シーン7
リュング城へとたどり着いてから、数日が過ぎた。
この数日は戦後処理に走り回っていた印象で、あっという間に過ぎていった気がする。
民兵隊は城を守る戦力を残して解散し、傭兵隊はそのまま留め置かれている。
この前の話を受けて、今はまだお抱え傭兵団といった形ではあるが、ルリーナ隊はエセルフリーダ軍に編入される形となっていた。
到着した一日目は祝勝会とでも言おうか、騎士たちと傭兵や民兵に分かれて酒盛りをしていたが、その騎士らも今は自らの居場所へ戻っている。
そうしてみると、リュング城は随分と静かなものだ。明日からは、久々の休日といったものである。
「いいお風呂でしたねぇ」
夜。ルリーナは風に当たりに中庭を歩いていた。
そう。リュング城には風呂があったのだ。薪の消費も洒落にならないし、何よりお湯を入れるのも面倒だから毎日使う訳にもいかないが、今日くらいはいいだろう。
火照った肌を、冷ややかな風が撫でていく。今はもう夏も終わり、秋の足音はもう目前。
城の防衛は今までは仕事の外だったが、今となってはルリーナにとっても本拠地と言って良い。城の構造は勝手知ったる、というものだった。
「お疲れさんです!」
「異常なしっス!」
「お二人もおつかれさまです」
門衛に立った民兵の一人と傭兵の一人の敬礼に答える。
特に襲撃も考えられないこともあって、今のうちに傭兵と民兵の仲を深めておこうと交代で勤務に着かせていた。
中庭から外れると、小さな庭に出る。余裕のある頃に使われていたのか、今は枯れた噴水があり、雑草が伸び放題になっている。
「あっ……」
思わず声を出したのは、そこにエセルフリーダが居たからだ。
白金の髪を風に揺らし、物憂げに伏せた眼で宙を眺める彼女は、珍しく鎧下姿ではなかった。
寝間着だろうか、月明かりに透ける簡素で白いワンピースドレスを着ている。
そういえば、一部の部屋からはそのままこの庭に出られるのだった。
声が聞こえたか、足音か、伏せられていた青い瞳が開かれ、ルリーナの方を向いた。
「ああ、ルリーナか」
「すみません、お邪魔いたしましたか?」
いや、丁度いい、話し相手にでもなってくれ。そう言って彼女は噴水跡の縁に座った。
常在戦場の心構えは忘れていないのか、いつもの片手半剣は持っていたが、流石に提げはしていない。
誘われるままに噴水に腰かけたルリーナはといえば、もちろん、喧嘩剣を提げている。
「此度の戦……いや、やめよう」
何事か、というルリーナの目を受けつつ、エセルフリーダは星空を一度見上げて、その長い髪に手を通した。ふわり、と広がったそれは、さらさらと元に戻る。
「ルリーナはどうして戦っている?」
そう問うたエセルフリーダの瞳は、いつになく優しげだった。
「そう、ですね。他に生き方も知りませんから」
「……そうか」
勿論、ルリーナにも他の理由はあるが、元を辿れば、それが理由として正しいものと思えた。
今となっては、別に、市井に降りて――例えば、真珠の港の宿で働いてもいいかもしれない。
そうしなかったのは何故か、と問われれば、自分の求めるものがそこにはなかったから、という漠然とした回答しかない。
「では、エセルフリーダ様は?」
「さてな、初めは義務感だったのかも知れない」
二人横に並んで星空を見上げながら、エセルフリーダはぽつぽつと語り出した。
とある戦の折に親が亡くなり、獅子王国が空白を許す筈もなく領土の殆どを没収されて、一部の兵と妹、そして使用人を抱えて野に下った。
その時に生きる術としてエセルフリーダが選んだのは自由槍騎士の道だった。
一応は継承権のある長子であるためほとんど名前だけの村とはいえ、領主の一人。兵を集めて半ば傭兵として戦に参加したのである。
家の再興、あるいは貴族の義務か。はたまた、我慢できないほどの何かがあったのか。
どちらにせよ、その道はエセルフリーダにとって、最適な道だった。
「今は……今は何なのだろうな」
だが確かに、また面白くなってきた。そう言って笑う彼女は、常より幼く見えた。
「ルリーナ、君のおかげだ」
「私、ですか?」
自分に話が戻ってくるとは思わず、ルリーナは素っ頓狂な声を上げた。少し恥ずかしくなって頬を染める。
「ああ。今回の作戦、実に面白かった」
「そんな、ただの釣り出しですよ?」
「その、ただの、が、この国ではなかなか見られないのだがな」
それは解る気がする。ルリーナの見ているところでは、エセルフリーダが「冷血」などと呼ばれるのは、一重に搦め手を好むところからきているのだろう。
武勇を求める獅子王国、あるいは竪琴王国もかもしれないが、昔ながらの互いに名乗って正面からぶつかり合う戦いが一般的なようである。
その中にあってエセルフリーダをそうさせたのは少数の兵をいかに使うか、という戦いを強いられてきたからだろうか。
「それに、轡を並べての戦い。久々に胸が躍ったとも」
「こちらこそ、機会をいただきまして」
軍旗を得たあの戦い。ルリーナの戦い振りを見て、ようやく肩を並べられる者が現れたかと思った。
彼女はそう言うと、少し恥ずかし気に目をそらす。初めて見る表情に、思わず胸が締め付けられる。
「駄目だな、柄にもなく語りすぎたようだ」
「いえいえ、興味深い話でした、我が主様」
「主……主か」
何かを思い出したように、エセルフリーダは改めてルリーナと目を合わせた。
「おそらく、いや、間違いなく、今回の件で騎士に叙勲されるだろう」
「本当ですか!?」
「ああ。随分と派手にやったし、もともと青い血であろう?」
これは獅子王国が逃がす筈もない。と、続ける。それに、エセルフリーダも推挙するし。あとは多分、ご老体も。
思わぬうちに、事は随分と大きくなっていたようだ。
「我が国の騎士には決まりがあってな」
曰く、剣を捧げる乙女を選ぶこと。
別に貴族である必要もないし、実際にどうする、ということでもないのだが。
「特に女諸侯はこれを求められる。理由は――まぁ、解るな」
この国の諸侯と言えば騎士で、戦力。それが長期的に抜けると困るから。
血のつながりが、と言えども、エセルフリーダの例を見ても獅子王国に余裕はない。
「幸いにして私には妹が居るし、それにその伴侶もいる」
いささか頼りないがな、という彼女に、ルリーナは苦笑を返した。
「ルリーナも剣を捧げる相手を今のうちに決めておいた方がよいと思ってな」
「ちなみに、エセルフリーダ様は?」
「私か、私は名目上、王女殿下ということになっている」
なるほど、半ば形だけとはいえ、確かに王族であれば何ら問題はなさそうだ。
「どうする、ルリーナも王女殿下に話を通しておくか?」
「いえ、そうなると私は心に決めている方がおりまして」
ほう、とエセルフリーダは目を細めた。縁によっては問題になり得る。
ルリーナは一つ、こっそりと息を吸った。ここが勝負所である。
ぎゅっとスカートのすそを握って、エセルフリーダの瞳を正面からとらえた。
「エセルフリーダ・オブ・リュング様、貴女に剣を捧げたいと」
その言葉に、彼女は目を丸くした。そして、暫くの沈黙。
お互いの視線が交差したまま、さながら時間が固まったようだった。
そして、エセルフリーダが口を開こうとしたその時――
「エセルフリーダァ!」
――無粋な闖入者が、庭に現れた。




