お見舞い
針葉樹林の生い茂る深い森の中。およそ人が立ち寄れないであろうその場所にポツリと一つ小屋があった。
「起きなさい、、、起きなさい、赤ずきん」
木造の部屋の中、背の高い女はベットで安眠を貪る少女に優しく声をかけた。
「……まだ眠い、もう少しだけ」
赤ずきんと呼ばれる少女は、彼女の声に耳を傾ける事はなく、絶対に起きまいと毛布の中に隠れてしまう。
「お母さんの言うこと聞いてくれないの?」
「うーっ……」
「起きないと、森に住む狼たちに食べられてしまうわよ」
二度三度ねがえりを打つ少女の耳元で、彼女はそう囁く。
「!」
すると、冷たい水を浴びた猫のように、少女は体を急に起こした。窓から出る光が少女の顔を照らす。薄いベージュ色の、寝起きで乱れてはいるが、羊の毛糸のように柔らかな髪と瑠璃石のような深い青の瞳が陽の光を浴びて輝く‐‐その容姿はとても美しく可憐であった。
「いい子にしていれば狼はやってこないし、食べられないわ」
「本当に?」
赤ずきんは眼をうるうるさせながら必死に訴えかける。獰猛な牙を持ち、鬼のような鋭い眼光を持つそれが少女に恐怖を与えるのに十分なものであろう。
「本当よ。さあ早く顔を洗ってきなさい、今日は大事な話があるのよ、、、」
彼女は眼をこすりながらウトウトしている赤ずきんにそう言う。
「大事な話?」
「そうよ、とても大事な話よ」
そう話す彼女の表情は少し暗く、良くないことがあったのだと赤ずきんは幼いながらも察することができた。
彼女は話し終わると、部屋から出ていった。 赤ずきんは朝の身支度をするべく、部屋の隅にあるタンスに向かう。タンスの引き出しを開けて、ドロワーズといった下着類や、紅と白色のゴシックドレスを一着ずつ右腕にかける。それからタンスのすぐ横隣にある、ハンガーポールにかけてあるーー深い紅色の頭巾も腕にかけた。
その後、服装の準備をし終えた赤ずきんは洗面所に向かった。洗面所は少女のいた部屋の隣にあり、扉からすぐ出て狭い廊下を歩けばすぐに着いた。
扉を開け、少女はまず最初に腕にかけてある衣類を洗面台の下にある大きな棚に入れた。
洗面台の横隣には、少女の背丈よりも一回り大きな桶がある。次に少女は桶の中に水がある事を確認し、横に浮いてある小さな桶で水をすくい、大きな桶の横にある洗面台にそれをコトンと置いた。
冷たい。桶に両手を沈め水をすくった時、彼女の口から無意識にそんな言葉が漏れる。すくった水で顔を二、三回洗うと、洗面台にもともと仕舞われてあったフェイスタオルを使い顔を拭いた。
乱れた髪の毛を赤色の櫛で丁寧に梳かし、洗面台の下に置いた衣類を順番に着ていく。
これでよし。と、最後に洗面台の上に置いてある桶を片付けて部屋を出た。
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「お婆様がご病気で倒れてしまったの」
場所はダイニングルーム。椅子に座り朝食をとっている赤ずきんに対して彼女の母はそういった。やはり寝室にいた時と同じように、何か暗雲がかかているような曇りの表情をしていた。
「そんな……嘘!この前会った時はとても元気だったのに……」
食事の手がピタリと止まる。
どうしても理解できないと苦悶の表情を浮かべる赤ずきん。それは少女にとって余りにも悲しい知らせだった。
森の中に住む赤ずきんは母とお婆様以外の人間と触れ合ったことが一度もない。いつも本を読むか外で動物たちと遊ぶだけで同い年の友達すらいない。
それでも赤ずきんは寂しいと感じたことは一度もなかった‐‐それはそもそも少女が人とのふれあいに関して疎いと理由もあるが、それを必要とさせないくらい母とお婆様に大切にされているからだった。
「お婆様……」
「そんなに悲しまないで、あなたがお見舞いに行けばきっと元気になってくれるわ」
俯く赤ずきんの頭を優しく彼女は撫でた。
「私はお婆様のご病気がよくなる様に薬を作くるわ、赤ずきん一人でも大丈夫かしら?」
「うん、行けるよ」
短く返事を返す赤ずきん。
「いい子ね、そうそうお外に出る前に二つだけ守ってほしいことがあるわ」
「守ること?」
「そうよ、まずお婆様にご病気の話はしちゃだめよ。お婆様のご病気はとても悪いものだから心配させてはいけないわ」
「うん」
「それと、森の中はとても危険だから寄り道してはしないでね。特に狼には気を付けなさい。何をするか分からないから近寄っては行けませんよ」
「分かった」
少女は母の言う事を聞くと朝食を再び食べ始めた。早くお婆様に会いたいという気持ちが少女にあったからだろうか、朝食は少し冷たくなっていたが、少しも赤ずきんは気にすることはなかった。
「ご馳走様でした」
少女は朝食を完食すると、テーブルの上のからの皿をそそくさと洗い場に置く。そのあと再び洗面所に向かうために狭い廊下を渡る。洗面所に着くと洗面台の棚から歯ブラシと粉状の歯磨剤が入った缶を取り出し、大桶から口を濯ぐための水を汲み、歯を磨いた。
「お菓子と葡萄酒を用意したから、持って行ってちょうだい」
歯を磨きダイニングルームに戻ると赤ずきんの母はそう言ってバスケットを赤ずきんに渡した。
「気をつけるのよ」
彼女は家から出ようとする赤ずきんを優しく抱擁する。突然の抱擁に少女は少し驚いたが、同じく優しく抱擁し返す。
「どうして泣いてるの?」
抱擁を終え、離れた赤ずきんの母の顔にはくっきりと涙の跡があった。
「何でもないわ、気にしないで」
病気で倒れたお婆様の様態が本当は宜しくないのか、赤ずきんを危ない森に行かせるのが嫌だったのか‐‐その涙の理由を赤ずきんははっきりと理解することはできなかった。
「すぐに帰ってくるから、大丈夫だよ」
赤ずきんは彼女の頬から流れる涙を拭いそう言う。
「行ってきます、お母さん」
古びた玄関の扉を開けて赤ずきんは家を出た。