血塗れのシスター
「警鐘」と形容できる不快な「音」…いや、実際に空気を震わせる「音」ではない。
こう…頭の中で「鳴っている」としか形容できない…そんな「音」…。
「五月蝿いですね…」
別に硬い床で眠れないというわけではない。
むしろこれまで送ってきた私の人生を考えれば、「ふかふかのベッド」などと言う代物の方が眠れない。
「あぁ…?なに?寝れないの?」
意図しているのか疑いたくなる程、全く私の考えとは違う予想を立ててくる猫…いえ、ヤマト様には名前で呼べと言われていましたが…。
「五月蝿いんです」
「そんなにウチが嫌ってか!!」
「違いませんが、貴女の声では無いです」
「違わないのかよ!!」
全く…無駄にリアクションの大きい猫人間がいたものです。
猫なら猫らしくのんびり寝ていて下さい。
そうこうしている間に、この警鐘は強くなっているような…。
カン!
キン!
金属が打ち合う音…。
それもかなり近くで…聞き慣れないが、聞いたことはある音。
戦いの音であることは分かった。
どこかで誰かが…。
「ご主人様!!!」
更に聞き慣れた声が聞こえ全てを悟った。
「2日連続で来た」のだと。
「ねぇ…今の声ってレイラちゃんの…?ってちょ!シスター!?」
理解すると同時に身体は動いていた。
私の敬愛する「私の神」の使いである「ヤマト様」の「所有物」に、懲りもせずに手を出す不届き者。
あの「黒龍人」の声色からするに「ヤマト様に何かあった」のは確実。
宿の裏庭に着くまで1分もかからなかった。
「空間把握」「暗視」「疾走」利用できるスキルはすべて使う。
魔獣相手以外にこんなにスキルを使ったのはいつぶりだろう…
確かあの時くらいか…。
視線に入ったのは肩から血を流すヤマト様と、それに相対し鞭を振り被る亜人以下の「クズ」。
無言に、警告もなく「人間」の急所に対してナイフを投げたのは、流石に人生初だった。
〜〜〜
「シスターがそんな物騒な物持ってていいのかしら?」
「「私の神」は許して下さっています。なので安心して死んで下さい」
マリシテンは準備運動であるかの様に右手に握られた濃紺の手斧をクルクルと回している。
それなりに重さがありそうなのに、よくあんなペン回しみたいに回せるな…。
「あら、そんな怖いカミサマが居るのね!」
先に仕掛けたのはトリヴィアだった。
距離の有利性を活かし、鞭を振るったのだ。
手斧に対して「物騒」などと言っていたが、俺からしたら、彼女の鞭の方が物騒に思える。
理由は単純。
月明かりに照らされ、銀の軌跡を描く鞭の先端は鏃の様になっており、その攻撃力を向上させていた。
マリシテンは微動だにしない。
前にテレビ番組で「鞭の先端は音速を超える」というものを見た事があるが…
レベル600のおかげか、何とかその動きは捉えることは出来ている。
そして、鞭の先端がその鋭利な形状を持ってしてマリシテンを打ち据えようとした瞬間、
マリシテンは体を横に数センチ程ズラした。
たったそれだけだったが、鞭はぶつかるはずだったマリシテンの身体の横を素通りし、地面にバウンドした。
「私の持論ですが、
あまり鞭って戦闘には向いてないと考えているんです」
そう言って瞳に怒気を孕んだシスターは数歩前に出る。
「あら、なかなかできるシスターなのかしら。
それとも「シスター」ってのがそもそも間違い?」
トリヴィアは横薙ぎに鞭を振るい、それに呼応するように鞭の先端がまたマリシテンに向かって突き進む。
だが、
マリシテンはまたも少し体をズラすだけで、鞭は虚空を切り裂く。
それどころか手斧をクルクルと楽しそうに回しながら、歩みを止めない。
さすがのトリヴィアもまずいと思った様で、様々な角度から鞭をマリシテンに仕向ける。
・「鞭」8
と言うスキルレベルは伊達ではないらしい。
音速の蛇の様に、さながら意思が別にあるかの様なその立体的な鞭の全方位攻撃は忙しなくシスターに噛みついていく。
最初に対峙していた時の半分の距離までマリシテンが近付いたとき、鞭の先端が、マリシテンが常に被っているシスター特有の頭巾…ベールを捉えた。
ベールはマリシテンの頭から引き剥がされ、フワッと空中に舞う。
それによって、今までベールに隠され一度も見た事が無かったマリシテンの髪が煌びやかに輝きながら広がった。
「…きれい」
俺の左肩に包帯を巻いていたアニスが、月夜に照らされたマリシテンの髪を見て、おそらく無意識に呟いた。
一切の汚れも無さそうな、それこそ「神々しい」ほどに美しい白銀の長髪。
何も飾られてなどいないにもかかわらず、今までの人生でも…と言ってもこの世界に来る前の人生だが…見た事のない程綺麗だった。
「アンタ…本当に人間…?」
トリヴィアでさえその銀髪に一瞬動きが止まっていたが、何とか絞り出した声がそれだった。
「人間ですよ。間違いなく。
生みの親は人間。祖父母も人間と聞いています。
さて…あなたは、強いんでしょうね。
私のベールを取るなんて、魔獣でも数百に一出来るかどうかですから」
マリシテンの微笑み。
今までに見てきた彼女の「笑み」はどれも狂気に染まった様なゾッとする様な、闇の深い笑みだったのに、
今目の前にあるのは「微笑み」。
その修道女服との相乗効果かどうか、正しくその笑顔は「聖女」の様な慈愛に満ちた微笑みだった。
その笑顔にトリヴィアの動きも止まる。
初めて顔を合わせてから数分。
その間のマリシテンの豹変ぶりは異様とも言える程であり、さすがのトリヴィアでさえも呆気に取られた様だ。
ただ、それが命取りであった。
次の瞬間にマリシテンは白銀の光線の様に一直線に距離を詰め、その手斧を深々とトリヴィアの首に埋めていった。
「…え?ーーーカハッ!?ゴプッ!!」
噴水と言うほどでは無いが、それでもかなりの勢いでトリヴィアの首からは鮮血が噴き出す。
それこそ抵抗する間もなく、トリヴィアの顔からは秒速で血の気が引いて行き、数度大きく体をビクンと跳ねた後…一切動かなくなった。
「ヤマト様に流した以上に、あなたには血を流して貰わなければ気が済みませんでしたから」
そう呟くマリシテンの髪は、先ほどの煌びやか且つ荘厳な白銀から、文字通り「血生臭い」鮮血の赤に染まっている。
手斧を喉から引き抜かれると同時にトリヴィアの身体は、紐の切れた操り人形よろしく、その場に崩れ落ちた。
そのままの足で血塗れのシスターは俺たちの元に歩いて来たが、既にその顔はいつもの死んだ目に無表情の人形然とした無機質なものになっていた。
「クズは排除しました、ヤマト様」
「あ…あぁ。すごい…ね、いろいろ」
それしか言えないって、マジで。
むしろ正答を教えて下さい。




