【魔術鍛練】
いつもより長いです。
盗賊騒ぎがあった後。
道の途中に生える木陰にて。
「なあ、桜庭さん」
「何かしら? 月無くん」
昼食のために摘み採ってきた、紫に黄の斑点が浮かんだ毒々しい色の木の実を食べながら、白斗と澪は話していた。
ちなみに、お金を稼いでから前の町を出たはずなのに、また木の実を食べているのは旅のために買い溜めた食料が無くなってしまったからだ。
思っていたよりも次の町につくまでに掛かる時間が長く、結局冒険者として働いてお金を稼ぐ以前と何ら変わらない状況に陥ってしまった。
高校では魔術を学んでいた二人だが、さすがに旅の仕方や旅における常識などは一切しらないので、そう簡単には慣れないようだ。
今食べている木の実も、一応食べられるかどうかというのは生活魔術“毒味”によって事前に確認しているので安全確保はされていたが、味の保証はされておらず、あまりの渋さに顔をしかめたまま話している。
「突然で申し訳ないんだが……」
「ええ」
「……魔物って怖くない?」
「……本当に突然ね」
「で、どうよ。桜庭さんは平気なのか? ものすごい形相で自分を狩りにくる奴らと戦うの怖くないか?」
「それはもちろん、私だって怖いに決まってるわ。でもそれは……仕方ないし、どうしようもないじゃない。私たちが生きるためには彼らと戦わなければならないし、彼らもまた、生きるためには私たちと戦わなければならないのだし」
「だよなー」
「それで?」
「ん?」
「突然そんな質問をしてきてどうしたのよ?」
「あー、いや。ちょっとな。今さらだけど、結構危ないことしてんなー、みたいなことを思っただけで……」
白斗がこの質問をしたのは、彼の言う通り特別な理由があったわけではない。
これは彼の座右の銘――というか何というか……とにかく、彼の行動の根底にあるもの“三十六計、逃げ一択”から考えると、今の生活は甚だおかしいのではないかという今更ながらの思考に基づいている。
今は不可抗力で異世界に取り残されたために仕方なく魔物との戦闘などの危険な行為を余儀なくされているが、もともと白斗は臆病で消極的な人物なのだ。間違っても自ら力を奮うような男ではない。
しかしすでに約4ヶ月。毎日とは言わないが戦い続けている。理由がわかるはずもないが、なぜ自分がこんな危険な生活を送らなければならなくなったのか、ふと考えてしまったのだ。
「……よし」
何か自分に気合いを入れるように、白斗は自身の頬をパンッと叩いて立ち上がった。
「今度はどうしたのかしら?」
「まだ俺たちは死ぬわけにはいかないだろ? と言うことで、魔術の練習でもしようかと」
「どこか行くの?」
「ああ。ちょっと、そこら辺のところで練習してくる」
「そう、わかったわ。私はもう少しここで涼んでいるから。いってらっしゃい」
「おう。行ってくる」
白斗は森の中へと入っていく。
背の高い草や木の枝を掻き分けながら進む。
すると2、3分ほど歩いたところで森が開けた場所に出た。
その広場の中心には綺麗な池があるようだ。小さな動物が集まって水に顔をつけているのが見える。
そんな長閑な雰囲気の場所で魔法をぶっ放つのはさすがに忍びないので、今回は魔力制御の鍛練をすることにした。
魔力制御。
これは魔術師にとって基本中の基本にして、最重要な項目だと言ってもいいほどのものである。
名前の通り、これは魔力を制御する鍛練ではあるが、これを完璧にやり遂げることができれば、魔術そのものを完全に使いこなせることになる。そうすれば、魔術の威力も消費魔力の効率も数段上がるのだ。
しかし、それを完全に修得することは非常に難しい。ほとんどの魔術師はこれを会得することができぬままに、その生涯を終えている。ただ、だからと言ってその鍛錬方法が難しいというわけではない。
白斗はその場に腰を下ろし、正しく座禅を組んで目を瞑る。
「すーーーっふーーーっ」
静かに深呼吸をして肺の空気を清んだものに入れ替える。
そして意識を腹の底へと集中させた。
腹の底――正確には丹田と呼ばれる場所――に全身のエネルギーを集めるようにして力を籠める。
丹田に渦巻く力は魔力。血流に乗って流れる魔力を意図的に一か所に纏めるのだ。
以上。ひとまず魔力の鍛錬の第一段階はこれで終了だ。
「そんなに簡単なのか? それなら誰でも習得できるんじゃ……」と思う人も多いかもしれないが、実際これをするの自体は比較的簡単だ。
しかし、魔力を全て集めるというのが物凄く難しい。
そもそも。
前提として、魔力というのは全身を隈無く流れている。
ちなみに魔力の産み出される器官は魔力炉心、魔力の流れる場所は魔力管、総じて魔力回路と呼称される。
これらの器官は実際に存在するわけではなく、しかしこれがないと説明がつかないことがいくつかある。
それゆえに、魔力回路を考えるときは暫定的に血流を用いる。
さて。さっそく血流で説明する。
魔力を一点に集中させるということは、血流に逆らい無理矢理に魔力を動かさなければならないということだ。しかしその際にはどうしても、少なくない魔力が血に押し流されてしまう。
だから、魔力をもれなく全て集めるというのは難しく、だからこそそれができれば繊細な魔力操作を可能とし、それに従って魔術を己の手足の如く操ることができるようになるのだ。
10分弱座禅を続けた白斗はそれを解いてその場に立ち上がった。
そのまま指先を上に向ける。
「生み出すは風、塊の風、我が風球にて敵を切り刻まん、‘‘疾風球’’」
言の葉の結びと同時に、人差し指の先に小さめの球体が出来上がる。
魔力制御の鍛練における第二段階。魔力量の調節だ。
魔術というのは魔力によって大気中の魔素の変質を促して引き起こすものだ。ゆえに、それによって消費する魔力の量を変化させれば、必然的に魔術も変化する。
その変化とは魔術の規模であり、威力であり、そもそも全く異なる魔術になる場合もある。つまり、注ぐ魔力は多ければ多いほど良いというわけでは必ずしもなく、むしろ少ない方が都合が良いということもかなり多い。と言っても、著しく異なる魔術への変化や上位魔術への進化――下級魔術が中級魔術に及ぶ威力や規模になること――はない。せいぜいが一つの火球を生み出す魔術の開発中に、同じ魔力量で複数の小さい火球を生み出す魔術ができるなんて程度だ。これでも世界を揺るがすのに充分な発明足りうるのだが。
とにかく言いたいのは、魔術を用いる上で魔力量の調節をすることは、これもまた非常に重要なことなのだ、ということだ。そしてそれを、鍛練の第二段階では行う。
蛇足だが、この鍛練の際には普通、初級魔術を唱える。至って単純な理由なのだが、その方が消費魔力は少なくて済むのに加えて、鍛練する場所を選ばないのだ。
話を戻そう。
「野球ボールくらいの大きさから、サッカーボールくらいの大きさに……」
まずは魔術に注ぐ魔力を単純に増やす。
これによって魔術に与えられる変化は、魔術の規模拡大。
「それから今度は、はじめよりも小さく……」
次に行うのは魔術の圧縮。
これによって魔術に与えられる変化は、魔術の威力増大および規模縮小。
圧力について想像すれば簡単だろう。圧力というのは、〔かかる力〕/〔面積〕という計算から求まる。この公式にしたがって、圧縮によって魔術が小さくなった分だけその効果がおよぶ範囲が狭くなり、さらにその分だけ反比例して威力が上がるのだ。
問題はそこではなく。
実は魔術を圧縮するのにも、新たに追加で魔力を消費する必要があるという点だ。
一点集中で攻撃すればいいときには魔術の圧縮が有効だが、広範囲に攻撃する必要があるときには不便である。言うまでもなく、広域魔術や上位魔術を圧縮する際には必要な魔力が二次関数的に増加し、よほどの魔力を持っていなければ耐えられないのだ。
以前にも言ったが、魔力は人の生命を維持するのに必要不可欠なエネルギーなのだ。あまりに多くの魔力を急に消費してしまうと術者は再訂でも気絶、最悪の場合は死にも至ることがある。
そのため、魔術の圧縮も軽々と行えるものではない。と言っても、初級魔術ならそこまで危惧する必要はないのだが。
「これを」
だからと言って魔術の過度の圧縮は厳禁だ。
これは魔術師なら誰でも常識として知っていることなのだが、魔力の過剰供給――魔術に注ぐ魔力を増やした場合は魔術の圧縮は行ってはならない。国の法によっても禁止されている。
風船を想像したら簡単か。
普通よりも多くの空気を吹き込んでパンパンに膨らんだそれを、さらに外から力を掛ければどうなるか。当然、弾ける。
風船を魔術。魔力を空気とすればわかる。
本来必要な魔力量を超えて送り込むことは、風船を無理やり膨らませ続けることと何ら変わりない。それに加えて、さらに力を加えれば……魔術が暴発するのは必至だ。
だというのに、意味のわからないところで蛮勇を発揮した白斗は過剰供給と圧縮の併用を行った。
多分に魔力を注ぎ込んだ上でさらにビー玉ほどまで圧縮した“疾風球”は小刻みに震え、今にも破裂しそうになっている。この状態で維持できている時点で奇跡だ。僅かでも魔力量や圧力がことなれば、すでに白斗は木っ端微塵になっていただろう。
それを見て「やばい……!」と今さら危機感を覚えた白斗は、少しばかり離れた木へと指を向ける。
「いけっ!」
魔術を起動した、その瞬間。
――――ィィィィンンッッ!!
微かな風切り音だけを残したまま目にも留まらぬ速さで、いずこかへと消え去った――無数の木々を貫いて。
「……ん?」
なんとなく、相当な量の魔力を注ぎ込んでみた初級魔術は、明かに初級魔術の枠に収まらないものへと進化を遂げていた。
魔術師の常識として上位魔術への進化はあり得ないのだが「上級魔術みたいだな……」などと他人事のように呟く白斗。
……魔術の革命が起きた瞬間だった。




