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シーン8

 はぁ、とエセルフリーダは頭を一つ振って立ち上がった。


「よく来たな、ベルド男爵……いや、ジェスロか」


 闖入者は、先の戦でエセルフリーダ軍とぶつかった敵軍の将、べルド男爵その人だった。

 しかし、その服装はもはや襤褸衣のようだった。サーコートはなく、あちこちにほつれのある鎖帷子を着て、馬を失ったか徒歩で歩いただろう足元は土で汚れていた。

 髪は解れ、無精ひげの生えた顎に、こけた頬、もはや貴族とは思えないやつれきった風貌の中で、目だけが爛々と輝いている。

 その横には、いつぞやの鉄兜の従者も控えている。こっちも似たり寄ったりの状態だ。


「曲者! 何をしに現れたか!」


 わなわなと手を震わせていたルリーナは、思わずそう叫んだ。

 吟遊詩人の歌に出てくるような悪代官の気持ちが、今わかったような気がする。


「何をしに、だと」


 べルド男爵、いや、もはや貴族ともいえないそいつは、すらりと音を立てて剣を引き抜いた。


「エセルフリーダ! 貴様を殺してやる!」


 完全に、狂人のそれである。その姿を見て、ルリーナもまた剣を抜いて、エセルフリーダの前へ出た。


「おっと、嬢ちゃんの相手はこっちだ」


 それに合わせて前へ出てきたのは鉄兜。騎士の使うような長剣を抜いて、ルリーナの行く手に立ち塞がる。


「この前の決着、ここでつけさせて貰おう」

「決着がつかなかったのは、あなたのせいなのですがね」


 闘技会を荒らして決勝を放棄したのは、鉄兜だったはずだ。


「エセルフリーダ様、どういうことなのでしょうか」

「何というか、腐れ縁というかな」


 曰く、まだ親もいたころ、求婚してきたべルド男爵――名をジェスロと言う――をこっぴどく振ったらしい。

 挙句、貴族の面目をつぶされたと憤慨した彼と決闘を行い、これまた手ひどくのしてしまった。

 それで諦めていればまだ話はややこしくならなかったものを、何を思ったかしつこく言い寄ってくる。

 親が亡くなってからは――これにもジェスロが関わっているのではないか、という噂がある――余計に激しくなったが、それでもエセルフリーダは折れない。

 遂には獅子王国を裏切って、リュング城一帯を竪琴王国と共謀して奪い取る。

 エセルフリーダの小領地もその中に含まれ、これを契機に自由槍騎士として野に下ることになった。

 それからは知っての通り、幾度も衝突を繰り返し、ついにはエセルフリーダがリュング城を取り戻すことになったのだが。


「もはや、切らずには終われないようだな」

「貴様のせいで俺は! 俺はすべてを失ったんだ!」


 どう考えても逆恨みである。エセルフリーダの身分を、領地を先に奪ったのはジェスロの側だ。

 遂にエセルフリーダは剣の鞘を払った。


「応援は」

「不要だ」


 敵地に二人で乗り込んできた愚か者を、わざわざ相手にする必要も本来はないだろう。

 しかしエセルフリーダは援軍を断った。手ずから切らねばならない。そう思ったのだろう。

 目の前の二人にしてもいまさら退くことは考えておるまい。もう後がないのだ。


「私の蒔いた種だからな」


 だから、すまない。とエセルフリーダは言った。


「巻き込んでしまった」

「いえいえ、これは私の意志ですから」


 ルリーナは剣の握りを確かめる。問題ない。


「いくぞ!」


 鉄兜が両手に握った剣を振り上げて切りかかってくる。足を止める目的だろう。当たらないことも気にせずにぶん回した。

 しかし、避けない訳にもいかない。間合いの長さは喧嘩剣よりも長剣の方に分が上がる。

 数歩下がれば、エセルフリーダとは分断される。


「気を散らしている場合ではありませんか」


 エセルフリーダの心配は不要だろう。目の前の敵は、油断できるような相手でもない。

 ああ、そうか、これが肩を並べられる。ということか。ルリーナは唇の片側を笑みの形に吊り上げた。

 剣を片手に擬して相手の剣に合わせにいく。片手は五寸の利。剣の長さを補う。一度捕えれば、そのまま間合いを詰めるつもりだ。

 それを嫌って、鉄兜は一歩引いた。二足一刀。真剣の間合い。今回は逃げることも考えていない。切るか、切られるかの勝負。

 相手の力量も既に知っている。腕が拮抗しているとなれば、派手に打ち合うことは愚策。

 互いに呼吸を読みあう。それを知っているから、自然に息は浅くなる。無駄口をたたく余裕もない。

 読みあいは静かなものだ。互いに攻めの気を見せては、それに合わせて守りに、あるいは反しに入る。

 ルリーナが習った基本は、構えというのは攻撃と攻撃の通過点に過ぎないという教えだったが、それは力量に大きな差がある時の話だ。

 初心者が熟練者に勝つには、打ち込み続ける以外の手はない。逆ならば、たやすくそれで終わるだろう。

 実戦では相手の力量も読めないから、遮二無二打ち込むことが多い。単純にして最適な手段だ。

 だから、今は例外中の例外。


「ふんっ!」


 先に攻めたのは鉄兜だった。小さな呼気とともに、間合いを詰めての横殴りの一撃が迫る。それを僅かに引き下がりながら迎え撃つように剣を振るうが、狙ったのは手首。

 浅い。共に浅い。鉄兜の剣はルリーナの髪を何本かと服をわずかに切り、ルリーナの剣は鉄兜の帷子に解れを作っただけだ。

 ルリーナは体が後ろに泳いでいるためにすぐには間合いを詰められない。鉄兜は切り返して二撃目を繰り出す。

 となれば、とルリーナは剣を持っていない方の左半身を前に出して、鉄兜の腕を元から抑える。寧ろ掌打に近い形だ。

 肉薄すれば、こちらの間合い。肘を折って剣を投げ出すように鉄兜に切りかかる。剣に重さを乗せるために前に出た鉄兜は下がれない。

 喧嘩剣が強かに兜を打った。思わず、よろめく鉄兜。構えも放り出して後方へ下がる。それを許す訳もなく、ルリーナは間合いを離さず撃ち続けようと迫る。

 が、鉄兜は剣を抱え込むように腰だめで持ち、肩で支えて、体ごと当たって突く姿勢へ入る。ルリーナはこれを嫌って飛び下がった。


「鎧、ずるいですね」

「ここまで歩いて来たんだ」


 これくらいは許してくれ、とは鉄兜の談。鎧や帷子がなければ致命傷になっていたのに。

 両者ともに息を整える。またじりじりと攻める機会を窺ってにらみ合いだ。

 傍から見ていれば、ただ構えてじっとしているように見えるかもしれないが、一瞬の油断が命取りになる牽制勝負。

 ルリーナは度々、相手の目を狙っている構えから手の下を狙うような動きを見せる。体が固まることを防止すると同時に、本当の攻める機会を隠す目的だ。

 どれが本物かわからない以上、鉄兜は対応を余儀なくされる。手の下、というのはなかなか嫌らしい動きだ。視界の関係上、下からの動きは見えにくい。


「ぐっ」


 甲高い音とともに、男の、くぐもった声が響いた。エセルフリーダがジェスロを下したか。

 先に焦れたのは、鉄兜だった。いや、こうなれば早々に勝負を終わらせるしかないか。

 一撃必殺、構えごと切り伏せようと袈裟懸けに切り下ろす。一方、ルリーナはそれをかいくぐるようにして脇を抜ける。交差。


「……」

「……ああ、坊ちゃん、ようやく気持ちがわかりましたよ」


 膝をついたのは、鉄兜だった。腋下の動脈を切り裂かれ、血を流しながらも、片手で剣を構え続けている。

 しかし、息はもう絶え絶えだ。急速に命が流れ落ちていく。


「こりゃ、怨恨なんてじめじめしたもんじゃなかったんだ」


 独白するように、鉄兜は言って、剣を投げ捨てると兜を脱ぎ捨てた。そのままどう、と倒れる。

 凶相の中で、瞳だけは満足したように輝いていた。


「見事だった。ルリーナ殿」

「……」


 ルリーナはかける言葉を持たない。エセルフリーダの方を見れば、既に鉄兜の主はこと切れているようだ。


「我が名はデレク……最後が貴殿の手で、これで、よかったのだろう」


 なぜ、最後になって名を名乗るのか、なぜ、そんなに穏やかな語り口なのか。

 寒さに震えるように、鉄兜、いや、デレクが唇を震わせ、何かを噛みしめるように目を閉じる。


「ありがとう……」


 それが、最後の言葉だった。ルリーナは遣る瀬無さを感じながら、剣を納めて一つ祈るために目を閉じた。

 死者が安らかならんことを。


「自分だけ満足して、勝手に逝くなんて。どれだけ自分勝手なのでしょうか」


 どうしても、勝利した気持ちになれない相手だった。後味の悪さを振り払うように首を振り、エセルフリーダの元へ向かうと、くらり、と立ちくらみがした。

 決闘の疲労か、いや、それだけではない。背中にひやりとしたものを感じたが、これは気持ちだけのものではなさそうだ。

 致命傷ではないが、どうやら最後の一撃、避けきれていなかったようだ。


「エセルフリーダ様、すみません。負傷したみたいで……」


 そこまで言ったところで、倒れそうになる。気づけば、エセルフリーダの腕の中だ。


「よくやってくれた。ゆっくり休め」


 抱き上げられたようだ。その体温を感じ、もったいないと思いながら、ルリーナの意識は暗闇へと落ちていった。

第13話 ベルド平原の会戦:終戦 終了

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