムに反応するのも一瞬遅れた。
俺は補修プリントの重さをその身に感じ、それを適当に机の中に入れてその日の授業を乗り切った。
「おーい佐辺。帰ろうぜー」
放課後になり、テンションが上がっている安部が早速カバンを持って近づいてきた。いつもならその言葉に頷くのだが、今日ばかりは首を横に振った。
「あれ?何かあるのか?」
小首をかしげて安部が問いかける。正直、安部には言いたくなかったけど俺は正直に“補修プリント”と書かれた紙数十枚を見せた。耳をふさいで俯いているとクスクスと嘲笑うような声が塞いだ耳から微かに聞こえてきた。
耳から手を離してみると、安部が必死に笑いを堪えていた。拳で口元を押さえながら声が漏れないようにしているけど、その行為は全く意味がなかった。
「お前、こんなに頭悪かったのか?」
「うるせえ。お前も知ってるだろ」
嫌味を吐かれた俺は見せた補修プリントをカバンに入れ、軽く小突いてから指示されていた教室へと向かう。プリントの量と先生の小言を考えたら大体2~3時間ほどかかるだろう。
俺は安部に背中を向けたまま手を振りながら言葉を添えた。
「先帰ってていいぞ。どうせ遅くなるし」
「頑張れよー。もしやばかったら次のテストは手伝うからな」
安部の言うことに適当な言葉を返した俺は脱力感に襲われながら廊下に出て右に曲がる。昇降口とは真逆の方向に進むので、多くの生徒と接触しそうになってしまう。補修の時間に遅れるようなことがあればもっとめんどくさいことになるので、俺は人込みを避けながら早足で教室へと向かった。
―――眠気と脱力感と戦いながら続いた補修は予想通り2時間ほどかかってしまった。外はすっかり暗くなっていて、肌を指すような風が開けっ放しの窓から入る。
「・・・あ」
「えっ?」
不貞腐れたような顔をしながら昇降口に向かっていると、とある教室から出てきた女子―――佐辺さんと目が合ってしまった。心臓の鼓動は速くなり、一回一回の振動も大きくなった。
「今補修終わったの?」
「え、あ・・・うん」
「お疲れ様」
戸惑いながら返事をする俺に微笑みながら励ましてくれる佐辺さんは白い頬を少し赤く染めてから言った。
「一緒に帰らない?」
「・・・」
―――思わず言葉が出なかった。何かを言おうとしたけど、言葉が何も浮かんでこなかった。
すると、俺が黙りこんでいるのを自分のせいだと思った佐辺さんが申し訳なさそうに頭を下げ、さっき言ったことを訂正した。どこか寂しそうに―――悲しそうな彼女の心が見えた俺は、ようやく自分の体を動かして彼女の手をとる。
「・・・あ!?ご、ごめん」
自分から手を取ったのになぜか自分が恥ずかしくなって俺は咄嗟に手を離した。佐辺さんは俺に取られた方の手を眺めながら心底嬉しそうな表情をして何かに浸っていた。
「そ、その・・・俺でいいなら」
緊張で口が上手く回せない俺は片言になりながら返事を返す。すると満悦の笑みを俺に見せ、一緒に帰ることになった。
―――好きになった女子と一緒に帰るのは人生で初めての出来事であり、このことを他でもない神に感謝する自分がどこかにいた。
好きになった女子と一緒に帰る。体験をしたことがない俺は何をしたらいいのか迷っていた。学校を出てからずっと無言で隣を歩く佐辺さんに申し訳ないと思っている俺は、必死に話題を考えていた。
「ねえ、佐辺君」
「はいぃ!?」
「・・・どうしたの?」
「い、いや!?何でもないけど!?」
急に話しかけてきたことに驚いて声が裏返ってしまい、極度の反応を見せてしまった。それが面白かったらしい佐辺さんはクスクスと笑い、俺も肩の荷が下りたかのように緊張がほぐれた。意識すればするほど飲まれて行ってしまうので、あくまでも平常心で行こうと思った俺は今日あった出来事を適当に話す。
「そう言えば、今日安部の奴が―――」
そこからは至って普通、友達と話しているのと同じような口調と声のトーンで話していた。でも・・・いつも他の友達と話して笑っている時よりもなぜか楽しかった。いつまでもこの時間が続けばいいと思い、それを考えると再び心臓の鼓動が早くなっていく。
―――その瞬間俺を襲ったのは壮大とも言える緊張感と罪悪感だった。それと同時に頭の中をよぎったのは“告白”という漢字二文字で、隣に居る佐辺さんの方をチラッと見た。
「じゃあ私こっちだから」
「え!?あ、ちょっと待って!!」
その考えが浮かんだ直後に別れを告げられたので、俺は無意識に佐辺さんの足を止めるようなことを言ってしまっていた。引き留められた佐辺さんは二人しかいない十字路の真ん中でクルクルと周りながら、その理由を聞いてきた。
「どうしたの佐辺君」
「お、俺は君が・・・っ!!す―――」
―――そこまで言ったところで言葉を失ってしまった。数秒前の自分は確かに言えると信じていたのに、数秒後の自分はあと一歩のところで言えなくなってしまっていた。あと一言と励ますように心の中で呟く自分も居れば、俺なんかが佐辺さんに告白していいのかと呟く自分もいた。
そんな自尊心と自傷癖に飲まれた俺は言葉を失い、そのまま少しの間黙り込んでしまった。やがて俯きながら口を開いた俺は、先ほどのような勢いを完全に無くして弱弱しい声になって言った。
「・・・ごめん。やっぱり何でもないよ」
「・・・そう?」
気を遣うように疑問形で聞いてくれた佐辺さんは俺にサヨナラを言うこともないまま行ってしまった。俺はそのままコンクリートの地面に膝から崩れて行き、後悔と罪悪感に襲われた。
きっと佐辺さんは分かったままで疑問形で答えてくれた。俺を傷つけないようにあえて疑問形で聞いて、あくまでも告白だと気づいていないと思わせたんだ。俺は・・・告白しようとしたことに対しての後悔と、無理に気を使わせてしまったことへの罪悪感を胸に抱えたまま家に帰った。
※※※
―――次の日から俺は全くと言っていいほど佐辺さんと絡むことが無くなった。
友達から知人、知人からただのクラスメイトと認識は落胆していって後悔と罪悪感だけを残しながらただ無駄に時だけが経っていた。
完全に告白をしていないからこそ、余計にこの関係を作りだしてしまったのは俺が良く分かっていた。仮にあの時俺がちゃんと告白してフラれていれば、それで話は終了となる。けど、中途半端なままで終わらせてしまったからこそ、互いに距離だけが遠くなってしまったのだ。
「なあ大丈夫か?」
「大丈夫だって。別にどこも体調悪くないぞ?」
休み時間、ただ茫然と座っていたら心配そうな表情を浮かべた安部に声をかけられる。適当にあしらえると思ったけど、中学から一緒の安部はそこまで楽な奴ではなかった。
「何か死んだ魚みたいな目してたけど、何かあったのか?」
「何でもないって。それに魚なら栄養がありそうでいいじゃねえか」
すっかり覇気を忘れた俺の言葉は直ぐに消えてしまい、そんな言葉を安部はとても悲しそうな表情のまま聞いていた。中学の時からの友―――もはや親友である安部は俺が大丈夫でないことは誰よりも理解していた。
もちろんそれを知っているけど、これを誰かに言うわけにはいかなった。
「悪いな安部。これは誰にも言えないんだよ」
「・・・そうか。お前がそう言うなら俺も別に何も言わねえよ。けど、何かあったら力になるからな」
俺が言うと安部はポンっと優しく肩を叩き、自分の席へと向かった。誰かが助けてくれることが分かった時は想像していたよりも嬉しく、安部が叩いてきた手はとても温かった。
安部にこれ以上心配もかけられなければ、元々この関係にしてしまったのは自分のせいであることが分かっていた俺はちゃんとけりを付けると心に決めた。
「・・・今日も来てないのか」
―――しかし、ある日を境に佐辺さんは学校を休み始めた。時々来ることもあるが、明らかに体調が悪そうで長くても午前中で帰ってしまう。
この張り裂けそうな想いを胸の奥で眠らせたまま時を刻み、やがて言えないまま終わってしまうという運命があるのではないかと思ってしまうほどだった。
そんなある日の休日、たまたま外をぶらぶら歩いていたら佐辺さんを見かけた。制服姿ではなく私服姿で、とてもふらふら歩いていた。
「・・・」
声をかけようと思ったけど避けられるのを怖がる自分が心の中にいて、ストーカーとして通報されることを覚悟してついて行くことにした。
とても体調が悪そうで顔色が悪いなか、道路を往復するようにふらふらと歩いていた。周りの人から見たら完全に怪しい奴にしか映っていない俺は、オドオドした様子で佐辺さんについていった。
「!!?」
―――そして、やがて限界が来たのか佐辺さんは俺の目の前で倒れた。周囲の人たちが心配するなか、俺は「し、知り合いです!!」と言い張って佐辺さんを抱えたまま取りあえず自宅へと向かった。
周りの人達は持っている携帯で救急車を呼ぼうとしたけど、それを振り切って俺は佐辺さんを抱えたまま自宅へと走って行った。
家に帰ると家に居た母にとても驚かれたけど、事情を説明して俺・・・ではなく母の部屋のベッドに寝かせることにした。
「佐辺さん・・・」
苦しそうに眠る佐辺さんの顔を見ながら心配そうな表情を浮かべる自分が何故かとても悔しかった。好きな人が苦しんでいるというのに、力になることが出来ないのがたまらなく悔しかった。
「・・・あ、あれ?ここは・・・?」
目が覚めた佐辺さんはどこか虚ろな目をしていて、直ぐに頭を押さえた。頭を押さえながら起き上がり、辺りを確認すると震えながら佐辺さんは言う。
「どうして佐辺君が?」
「歩いてたら急に佐辺さんが倒れたんだ。だから俺がここまで運んだ」
「えっ!?あ、じゃあ私・・・そろそろ―――」
動揺した佐辺さんが颯爽と家を出ようとするが、立ち上がったところで力が抜けてしまったように膝から崩れていった。そこから立ち上がれないのか、佐辺さんは俯いたまま座り込んでいた。声をかけて手を指し伸ばそうとしたけど、絨毯に落ちるダイヤのような雫を見た俺はそれを止めた。
「ダメだよ佐辺君・・・私を助けちゃ」
震えた声で囁くように放たれた言葉。胸を締め付けられるような痛みに襲われた俺は無意識に口を動かし、勝手に言葉を並べていた。
「助けるよ。俺は絶対に」
「だって・・・私は―――」
何かを言いかけようとした佐辺さんの言葉を断ち切って、俺は身勝手に想いを告げた。今伝えないと一生後悔し、今伝えないと一生伝えられないような気がして。
「俺は君が好きだから。俺は何度だって助けるよ」
「!!?」
暫く沈黙が訪れ、俺の心臓の鼓動は告白をしてから一気に加速し始める。後からやって来た緊張感や羞恥心が襲い、いたずらのように心臓の鼓動をさらに加速させる。そして・・・長い沈黙が続く中、佐辺さんは背中を向けたままゆっくりと首を横に振った。
―――凄く小さな、本当に小さな仕草だったけど・・・俺には分かった。
俺は・・・失恋をした。胸が苦しくなって、数秒前の自分を恨んでいながらも想いを伝えることが出来たことを喜ぶ自分もどこかにいた。
「ダメだよ・・・ダメなんだよ。私を好きになったら・・・」
「えっ?」
先ほどよりも多くの涙を流す佐辺さんが振り向いて、俺の目を向きながら言った。虚ろな目でもなく、震えた声でもないちゃんと佐辺さんの目で、佐辺さんの声のままその意味が明かされた。
「私は―――未来から来た娘なんだよお父さん」
「はっ?」
唐突の告白に佐辺さんの言っていることが全く理解できないでいた。未来?娘?佐辺さんが?冗談にしてはたちが悪すぎるし、真実を語るには笑ってしまうほどのことだった。話半分で最初は聞いていたけど、段々と明かされる真実にいつしか耳を傾けている自分がいた。
「お父さんは私が生まれて直ぐに死んじゃった・・・でも、お母さんがいつも『お父さんはとてもいい人』とか『お父さんはとてもカッコよかった』とか、毎日のように褒めてきたの」
「・・・」
無言のまま話を聞いていた。佐辺さんの―――未来の娘の言葉は、俺の骨に染み渡っているように響いた。
「私はお父さんがどんな人だったのか凄く気になっていて、だから私は・・・“時かけ橋”で過去にやってきたの。ただの噂でしかなかった橋だけど、本当に過去に来ることが出来た」
「・・・そうか」
話を聞いた俺は俯いたまま時々覇気のない返事をするしかできなかった。“時かけ橋”というのはこの町にある橋の一つで、満月の時にその橋の上で祈ると自分が望む時代に行くことが出来るという噂の橋だった。俺も聞いたことがあるけど、本当に過去に来れるのは知らなかった。
「じゅあ、今すぐ帰ればいいんじゃないか?時かけ橋に連れて行けば―――」
ハッと思いついた俺は直ぐに佐辺さんに報告するが再び首を振って手をそっと伸ばす。
「時かけ橋は・・・私が祈ったと同時に崩れっちゃったの。橋が崩れて・・・瓦礫と共に川に落ちる瞬間に時空に吸い込まれて行ったから、もう帰ることはできないの」
佐辺さんの言葉はどこか弱々しく、力が全く入っていないようだった。でも・・・涙を流して胸を押さえながら語る彼女の言葉を信じないことは出来なかったのだ。そして、話が進むのと比例するように佐辺さんの体から光の粒子のような物が時々現れる。
「おい、それって・・・」
「・・・未来が変わったってこと。私が過去に来たことによってお父さんの人生が変わって、私という存在が完全に消えるってこと」
「!!?。そ、そんなことって!!」
叫ぶようにして力強く言う俺。思えば、今まで佐辺さんの体調が優れないのも未来が変わってしまったことによる消失から来るものだったのかもしれない。
時間が経つにつれてどんどん量が増えていく光の粒子・・・やがて佐辺さんの肌が透けていき、あの時のように倒れた。
「さ、佐辺さん!!佐辺さん!!」
何度も何度も強く名前を叫ぶけど、もはや時間の問題だった。
「お父さん・・・私嬉しかったよ。私のお父さんがお父さんで。いけないけど・・・告白もされた。でも、それで未来変わったから、私は生まれて来なくなったの」
最後の力を振り絞るように伸ばした手を顔につける佐辺―――唯。俺はその手を無意識に強く握り、そのまま名前を叫び続けた。
「唯!!唯!!唯ぃぃぃぃぃ!!!」
「・・・ありがとうお父さん私を名前で呼んでくれて。ありがとうお父さんお母さんと結婚してくれて―――」
さらに多くの光の粒子が唯から溢れ、足や握っていた腕は既に消えてしまっていた。もうダメだと思い、涙を流しながら俯いていると、頬に唯の唇が触れていた。
「―――大好きだよお父さん」
これ以上ないほどの笑顔で最後にそう言い残した唯は泡沫のように光の粒子となって消えて行ってしまった。さっきまで握っていた手には何も残っておらず、確かにあったはずの手も、温度もそこには何も残っていなかった。
空っぽの手の平を見つめ、俺は目から滝のような涙を流した。
この瞬間、佐辺唯という人物は完全に消失してしまった。
※※※
―――消失してしまった唯のことを覚えている人間は俺以外に誰も居なかった。
クラスメイトもその名前すら出さず、最初から存在していなかったかのように過ごしていた。昨日まで共に過ごしていた佐辺唯という人物は完全に消失し、確かにあったはずの机も椅子も教室には無く、佐辺唯が居るのは俺の心の中だけとなった。
全て無くなってしまったのだ。佐辺唯が居た現実も記憶も、それら全てが最初からなかったかのように皆は同じ時を刻んだ。
でも俺はあえて強く佐辺唯の存在を証明したりはしなかった。唯は唯。俺の心の中生きているだけで十分だし、過去が変わって未来が変わったなら“佐辺唯”という存在が最初から存在しなかったこととなる。
「・・・唯」
寂しさは残るけど後悔はしていなかった。俺が告白していなかったら唯はまだ存在したかもしれないし、俺は唯という子を授かったかもしれない。
でも、未来が変わらないということはこの時代の唯に再び同じようなことをさせてしまうということだ。
―――だから俺は後悔はしていなかった。初恋は実らなかったとしても、たとえそれが存在しない人だったとしても俺の心で生き続けるのだから。
それから数年後、俺は結婚をした。結婚して間もなく子供を授かり、名前を唯と名付けた。俺がこの名前をつけた理由は自分なりの決別だった。唯と名付けて、既に俺の知っている唯が存在しないことを忘れないためだった。
俺は・・・授かった二人目の子を抱え、妻と一緒に微笑んだ。
読んでいただいてありがとうございます。
誤字報告は遠慮無く言ってください。ちなみに、短編を書くのはかなり苦手ですので至らぬ点が多かったと思います。
それは本当に申し訳ございません。
本当にありがとうございました。