シーン1
「逃がさねぇぞ……ごふっ!」
「あーはいはい、お亡くなりになられてくださいね~」
追撃の兵をまた一人切り捨て、ルリーナは剣を持ち替えてぷらぷらと手を振った。
厚手の革手袋越しに柄を持つ、手の感覚が怪しくなってきている。今の男も、上手く刃が立たず、殴り飛ばすような形になってしまった。
「いい加減、疲れてきましたねぇ……」
半ばうんざりとした気持ちで敵の波を見る。先走って追いかけてきている敵の一団が数十名と、その後ろには隊列を整えている、数えることもできないほどの敵の山だ。
まさに雲霞の如く、というべきか、地を埋め尽くすほどの敵、敵、敵だ。あれが動き始めれば、終わりだろう。
「まだ、我が軍は健在のようだね」
「健在……なのですかねぇ」
「持ちこたえている、といったところだろうな」
第一波を乗り越えて、多少の余裕ができたヨアンの言葉に、首を傾げる。
敵勢が再編成をしているということは、後方では獅子王国側の本隊が抵抗を続けているのだろう。
「その首! ふがっ」
先走った騎士の一人がまた、エセルフリーダの強烈な一撃を貰って地に沈んだ。
手に持った片手半剣で槍の穂先を逸らし、すれ違いざまに切りつける。見事な技前。
「ご老体は着いた頃か」
「ですねぇ……」
ご老体らは、隊の再編のために先に後方へと退いていた。状況を見て援軍に来るとは言っていたものの、口約束にそれほど意味はないだろう。
自らが同じ立場であったとしても、状況次第としか言いようがない。
早く後退してしまいところだが、相手に背を向けてしまえば、追撃してくれというようなもので、背後から騎士に襲撃を受けようものなら、被害は洒落にならないだろう。
襲撃を受けるにしても、本隊の再編まで時間稼ぎをする必要がある。まだ、意味のある出血になるだろう。
「と、言っている間にだ」
「これはマズいですね」
「ルリーナ、先に下がっても良いのだぞ?」
じわり、と竪琴王国の本隊が動き始めた。
その先鋒を務めるのは騎士隊であり、既に槍を空に刺し上げ、轡を並べて襲撃の準備を終えている様子だ。
「騎士たるもの、主君を置いて逃げることはできないでしょう」
ルリーナがそううそぶくと、エセルフリーダは苦笑した。
「その騎士らはとうに退いているだろうがな」
騎士隊もエセルフリーダを主君とした騎士ではないとはいえ、民兵を置き去りにしていったことには違いない。
「まぁ、本当に危なくなったら逃げますよ」
それだけの余裕があるかはわからなかったが。せめて敵騎士の脚を止めたい。既に、この歩兵隊は捨て駒にしかならないだろう。
ヨアンも厳しい顔をしている。古参民兵隊に向かって、戦って死ねと言えるか。それも、見る限り、長い付き合いのようだ。
「そろそろ、年貢の納め時かねぇ」
「老い先短い身だ。ここまで生きてたのが奇跡ってやつだな」
「今更、農夫に戻れ、なんていわれても困っちまう」
「良い機会かもな」
「これだけやれば、あっちでも良い扱いだろ」
「違いねぇ」
当の古参民兵らは、既に諦めている様子である。彼らも死にほど近い農村の出だ。
「それに」
「何だかんだどうにかなっちまうもんだ」
そう言ったのは、古参民兵隊の中でも特に古株の者らだ。いくつもの戦場を渡り、いくつもの死線を越えてきたのだろう。
勝負は時の運。といったところだろうか。
「前進!」
遂に、騎士が前進を始めた。色とりどりの旗、騎馬に着せたキルト、白銀に輝く鎧に槍矛。
友軍であれば頼もしいだろうそれは、敵に回れば恐怖の象徴だ。
優にルリーナの身の丈を超えるだろう巨大な馬体。槍を掲げた騎士らは何と高い壁だろう。
――圧し殺される。
それが、疑いようのない結末だ。
「全軍停止! 迎え撃つぞ!」
古参民兵隊は足を止めた。密集陣形を組んで、槍を突き出す。槍衾というのには、心もとない数。
持ち運びを考えて、長く、丈夫な長槍などはほとんど用意されていない。今は、ただそれが悔やまれた。
「速歩!」
刻一刻とその時は迫ってくる。騎士らは常歩から速歩へ。蹄の響きが、重く心にのしかかってくる。
民兵らは息をのんでそれぞれの得物を握りしめた。
ルリーナも、思わず生唾を飲み込む。その音が思ったよりも大きく感じて、誰かに聞かれはしなかったかと左右を見てしまう。
エセルフリーダは泰然と敵を見ている。兜の奥から覗く、わずかに細められた瞳は、訓練のほどを見定める将軍のようだった。
ヨアンは敵よりも僅か上の空を眺めているようだった。そう、敵の騎士の実際の数はそれほど多くはない。直接見るから圧迫されるのだ。
ルリーナも一つ、息を吐いた。
民兵らと違い、馬に乗り、しかも軽装のルリーナは、敵と当たった後は逃げられるのだ。
前方を埋める敵勢ではあったが、右にも後ろにも逃げ道はある。民兵らがこうして立ち向かおうとしているのに、自分がこの調子ではいけない。
一人でも減らしてやる。と、銃を再装填する。馬上で安定性はなかったが、何とかなるものだ。
槊杖で弾を押し込もうとしたときに馬腹をたたいてしまって、抗議のいななきを上げられたが。
「襲撃!」
遂に敵の騎士隊が襲歩に移った。号令の声が戦場を圧し、瞬き一つの間に、鎧に打たれた鋲が見えるほどに近づく。
そして、銃声。




