シーン3
「ふふふ、余の顔、見忘れたか!」
「ははー、失礼いたしました」
ルリーナから体を離したアイラは、いつぞや見た白髪の老人を呼び出した。
彼がその頭に輝く宝冠を乗せ、狼の毛皮だろうか、マントを肩にかければ、王女アイラの降臨である。
腰に手を当てて、金色に輝くメイスを振り上げる姿は、なるほど、戦場で見たそれである。
「やはり、知己だったか……」
「いや、王女殿下だとは思いもよらず」
騎士の礼を取って片膝をついているエセルフリーダが横目に共に膝をついているルリーナを見ながらこっそりと声をかける。
ルリーナは本当に知らなかったのである。以前に会ったときは貴族の子女かなー程度にしか思っていなかったし、闘技場では遠すぎたし、戦場でははっきりと顔を見たわけでもないし。
「お・ね・え・さ・ま、とエセルフリーダだから別に頭を下げなくても良いのよ?」
やめて、お姉さまとかやめて、エセルフリーダよりも上の立場のように言われると、他の貴族に見られたらどうなるか解らないから。
というより、ここで聞いている者らはこれを止めようとは思わないのか。
思わず本当に顔を上げると、アイラは実に楽しそうな笑みを浮かべていた。
「あー、リュング卿、ルリーナ殿、本当に顔を上げて欲しい」
「ドミニク! 今面白いところだったのに」
そうだ、この白髪の老人はドミニクと呼ばれていた。
彼はこれ見よがしに溜息をついて、アイラに説教を始めている。
「エセルフリーダ様、このドミニクというご老人は」
「そちらも知己だったか……摂政だ」
これはもう、ルリーナが喋るたびにエセルフリーダの胃にダメージが行く仕組みになっているのではないか。
「許す! 二人とも面を上げよ」
通例に従って、その言葉に心持ちだけ顔を上げて、上目遣いにアイラを見上げると、ふくれっ面が目に映る。
「ちがーう! もう顔上げて良いってば」
「はぁ、良いのでしょうか」
「殿下直々のお言葉だからな……」
渋々、と二人そろって顔を上げる。立って、というジェスチャーまでされて立たない訳にはいかない。
「気軽に話すことも許す!」
「はぁ……」
摂政であるドミニクを見ると、うむ、と頷かれた。うむ、ではないだろう。うむ、では。
「えーっと、それで、どういうことなのです?」
エセルフリーダに先ほど言われた件といい、ここにお姫様が居ることといい、ルリーナはまだ理解が追いついていない。
「とりあえず、今回の会議で、ルリーナ、君を騎士に推薦する件は通ったのだが……」
「あれ? それなら何も問題ありませんよね?」
ルリーナは会議の内容を知らない。しかし、騎士叙任の話が通ったのなら、何も問題はないのではないか。
そこでアイラを見ると、また実に良い笑顔をしていた。ちょっと怒っているようでもある。
「お姉ちゃんはー、騎士になるのよね」
「ええ、まぁ、それを目指していましたが」
「私のことをお姫様ーって呼んでいたよね?」
そういえば、そんなこともあったような気がする。いや、それは小さな女の子をお姫様と呼ぶようなそういう気持ちで。
「お姫様に剣を捧げる騎士って、御伽話みたいで素敵でしょ?」
「まぁ、そうですね?」
うん? この話の着地点はどこになるのだろうか。
王女に剣を捧げているといえば、既にエセルフリーダもいることだが。
「あー、今回、ルリーナ殿を騎士に推薦したのは、王女殿下なんだ」
「ふぇっ!?」
エセルフリーダがとんでもないことを言う。流石にそれは想定外。
道理で頭を抱えていたわけだ。こうなると、ルリーナは王女お抱えの騎士という話になる。
「え? そうなると私は誰に剣を」
「そういうことだ」
どういうことだ、と数瞬混乱するが、すぐに持ち直す。
つまり、エセルフリーダに剣を捧げる件は見送りになるが、このままだと王女殿下に剣を捧げるという話になるのか。
「お姉さまには、私の騎士になって欲しいの」
「お姉さまはやめて下さい……」
改めて人に言われると、お姉さまという言葉には酷く違和感を覚える。
いや、エセルフリーダをお姉さまと言うのには誰も反論はないだろう。
眉目秀麗、才色兼備、立っているだけで絵になる凛々しい姿。これ以上に似合うものはない。
省みてルリーナはどうか、年齢が年齢にしてもちんちくりんで素っ頓狂(という自覚はある)な自分がお姉さまなどというのは似合わない。
いや、そんな現実逃避をしている場合ではなく。
「私が、ですか」
「そうそう。今、明確に私の下にいる戦力が足りないの」
一転、アイラは実に現実的な話を始めた。
「支持してくれる基盤? っていうのかな、それがまだまだ不明瞭だし」
エセルフリーダはすでに王女派に取り込まれているらしい。
どうやら議会で何かあったようだとルリーナは当たりをつけた。
「けれど、私はエセルフリーダ様から離れる気はありませんよ?」
「それは心配しなくていいの!」
アイラは目をキラキラとさせている。曰く、女領主に仕える女騎士、という姿はお気に入りのようだった。
「ただ、エセルフリーダの主従揃って私の下、って見せたいだけだから」
そのあとの説明では、どうやら、表だってルリーナの騎士叙任に反対を表明したものはなかったらしい。
闘技会では優勝に準ずる活躍を見せ、戦場では指揮官として敵を蹴散らし、槍を持てば軍旗を持って帰ってくる。
極め付けは竪琴王国の貴族、べルド男爵の従者の首を決闘で見事獲って見せたというのだから、誰も反論はできないだろう。ということだった。
「けーれーど」
そう話をつなげたアイラは、唇の下に指をあてて、その齢に似つかわない妖しげな視線でルリーナを見た。
「お姉さまが、ううん、ルリーナ・ベンゼルが欲しい、と思ったのは本当」
それはどういう意味なのだろうか。そう尋ねれば、アイラはそのままの意味よ、としか返さなかった。
「これは、諦めた方がいいのでしょうか」
ルリーナのぼやくような声に、エセルフリーダも小さく首肯した。




