【村長と魔術師2】
ロウエンは森をひたすら東に飛んでいた。
案内させた青年は遥か後ろ。全く見えなくなった。
家を飛び出してからすでに3時間が経過し、元から薄暗い森は沈み始めた太陽のせいで一層暗くなり始めた。
視界も暗闇に慣れて次第に見えるようになってきた。
樹精に方角を訊いて弾丸のような速度で飛んできてからももう2時間が経過している――が、カレンを見つけることは叶わず、その手がかりとなるものの一切も発見には至れていない。
捜索対象であるカレンは攫われた。
彼女の身は危険に晒され続け、生死も不明だ。果たして生きているのか、無事なのか……。祈ることしか叶わない現状。しかし時間を刻めば刻むほど、彼女の無事を求める祈りは叶う可能性を失っていくのは必然であった。
「カレェーーンッッ!!」
叫ぶ。あらん限りの声で彼女の名を叫ぶ。
どこにいても自らの声が届くように。
願わくば返事があって、彼女の居場所が分かるように。
ひたすら叫ぶ。
何度も繰り返し、叫ぶ。
しかしどれだけ繰り返そうと、どれだけ時間が経とうとも変化は起こらない。
望むものは何も返ってこなかった。
ふと空を見上げれば、いつの間にか夜の帳が落ちている。
ロウエンは声には出さなくとも理解していた。
――――カレンの救出は絶望的だ
と。
そこで何となく思った。
なぜ自分はここで探していたのか、と。
それは樹精に言われたからだ。
そしてその時の状況をぼーっと思い浮かべる。
樹精にカレンの居場所を尋ね。
樹精は考えた後に東と言って。
自分はその後それを遮って――――。
「遮って!?」
意気消沈して下げていた顔をバッと上げる。
樹精の声を遮った。言葉の途中で魔術を切った。
その事実に頭がくらりと揺れる。脳がかき混ぜられたような、鈍器で思いっきり殴られたような衝撃を与えられた。
「なんてことを――ッ!」
ロウエンは西に向かって、文字通り飛び出した。
‘‘樹精の言葉を遮る’’
この行為は樹精と会話する際の禁忌とも呼ばれる行為だ。
樹精は数千年の命と強大なる力を持つ、人間の圧倒的上位の存在である。
それ故に魔術を用いてであっても、樹精が人と言葉を交わしてくれるというのは他にも数多にいるじ上位の存在の中でも非常に珍しく、異質であった。
しかしそんな樹精にも、他の上位の存在と共通する点があった。
それは、プライドの高さ。
己が強者であるということへの自負から彼らは例外なくプライドが高く、総じて下位の存在からの礼を失した行為を嫌う。
その為、典型的な無礼な行為であるそれは容易く樹精を怒らせる。
これによって怒った上位の存在がとる行動は異なり、破壊をまき散らしたり暴虐の限りをつくしたり、はたまた下位の存在を諭したり、など様々だ。
そんな中樹精は、人を欺く。
ロウエンは自分が礼を失してしまったばかりに、樹精に騙され、カレンの救出を阻害されてしまったのだ。
カレンを探すため早く早くと焦って無礼を働き、却って無駄に時間がかかってしまった。
――――本末転倒。
ロウエンは自嘲気味に呟く。
まさにその言葉の通りだった。
助けたいがために焦り、焦ったがために助けられない。
あの時しっかりとしていれば。
もっと冷静になっていれば。
いや、そもそも攫われるようなことがないようにしておけば……。
益体もない考えが堂々巡りをしている。
「いや」
深みに陥っていく思考を気合一つで無理やりに引き上げる。
まだ、カレンが死んでしまったとは限らない。
心は傷つき廃れてしまっているかもしれないが、それでも彼女はまだ8歳。
まだまだ子供、人生は長い。
生きてさえいれば、命さえ無事であれば、時間をかけて治すこともできるだろう。
傷は残るだろうが、普通の生活に戻すこともできるだろう。
もしそれができなくても自分が生きている間は世話をすればいい。
仕事も何もしなくていい。ただ生きていてほしい。
カレンの無事を祈り、ロウエンは思った。
「すぐに行く。それまで耐えてくれ、カレンッ!」
全力で向かう。西へ西へと飛んでいく。
失った時間を、無駄にした時間を少しでも取り戻せるように。
必死に飛ぶ。
必死に進む。
必死に探し回る。
そして。
「見つけた……」
森の西奥。
隠れるにはもってこいの洞窟を見つけ出した。
恐らくここだろうと半ば確信した当たりをつけて見ると、その洞窟へと続く道には何かに踏まれて折られた草や侵入者の行く手を阻む罠がいくつも見つかった。
が、そのどれもが手慣れた感じで設置されている。
足跡なども最低限で、罠も巧妙に隠されて自然に仕掛けられていた。幾度も戦争を経験しているロウエンをして唸らせるほどの鮮やかさである。
まずい、直感的にそう感じた。
てっきりどこかの盗賊かなんかに連れていかれたのだと勝手に思っていた。だが違う。
これは、計画的な犯行の可能性も出てきた。
これを見る限り、敵は間違いなく手練れ。カレンを発見して、果たして老いぼれの自分がそれを打ち破り、連れ帰ることができるか……。
「……考えても仕方ない」
洞窟へと足を進める。
慎重にしかし急いで。
それでいて、同じ失敗を繰り返さないように冷静さは失わない。
洞窟の入り口。
草の茂っていたそれまでとは違って岩肌が露わとなっている。
日も沈み辺りは暗くなっているが洞窟内部はそれ以上に暗く、闇に飲み込まれている。
中に入って静かに進む。
ひんやりとした空気が肺に入ってきて身震いしそうになる。
冷気のせいで鼻奥が痛い。
音をたてないように、この環境によってボロを出さないように忍び足で歩く。
それでも完全には音を消せず、微かに地を擦る音が鳴る。
異様な静けさに響く唯一のその音に言いようのない不安が掻き立てられる。
今すぐにも逃げ出したい。
静寂に広がる音が後に来る嵐を迎えるための前奏のように聴こえる。
息が詰まる。
立ち止まりそうになる。
それでも進む。
確実に、一歩一歩踏みしめる。
やがて、視線の先。
仄かに輝く光。
暗闇を打ち払う光が、今のロウエンには絶望の光に見えた。
あの先に、自分が求めるものがあるはずだ。
どうしようもない不安を抑え込み、踏み出す。
自らの足音に声が混ざり始めた。
小さいが、男の声だ。それも複数。
その中にひとり、彼女がいるのだと思うと……耐えられない。
不安が体の中から消え去り瞬間的に、怒りで頭が沸騰する。
足音も気にせず、駆けだす。
光の中に一気に飛び込んだ。
「カレンッ! カレンッ!!」
洞窟、室内。
視界の中心には男が3人。
「おいっ! 誰だお前っ!」
武器を取っている。
無視だ。カレンじゃない。
周囲を見回す。
右、いない。
正面奥、いない。
左――――いた。
「カレンッ!」
手足を縛られて目隠しと猿轡をされ、硬い地面に転がされている。
地面に擦れて切り傷などはあるものの、それ以外の傷はほとんどない。
誘拐された時も抵抗する間もなかったのだろう。不幸中の幸いというところか。
走り寄る、いや、走り寄ろうとした――――が。
「爺さん、こいつは俺らのもんだ」
いつの間にか、ロウエンとカレンの間に入り込んだ男たち。
うち1人がカレンを足で弄んでいる。
ロウエンの何かがたまらず切れた。
「カレンから、離れろォッ!」
無策のままに飛び掛かる。
しかし、勢いはすぐに失われる。
男2人が武器を構えて立ちはだかったのだ。
それぞれ短剣と長剣。
立ち姿からして実力者だ。
対するロウエンは歳を取った魔術師。
この近距離では不利だ。が、しかし。
「やるしかない……!」
急いでできるだけ距離を取り、魔術を使う。
使うのは‘‘身体強化’’。短文で即座に発動したそれは、ロウエンの筋力を強化した。
全盛期までは到底及ばずとも、若者の身体能力には並ぶほどまでの強化だ。
続けて、別の魔術を詠唱。
「駆けよ風刃、敵を切り裂かん、‘‘風刃’’!」
振った手刀から鋭利な風の刃が放たれる。
「くっ!」
「魔術師かっ!」
油断していた男たちだったが、素晴らしい反射神経で刃を受け流した。
今の一撃で気を引き締めなおしたようだ。目つきが変わった。
ロウエンも手汗が染み出てくるの感じる。
「先手必勝ッ!」
再度‘‘風刃’’を放つ、が。
「効かねーよ!」
「覚悟しろ」
容易く捌かれ、逆に攻撃のチャンスを与えてしまった。
短剣の男が視界から消える。
その場をすぐに飛びのくと、頬を切り付けられた。
「ちっ、勘がいいな……」
と忌々し気に言いながらも、男は手を休めない。
短剣の速度を生かし、高速の斬撃が放たれる。
強化した身体で必死に避ける。
と、背後から微かな気配を感じた。
本能的に身の危険を感じ、それに従って勢いよくしゃがむ。
残った髪が切られて宙を舞った。
「くそっ」
口ではそう言いながらも、面白いものを見つけたと笑っている。
「こっちにもいんぞ、っと」
しゃがんで身動きが取れないところを、短剣が迫る。
咄嗟に腕を交差して顔を庇う。
「ぐぅっっ!!」
腕の肉が深々と切り裂かれた。
しかし痛みを我慢して手をつき、脚を地面すれすれで回す。
ロウエンの脚が前後の男を捉えて転倒させる。
が、短剣の男はバランスを崩しながらも体を捻り、斬撃を放ってきた。
対するロウエンは、それを切られた腕で再度受けながらも詠唱を唱えて術を使う。
「――――‘‘風車’’」
突発的に周りを風が回る。
ロウエンを中心に生まれた風刃の風車は男たちに迫り。
――――一閃
胴体で両断した。
男2人の絶命を確認したロウエンは、残りの1人に目を向ける。
「仲間は終わったぞ」
それを聞く男は何も言わないが、頬を引きつらせている。
「その子を返せ。そうしたら命は見逃してやらんでもない」
できるだけカレンを安全に保護するため、交渉する。
が、男は下を向き黙っている。
「どうした? ……返さないのなら力づくでいくぞ」
自分の力を見せつけた上で再度交渉を持ち掛ける。
しかし、男は下を向いたまま何も答えない。
と、そこで様子がおかしいことに気付いた。
肩が揺れているように見える。
肩が揺れている? なぜ?
それは、口が何かを言っているからなのでは……?
そう思った彼は男の顔を軽く覗き込みながら耳を澄ます。
「……時を超越し、空間を超越し、遥か彼方へ飛び行かん――――」
「詠唱っっ!?」
詠唱。
男は魔術を使おうとしている。
そして、彼が唱える詠唱には聞き覚えがあった。
使える人間は少ないが、その強力さ故に非常に重宝される。
使われれば……終わりだ
すぐに理解した。
「まて――」
しかし敵の制止など聞く必要はない。聞くはずがない。
ロウエンは手を伸ばす。
間に合わないのはわかっていても、手を伸ばす。
男がバッと顔を上げる。
顔は嗜虐の笑みに満ちていた。
「――‘‘転移’’」
言葉を紡いだ。
発動した魔術は空間のすべてのエネルギーを吸収する。
搾りかす一つ残さないそれはカレンごと男を包み込み――――。
「あ……」
――跡形もなく消え去った。
手を伸ばしたまま、茫然と虚空を見つめる。
頭が真っ白だ。
何も考えられない。
ただただ、ぼーっと虚空を見つめる。
手を伸ばしたまま、彼の時間が止まってしまったようだ。
しかし本当に止まったわけではない。
理解せざるを得ない。
カレンは連れ去られたのだ。
理解したくなくて無意識に行っていた自己防衛も終わりを告げる。
流れ込み渦巻く絶望の嵐。
それはロウエンの心を砕きにかかってきた。
すさまじい喪失感が襲ってくる。
とにかく、虚しい。
負の感情に耐えられず、体から押し出すように吐き出すように、叫ぶ。
「ああああぁぁぁっぁあああぉあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
あらん限りの声をあげる。
喉が悲鳴を上げ、潰れても。
傷ついて血を吐いても。
酸素不足でふらふらになっても。
いつの間にか外が明るくなっていても……。
叫び続けていた。
次話は少し開きます。
投稿日については、活動記録をご覧ください。




