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エンドリア物語

「ロック鳥に連れられて」<エンドリア物語外伝93>

作者: あまみつ

 空を飛ぶことはよくある。

 空の旅は、大型飛竜に乗るのが最も快適だ。最高級の設備がついた飛竜に乗れば暖かい室内でソファーに転がって目的地まで移動できる。

 最悪なのはムーの魔法での高速飛翔だ。保護魔法をかけて、ぶっ飛ぶ。保護魔法はかけているが、危険満載、何度やっても命がけだ。

「この方法での空の旅は初めてだな」

「ボクしゃん、5回目しゅ」

「予想以上に上下するな。吐きそうだ」

「吐かないで欲しいしゅ」

「そう言われてもなぁ」

「吐くなら、ボクしゃんは避けてっしゅ」

 端から見たら緊張感がない会話に聞こえるかもしれないが、オレもムーも困っていた。そして、オレの上着を爪にひっかけて飛んでいるロック鳥も非常に困っていた。



「ひぃーーーしゅ!」

 店内で売り物の本を読んでいたムーが悲鳴を上げた。

「どうした!」

「ちっ、血しゅ……」

 オレに人差し指を差し出した。

 指先に血が滲んでいる。

 本のページをめくったときに、紙で数ミリ切ったのだ。

「痛いしゅ」

「紙の傷はなんだから、しかたないだろ」

 カウンターで商品の健康手帳を記入していたシュデルに言った。

「切り傷専用の修復包帯があったよな?」

「ホウポンのことですか?」

「ムーに指に巻いてやってくれないか」

「ホウポンなら寝ています」

「寝ているなら、起こせばいいだろ」

「店長の小指の怪我を治すのに力を使い果たしてしまいました。治療できるまでに回復するには、1年以上休まなければなりません」

 オレの怪我を治してくれたのは間違いない。

 治した傷の大きさは、長さ3ミリ、深さ0、5ミリだ。

「わかった。ホウポンにゆっくり休んでくれと伝えてくれ」

「わかりました」

 シュデルが笑顔で言った。

 オレは物置から薬箱を取ってきた。

 開けて、中を見て、思い出した。

 財政が逼迫している桃海亭には、薬を買う余裕がない。

 当然、薬箱は空っぽだ。

「あー、そこらへんの布を巻いておけ」

 ムーも事情がわかったらしい。

「薬草を取りに行くしゅ」

「ヨモギなら商店街の空き地に生えていたぞ」

 怪我した指をくわえたムーが、店を出ようとしたとき、カウンターのシュデルが声をかけてきた。

「出かけるのでしたら、一緒に取ってきて欲しいものがあるのですが」

「ほよっしゅ?」

「店長も一緒にお願いします」

「オレもか?」

「ニダウの正門を出てベケルト街道を2分ほど歩く左側の崖が斜面になり、林が現れます。その林にムクノキが生えているそうです」

「ムクノキ?」

「落葉高木の被子植物しゅ」

 シュデルが微笑んだ。

「さすがムーさんです。ムクノキをご存じなのですね」

「ボクしゃん、天才しゅ!」

 ムーが胸を張った。

「いや、オレでもムクノキくらい知っている」

 名前だけなら聞いたことがある。

「店長には、ムクノキの木を見たことがありますか?」

「へっ?」

「僕が必要なのはムクノキの葉です」

 シュデルはカウンターの下から、昨日持ち込まれた木製のペーパーナイフを取り出した。

「汚れと細かい傷があるので、これを磨きたいのです」

「紙ヤスリだと、ダメなのか?」

 シュデルがニコリと微笑んだ。

「紙ヤスリがあれば、頼みません」

 現在の桃海亭の財政状況では、紙ヤスリも買えないようだ。

「ムーさん、お願いできますか?」

「任しとくしゅ」

 ムーが余裕の笑顔だ。

「行くしゅ」

 ムーがオレを手でまねいた。

「オレが行く必要ないだろ」

 ニダウの正門からわずか2分の距離。ムクノキがわかるムーだけで、事足りるはずだ。

「無理しゅ」

「店長もいってください」

「なんで、オレが行かないといけないんだ?」

 シュデルが真顔になった。

「店長、僕は言いましたよね。正門を出てベケルト街道を2分ほど歩いた左側の斜面の上に林の中に生えていると」

 理由がわかった。

「そういうことかよ」

 シュデルが再び微笑んだ。

「はい、ムーさんひとりでは、急な斜面を登れないのです」



「これしゅ」

 ムクノキはどこにでもあるような普通の広葉樹だった。

 シュデルの言うとおりに正門を出て、2分ほどした歩くと街道の右側にそびえる崖がなだらかになった。そこだけ崩れたのだろう。すぐ先から再び、崖になっている。なだらかになった部分は、ムーが登るには厳しいが、元格闘家志望のオレには楽勝な角度だった。ムーを背負って、一気に駆け上った。登ってから、後悔した。ここ数ヶ月、鍛錬をしていなかったのだ。オレの身体は、元格闘家志望の締まった身体ではなく、古魔法道具店の鈍った身体だった。

「はぁはぁ………」

 背中から降りたムーは、周りを見回わすとひとつの木を指した。

「これしゅ」

 落ちていた葉を拾うと、オレの目に前に出した。

「トゲトゲしゅ」

 よく見ないとわからないが、葉に細い毛が生えている。

「困ったしゅ。枯れ葉がないしゅ」

 地面の落ちているのは数枚だ。

「………まだ……時期が早いんだろ」

 秋も深まってきたが、落葉にはまだ早い。

「ウィルしゃんが、取るしゅ」

 ムーが木の上を指した。

 ムクノキはどこにでもありそうな広葉樹だったが、高さ10メートルを超える大木だった。幹は太く登りやすそうで、枝の先には緑の葉がいっぱい茂っている。

 が、オレは首を横に振った。

「登りたくない」

「ボクしゃん、無理しゅ」

 短い手をヒラヒラさせた。

 オレも手をヒラヒラさせる。

「この寒さで、指がかじかんでいる」

 北風が入ってきて、今年一番の寒さだ。真冬よりも気温が下がり、手袋を持っていないオレの手は、当然かじかんでいる。

「暖かそうしゅ」

「身体だけだ」

 店を出ようとしたとき、木枯らしに吹き付けられた。寒さに耐えきれず、オレは上等の革の上着を持ち出した。極上の革の上着は風を通さず、オレに温さをもたらしてくれている。

 魔法協会のロウントゥリー隊長に買ってもらったのだが、色がショッキングピンクなので着るのをためらっていた。

 体温が革に閉じこめられて、ホカホカの暖かさだ。

「葉っぱを取らないと、ゾンビが怒るしゅ」

 シュデルが木製のペーパーナイフを片手に、目をつり上げるのは間違いない。

「少しだけでも取るか」

 指をこすって暖め、木に登り始めた。

 上空で影がよぎった。

 ロック鳥だ。

 岩山に暮らす鳥だ。ニダウ周辺には住んでいない。ニダウの上空を飛ぶのは、賢者ダップが飼っているロック鳥だけだ。

「あれっ?」

 ダップのロック鳥より、身体のサイズが一回り大きい。

 口に何かをくわえている。生き物らしく、くわえられているものが動いている。

「ドラゴンしゅ!」

 下でムーが叫んだ。

 遠すぎてよく見えないが、コウモリのような羽がついているようだ。

「こらぁーーしゅ、放すしゅー!」

 ムーが風魔法エアストームを放った。ロック鳥からかなり離れていたが、特大エアストームの風はロック鳥の体勢をくずした。

 ロック鳥が、くわえていたものを放した。

 まっすぐに落ちてくる。

「ウィルしゃん!」

 オレはムクノキから飛び降りて、落下地点を滑り込んだ。衝撃を和らげるため腕を沈めるようにして、落ちてきた小さな身体を受け止めた。

「大丈夫しゅか!」

 トテトテと走ってきたムーが、オレの腕の中のものを受け取った。

 小さい。体長は50センチほど。軽かったこともあり、怪我はなさそうだ。ムーに抱かれると、ムーの胸に頭をすり付けた。

「大丈夫そうしゅ」

 ムーが笑顔になった。

 落ちてきた、小さな生き物は顔を上げた。

 大きな頭に、大きな瞳に、大きな口。

「なあ、ムー」

「可愛いドラゴンしゅ」

 頭をヨシヨシとなぜている。

「あのな」

 真っ黒い身体で、大きな耳。

 コウモリに似た羽は、小さすぎて飛ぶには使えないだろう。

「どうかしたしゅ?」

「気になっているんだが………」

 長くのびた尻尾を指した。

「こいつは、ドラゴンなのか?」

 ドラゴンの尻尾は、根元は太くて先端になるに従って細くなる。だが、ムーが抱えている生き物は、根元から先端まで細い紐のような尻尾で、先端に怪しげな三角がついている。

 ムーも、先端にある三角に気がついたようだ。

「ド、ドラゴンしゅ」

 オレは、細い手足を指した。

「本当にドラゴンか?」

 ムーはオレとは視線を合わせず、方向を変えた。

「さあ、お家に帰るしゅ」

 歩き出したムーに、影が落ちた。

「ムー!」

 オレはムーを抱きしめて、横に飛んだ。

 ロック鳥がオレ達をかすめた。

「うわっーー!」

 足が宙に浮いた。見る見る地面が遠ざかる。

 オレが逃げる距離を、間違えたのだ。

「くそっ!」

 いつもは厚手の上着を着ていない。ギリギリの距離で逃げたため、革がロック鳥の爪に引っかかったのだ。

 つかまれているわけではないので、痛みはない。ただ、引っかかっている爪が外れると、飛べないオレは地上に激突する。

「ムー、そいつをオレに渡せ」

「ダメしゅ!」

「オレに渡したら、保護魔法をかけて」

「無理しゅ!」

 ムーの様子がおかしい。

「なぜだ?」

「かまれてるしゅ」

「かまれている?」

 オレは、腕に抱えているムーを見下ろした。

 小さな黒い生き物が、ムーの右腕にガバッと食いついている。閉じた瞳から涙がポロポロとこぼれているところをみると恐怖からのようだ。

 もし、ムーが腕を動かせば、恐怖から腕を噛みちぎる可能性がある。

 ムーの左腕は生き物を支えている。指で印を組むのは不可能だ。

「困ったな」

「困ったしゅ」

 ムーの魔法が使えない。

 落ちたら2人プラス怪しげな生き物が死ぬ。

「この上着が破れたら、落下だな」

「大丈夫しゅ」

 ムーが明るく言った。

「根拠があるのか?」

「その上着には特殊鋼線が仕込まれているしゅ」

 特殊鋼線。

「なんだ、それ?」

「ゾンビも知っているしゅ。表の革と裏地の間に極細の特殊鋼線がメッシュで仕込まれているしゅ。ロック鳥の爪が引っかかったのは革じゃなくて、その鋼線しゅ」

「なんで、そんなものが………あっ」

 この上着をプレゼントしてくれたのは戦闘部隊のロウントゥリー隊長だ。ロウントゥリー隊長はオレを殺すのを楽しみにしている。

 おそらく、この上着に仕込まれた鋼線は、オレがロウントゥリー隊長以外の人間やモンスターに切られるのを防ぐためだ。

「そんなにオレを殺したいのかよ」

「はいしゅ。みんな知ってるしゅ」

 ムーを落とそうとして、思いとどまった。

 いま、落とすと、オレの助かる方法がなくなる。

「このまま、ロック鳥の巣まで運ばれるのかな」

「ならないしゅ」

「わかるのか?」

「鳥しゃんの骨は中空しゅ」

「普通に言えよ。鳥は体重が軽いから空を飛べる。オレ達の重さが加算されたら、長くは飛べない。だろ?」

「どこかに降りるしかないしゅ」

「こいつは、ニダウ周辺のロック鳥じゃないぞ」

「平らなところなら、どこでもいいしゅ。降りるときにボクしゃん達を潰すしゅ。失敗したら、押さえたまま、クチバシで突っついて殺すしゅ」

「どっちもイヤだなぁ」

 呑気に話していたオレ達の身体が、斜めに浮かび上がった。

 ロック鳥が急旋回したのだ。

 遠心力が加ったが、上着は爪から離れない。

 ロック鳥は何度か試した後、今度は進路を北に取り、真っ直ぐに飛び始めた。

 山に向かっている。

 切り立った崖を見つけると、急降下した。

「崖にボクしゃん達をぶつけて、振り落とすつもりしゅ」

「ロック鳥も重いんだろ」

 翼を広げて、ロック鳥は水平飛行に移った。

 崖が、みるみる近づいてくる。

 オレ達の身体が崖にぶつかる寸前、ムーのポシェットから膨らんだ風船のようなものが現れ、崖とオレ達との衝突を防いだ。

 ボョォーーーーーン

 反動でロック鳥は体勢を崩して失速したが、必死に羽ばたいて上空にあがった。

「チェリー、ありがとしゅ」

「いつも悪いな」

 膨らんだチェリースライムは再び縮んで、ムーのポシェットに収まった。

「いいことを思いついたしゅ」

「オレがムーを放す。チェリースライムが風船になって、ムーを受け止める、なら、やめておけ」

「グットアイデアしゅ」

「落下に驚いた黒いチビが、お前の腕を食いちぎってもいいのか?」

「困るしゅ」

「となると、降りる時を見計らって、なんとかするしかないな」

「ウィルしゃん、湖しゅ。降りるかもしゅ」

 エンドリア王国で最大の湖、ミテ湖が遠くに見えた。ミテ湖ならば湖畔に平らな場所がある。

「よし、着地の直前にオレはお前達を落とす。ムーはその黒いチビと一緒にチェリーに受け止めてもらえ」

 2人を放せば、オレの腕が自由になる。すぐに上着を脱いで落下すれば、チェリーに受け止めてもらえる可能性が高い。ロック鳥が攻撃してきても、チェリーに包まれていれば安全だ。

「わかったしゅ」

 ロック鳥は鳥だけあって、水平飛行だけでなく、旋回や上下に移動したりもする。

 乗り心地は悪い。

 吐きそうだと思った頃、ロック鳥が湖畔にある平らな場所を見つけた。

 かなりの早さで降下する。

「そろそろだぞ。準備しておけ」

「オッケーだしゅ」

 森の上空を抜けた。ロック鳥が姿勢を変える。

 地面が近づいてくる。

「くるぞ」

 地面を注視していたときだった。

 バコッ。

「うわぁ!」

「ひよっしゅ!」

 地面が消えた。

 いきなり、直径10メートルを越す円形の穴が開いたのだ。

 オレもムーも驚いたが、ロック鳥はもっと驚いたらしい。必死に羽ばたいて、力業で空に戻った。

「なんだ、あれ」

 地面に穴が開いただけなら、オレもそれほど驚かない。

 穴の中が真っ黒なのだ。

 闇を埋め尽くしたような、漆黒の穴。

「はぅ…しらない……だしゅ」

 なぜか、ムーがしどろもどろに答えた。

「わかっているんだな?」

「ほよよ、しゅ」

 答える気はないらしい。

 ロック鳥は湖畔に降りる気をなくしたらしい。再び、北に向かって飛び始めた。

 ニダウから、遠ざかっていく。

 オレは下を見た。

 穴がなかった。

 漆黒の穴のあった場所は、何もなかったように平らな地面に戻っていた。



 それから、ロック鳥は2回着地を試みたが、着地する直前に黒い穴が開き、着地を断念した。

 飛ぶ力はほとんど残っていないようで、時々失速する。

 ロック鳥は疲れているのに降りられなくて、困っている。

 オレは揺れる飛行に吐きそうで、困っている。

 ムーは左手1本で黒いチビを支えているので、腕がしびれて、黒いチビを落としそうだと困っている。

「困ったよなぁ」

「困ったしゅ」

 困っていたオレ達は、前方に別のロック鳥が飛んでいるのを見つけた。

 前方のロック鳥は元気なようで、オレ達の方に急速に近づいてくる。

 近づいてくると、背中に何か乗せているのが見えた。人だ。年の頃は15、6歳の少女。短い丈の黒いローブを着ている。

 長い金髪を太陽の光でキラキラさせながら、怒鳴った。

「それ、私の。返して!」

「それって、これ?」

 オレは上を指した。

 ロック鳥の飼い主なのか確認した。

「違う、そっち!」

 少女がムーを指した。

「これ?」

 オレがムーを指した。

「ふざけないでよ、その腕に抱えているの!」

「こっちは違うのか?」

 オレは、オレ達をひっかけているロック鳥を指した。

 ソバカスが散った頬を、膨らませた。

 可愛いというより、愛嬌がある顔だ。

「そっちは、お師匠様のロック鳥ー!」

「へぇーーー」

 オレの返事が気に入らなかったらしい。

 いきなり、魔法を打ってきた。

 オレは足で反動をつけて、魔法をギリギリのところで避けた。少女は再び構えた。オレはムーを放すと、ほぼ同時に上着を脱いで落下した。

「いやぁーーー!」

 少女は、乗っていたロック鳥を急降下させた。

 ムー達、オレ、少女の順に落ちている。少女の乗ったロック鳥が速度を上げて、オレの横を通過した。その瞬間、オレは少女のローブをつかみ、ロック鳥の背中に身体を滑らせるようにして、後ろにまたがった。

「きゃぁーーー!」

 オレがつかまっている少女の魔術師が、また悲鳴をあげた。

 ムーの落下が停止した。

 チェリーが縦長の超特大風船になって、落下をくい止めたらしい。地面に近づかなかったため、穴も開いていない。

「それを渡して!」

 少女の伸ばした手を、ムーがバシッと叩いた。

「何をするのよ!」

「ダメしゅ」

 黒いチビは、もうムーの腕をかんではいなかった。ムーのシャツの中に、頭から潜り込もうとジタバタしている。

「渡しなさいよ!」

 少女が魔法を打つ体勢を取った。

 オレはチェリースライムが作った風船に飛び移った。すぐにチェリーが収縮する。木の密集した森の一角に着地。オレとムーは、すぐに逃げようとしたがムーが走れなかった。

「ウィルしゃん!」

 黒いチビがムーのシャツに頭を半分つっこんで、足をバタバタさせている。

 ここでオレが黒いチビを引っこ抜いて、腕に抱えて走れば簡単なのだが、オレが黒いチビに触れた瞬間、地面に穴が開く可能性がある。

「動くなよ!」

 オレは素早く、ムーのシャツを左右に引っ張った。ボタンが全部飛んで、黒いチビが自由になった。落ちそうになったのを、ムーが両腕で受け止めた。

「行くぞ」

 オレがムーを小脇に抱えた。

「はいしゅ」

 黒いチビは、ムーの破れたシャツにしがみついている。

 相変わらす、変な生き物には好かれるらしい。

 少女はロック鳥に乗っている。ロック鳥は巨鳥だから森には入れない。そして、温暖なエンドリアは森の木はでかい。

 エンドリアの住人であることを感謝しながら、森を疾走した。少女はロック鳥に乗って、上空からオレ達を追っているが、木が邪魔でオレ達を襲うことはできない。

「ムー、魔法を使えるか?」

「無理しゅ」

 両腕を交差させて、黒いチビを抱えている。

「その黒い奴だが………」

「お家で一緒に暮らすしゅ」

「ちょっと、待て。『お家』というのは、桃海亭のことか?」

「そうしゅ」

「あいつがいるぞ」

 桃海亭の店員シュデルは、ムーが連れ帰ったドラゴンにもユニコーンにも激怒していた。さらに怪しそうな黒いチビを歓迎するとは思えない。

「可愛いしゅ」

 ムーの言葉を理解したのか、細い尻尾がビチビチと動いた。

 森から森に移動すれば、ロック鳥の攻撃からは逃げられるが、乗っている魔術師がいつまでもおとなしく見ているとは思えない。

「ここの正確な位置がわかれば………」

 行く手の森が吹き飛んだ。

 上空に、黒いローブを着た壮年の男の魔術師が浮かんでいた。

 感情のない目でオレ達を見下ろしている。

「何をしている」

「すみませーん」

 答えたのはロック鳥に乗っている少女の魔術師。

「回収を急げ」

「はぁーい!」

 オレ達の前方、木々が消失した地面に、ロック鳥が降り立った。

 ムーが、抱えている黒いチビに言った。

「頭でいいしゅか?」

 黒いチビは器用によじ登って、ムーの頭頂部に移動した。

 少女の魔術師がスキップをしながら近づいてきた。

「ねえ、渡して?」

「イヤしゅ」

「力ずくで、取っちゃうから」

「イヤしゅ」

「子供に痛いことしたくなんだけどなぁ」

 少女が笑いながらムーに言った。

 モジャモジャ頭には黒いチビを乗せている。破けたシャツに、イカっ腹の幼児体型。

 森で遊んでいる幼児にしか見えない。

「子供でも、手加減しないぞ~」

 近づいてくる少女のローブだが、丈が短いのではなく、破けているのだというのがわかった。膝上まで見えるという豪快な破れ方だ。

 オレはため息をついた。

「なによ。私だって好きでやるわけじゃないんだから」

 ムーを捕まえようと両手をあげた少女が、口をとがらせた。

「聞いていいか?」

 オレの問いに答えようか、迷っている。

 待つのも面倒なので、質問した。

「召喚したのは誰なんだ?」

「えっ、なんでわかるの?」

 演技でなく、本当に驚いているようだ。

 尻尾の先についている三角を見れば、子供でも召喚モンスターだとわかる。

「召喚に成功したんだろ?それなら、力ずくで取り上げなくても呼べばくるだろ」

「あ、そうよね」

 両手を黒いチビの方に差し出した。

「おいで、おいで」

 黒いチビは完全無視だ。

 少女は困った顔を、オレに向けた。

「わかっただろ?召喚は失敗だったんだ。このチビはあきらめて、さっさと帰った方がいい」

 少女は振り向いた。

 壮年の魔術師が、宝石のはめ込まれた杖を掲げた。

 宝石から吹き出した業火が渦巻いてオレ達に襲いかかった。

 パン!

 小さな音がして、炎が消えた。

 壮年の魔術師に一番近い位置にいた少女に、炎が届く直前だった。

 呆然とした少女が、つぶやくように言った。

「お師匠様……なんで」

 呆然としたのは師匠の方も同じだったようだ。

 手にした杖を持ち上げた。ロットナンバーを確認している。

 遠目だったがオレにはわかった。

 炎攻撃系のロッドSVシリーズの最高級、SV9800ロッドだ。オプションが豊富で見栄えもいいので、金のある魔術師に人気のシリーズだ。中古市場にはほとんど出回らない。

 ロッドを置いて逃げてくれると、オレは笑顔で桃海亭に帰れる。

 まだ、師匠をみている少女に言った。

「逃げた方がいいぞ」

「どうして?」

 状況を理解していないらしい。

 オレはムーを指した。

「こいつの名は、ムー・ペトリ」

 少女はムーを見た。そして、プッと吹き出した。

「髪は白いよね」

 ムーの頬が膨らんだ。

「ボクしゃん、天才ムー・ペトリしゅ!」

 少女が腹を押さえて「あははっ」と大笑いをした。ひとしきり笑った後、目に浮かんだ涙を指で拭った。

「ごめんごめん、可愛いムー・ペトリだね」

 ムーが頬をぱんぱんに膨らませている。

「おい、あんたの師匠が魔法を撃つぞ」

 少女に注意を促した。

 壮年の魔術師がロッドを掲げた。宝石の周りに炎が生き物のようにまとわりつく。すぐに撃たないところみると、圧縮しているのだろう。

 顔がこわばった少女の腕をひっぱった。

「あっちの森に逃げろ。全力だ」

 少女の目が動いた。視線の先にいたのは少女が乗ってきたロック鳥。

「ロック鳥は上空に逃がせ。急げ」

 緊迫が伝わったのだろう。

 少女は森に向かって走りながら、指笛を吹いた。壮年の魔術師の側にいたロック鳥が飛び上がった。

 時間はほとんど残されていないが、もうひとり逃がさなければならない奴がいた。

「逃げろ。すぐにだ」

 オレは壮年の魔術師に言った。

 ささやかな希望も付け加えた。

「手に持っているSV9800は置いていったほうがいい」

 壮年の魔術師は表情を変えず、炎がまとわりついたロッドを、オレ達の方に向けた。

 深紅の炎がほとばしった。

 パン!

 小さな破裂音。

 SV9800から噴出していた炎は、消えていた。

「………どういうことだ」

「説明しただろ」

 オレはムーを指した。

「こいつはムー・ペトリなんだ」

「ムー・ペトリが炎を消したのか?」

 淡々とした抑揚のない話し方は、まるで機械がしゃべっているかのようだ。

「まだ、わからないのか?」

「お前か?」

 オレを見た。

 魔術師の中には魔法協会に属さず、一般人と同じ格好をしている魔術師もいる。だから、聞いたのだろう。

「オレは魔法を使えない」

 壮年の魔術師の額に縦ジワが寄った。

「召喚は失敗したのか………」

 オレ達に聞くと言うより、自分で確認するかのような呟きだった。

 オレはもう一度、言った。

「逃げろ」

「試させろ」

 壮年の魔術師はそう言うと、ロッドを投げ捨て、指で印を結んだ。小声で何かを詠唱している。

 地面に転がった高級ロッド。

 いま拾うべきか。あとにしたほうがいいのか。

 地面に転がしておいたら、壊れる可能性がある。

 いま拾って、片手を塞がれたくない。

 だが、古魔法道具店の店主としては、高額商品が転がっているのを見過ごすことはできない。

 オレは決心した。

 慎重に壮年の魔術師の側に近づく。

 詠唱が聞こえた。

 聞き覚えがある。

 ニダウ聖教会のドレイパー神父が唱えていた。だから、白魔法だ。黒いローブを着ているが、白魔法も使えるらしい。

 オレは音を立てないように気をつけて、ロッドを拾い、抜き足差し足で茂みのところまで移動すると、枝が密集した場所にそっと置いた。

 場所を覚えて、あとで回収すればいい。

 詠唱が終わり、壮年の魔術師が白い光の魔法を撃った。

 パン!

 ムーにぶつかる直前で消えた。

 壮年の魔術師がムーを見た。

「なぜ、消す?」

「アホしゅ」

 ムーがせせら笑った。

 壮年の魔術師は、大股でムーに近づくと手を振り上げた。オレはその腕をつかんだ。

「やめろよ」

「なぜ、とめる?」

「ムーが正しいからだ」

 オレの言葉の意味に気がついたのだろう。

 壮年の魔術師が黒いチビを見た。

 オレはつかんでいる腕を引っ張るようにして、魔術師を地面に転がした。直後、魔術師がいた空間が弾けた。

 パン!

「………なぜ」

「考えている間に逃げたほうがよくないか?」

 魔術師が立ち上がろうとした。が、立てない。もがいている姿からすると、腰が抜けているようだ。

「ほら、立てよ」

 つかんでいる腕を引っ張った。

 オレに引っ張られて立ち上がったが、膝はガクガク、手を離せば、すぐにうずくまりそうだ。

「自分が何をしたのかわかっているのか?」

「………召喚。悪魔を召喚しただけだ」

 オレは首を傾げた。

 悪魔の助力を請うタイプには見えない。

「何を願うつもりだったんだ?」

「違う」

 壮年の魔術師は、少女が逃げていった森を見た。

「学校の進級テストだ」

「はぁ?」

「私は魔法学校で教師をしている」

 静かに、だが、早口で壮年の魔術師は話し始めた。

「進級試験のひとつに、悪魔召喚がある。疑似魂を使用しての下級悪魔を呼ぶのだ」

「さっきの少女の試験だったのか?」

 壮年の魔術師はうなずいた。

「彼女ひとりしかいないのは、追試だからだ」

 ソバカス少女、これで落第は決定だろう。

「頼みがある」

 壮年の魔術師がオレの腕を握った。

「私はどうなってもいい。あの子だけは守ってくれ」

 見た目は冷たそうだが、中身はまともな教師らしい。

「私の魔術師としての力量では、不可能だ」

「状況がわかっているみたいだな」

 壮年の魔術師は小さくうなずくと、ムーの頭に乗っている黒いチビを見た。

「あの子はとんでもないものを召喚したらしい」

 魔術師の額にシワが寄った。

「追試に使用していた魔法陣が壊れ、その直後の出現したのだ。我々が驚いている間にロック鳥がくわえて飛び立った。あのときに気づくべきだった」

 オレを支えにして、魔術師が頭をさげた。

「巻き込んで、申し訳ない」

 オレはため息をついた。

「先生の話が本当なら、巻き込んだのはオレ達かもしれない」

 魔術師が顔を上げた。

「どういうことだ?」

「召喚は失敗だったんだろ?つまり、召喚の時に一瞬開いた道を使って、出てきたんだろ?出現した姿が、本来の姿でなく、姿を変えてでてこられるとなると、自力でも出てこられる力を持った上級悪魔ってことだろ?」

「そうだと思う」

「いや、オレは先生に言っているんじゃない」

 振り向いた。

「ムー、気づいていて、黙っていたな」

 ムーがニマァとした。

「もちろんしゅ。最初から気づいていたしゅ」

「お前、悪魔と暮らすつもりかよ」

「動物でないしゅから、ゾンビも大丈夫しゅ」

 居候くせに、勝手なことを言うな。

 そう、怒鳴ろうとして気がついた。

 黒いチビがオレを見ている。

 オレは魔術師の手をソッとひきはなすと、黒いチビに向かって恭しくお辞儀をした。

「お初にお目にかかります。ウィル・バーカーと申します」

 黒いチビの口角がつりあがった。

 可愛らしいという印象が消し飛び、異様な面体になった。

「やはり、お主がウィル・バーカーか」

 シワガレた声だった。老人の声というのは違う。厚手の紙をこすったときに出る音に近い。

 チビの目が、カッと見開いた。

 オレは壮年の魔術師の腕をつかむと、身体を半回転させて投げ飛ばした。投げ飛ばす勢いを利用して、オレもジャンプした。横に5メートルくら飛び、両手から地面につき、身体を回転させて立ち上がった。

 魔術師は地面にうつ伏せだ。顔面から着地したようだが、許してくれるだろう。

 なにせ、オレと魔術師が飛ぶ前に立っていた場所は、底が見えない漆黒の穴が開いているのだ。

「いつ気がついた」

「奇妙に思ったのは、ムーが『頭でいいしゅか?』と言って、あなた様が移動されたときです。それまでは、召喚された上級悪魔の子供だと信じておりました」

 悪魔が言葉を理解することは珍しくない。オレがひっかかったのは、ムーが悪魔に丁寧な言葉を使っていたからだ。そして、それよりも気になったのは。

「脅えている悪魔の子供でしたら服にしがみつき、無防備になる頭には移動はしないのではないかと推察いたしました」

「つまらぬミスをしたな」

「確信したのは、あなた様が魔術師の炎を防がれたからです」

「ムー・ペトリだとは思わなかったのか?」

「ムーは不器用なのです」

 正しくは、魔力をうまく制御できない、だ。

 ムーが弾こうとしたら、魔術師だけでなく、周囲10メートルは弾け飛んでしまう。だから、ムーは結界で対処する。結界なら、多少でかくても影響が少ないからだ。

 黒いチビの口が開いた。

 オレは前方に飛んだ。手を突いて前転で勢いを殺し、立ち上がった。

「いいぞ、いい」

 黒いチビが掠れた声で笑った。

 オレの立っていた場所から遙か彼方まで、地面が黒く焦げている。見えなかったが、口から何か吹いたのだろう。

「お気に召していただけましてでしょうか?」

 SV9800ロッドを隠した茂みも消えていた。高額商品があった場所には焦げた地面しか残っていない。

「我と来ぬか?」

 オレは深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。心躍る申し出でございますが、私のような卑賤な者は、ここで皆様の見せ物となる程度の器量しかございません。いましばらくはここにて皆様のご来訪をお待ちしたいと思っております」

 黒いチビは下を向いて、ムーに聞いた。

「来るか?」

 オレは祈った。

 魔界だが、冥界だがしらないが、行ってくれ。

「もっと、ウィルしゃんと遊ぶしゅ」

 オレはつきそうになったため息を飲み込んだ。

 絶望は、息をするより身近だ。

「また、遊びに来よう」

 黒いチビが消えた。

 同時に地面に開いていた穴も消えた。

 オレはムーに走り寄ると、尻を蹴飛ばした。

「痛いしゅ!」

「バカ野郎!ありゃ、とんでもないレベルだぞ!」

「はいだしゅ」

「72将か!それとも、もっと上の…………」

 背中に冷や汗が流れた。

「秘密しゅ」

 笑顔のムーが怪しい。

 動く気配が後ろでした。

 振り向くと、魔術師が立ち上がっていた。顔面が縦にすりむけているが、深い傷はなさそうだ。

「助けてもらって礼を言う」

「いや、悪いのはこいつだから」

 オレはムーを指した。

「ボクしゃん、関係ないしゅ」

「自分でわかっているだろ!」

 拳を固めたオレに、遠慮がちなに魔術師が聞いてきた。

「説明していただきたいのだが、よろしいか?」

 オレは拳をおろした。

 先日、ムーがストラスという72将とかに入る偉い悪魔を呼び出した。その関係で、時々、オレとムーを見物に悪魔が桃海亭にやってくる。目的がオレとムーの見物だから、特に悪さもしない。来るのも、中級悪魔がほとんどで、今回ほどの大物が来たことはない。桃海亭にはムーを始めとして、ハニマン爺さんや賢者ダップなどという大物魔術師がいることも多く、いざとなれば、モジャという超生命体も控えている。だから、ストラス本人がやってきた最初の見物以外は、問題になったことはなかった。

 黒いチビの姿をした悪魔は、オレとムーを見に来た。

 魔術師に真実を教えれば、魔法協会から呼び出しが来るのは確実だ。なにより、オレは魔法協会に大物悪魔が来たことを知られたくない。

 オレは笑顔で、ムーの頭をポンポンと軽く叩いた。

「あの悪魔はこいつの友達で、オレ達に会いに来たんです。巻き込んで、すみませんでした」

「すみませんでしゅ」

 ムーもペコリと頭を下げた。

 壮年の魔術師は腑に落ちない顔をしていたが、追求しないほうがいいと大人の判断をしたのだろう。オレ達に礼を言うと、少女が逃げた森の方に歩いていった。

「帰るか」

「はいしゅ」

 歩いて帰るには、いささか遠い。しかたなく、ムーのフライでミテ湖に着水。服を乾かしながら、店に戻った。

 疲れ切って店に戻ったオレ達は、木製のペーパーナイフを手にしたシュデルに怒鳴られた。

「半日かかって、ムクの葉1枚取ってこれないのですか!」




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