シーン5
不気味だった。
何が、と言われて答えられるものではなかったが、雰囲気が、だ。
「うーん」
「どうしやしたかい、隊長」
何かしら、違和感を感じるものが見えている筈なのだが、それが何かは解らない。
両軍の陣営は、正面から睨み合ったまま、まだ動いていない。
それはおかしなことではない。獅子王国側としては、状況を維持するだけで勝ちが取れるし、竪琴王国側としては、これ以上の被害を抑えたくて二の足を踏んでいるのだろう。
「いえ、何、という訳でもないのですが」
「そうですかい。なーんか嫌な空気でやすがねぇ」
カメも同様に何か口にできない不安を感じているらしい。
「異様に静か、って言いやすか……」
言われてみれば、右翼側に限らず戦線全体で戦闘音が聞こえない気もする。
確かめる術がないが、左翼側は獅子王国軍が進出する手筈になっているはずだが。
そうなれば、竪琴王国側も半包囲を避けるために激しい抵抗をする事が予想されていた。
「まだ戦闘を開始していないだけとか?」
「そんなところでやすかねぇ」
あるいは、余り考えられない事だが、戦闘を避けて竪琴王国軍右翼が後退を続けているか。
ここからでは確認する手段も無ければ、戦局全体を考えるのはルリーナの仕事でもない。
「お、前進するみたいですぜ」
ご老体の軍が前進を開始する。彼の軍の主力は歩兵で、どうやら長弓を携えた者が多い。
うらやましい。可能であるならルリーナ隊もそれくらいの贅沢な構成にしたいものだ。
というのも、長弓というのは実に強力な武器である。鎖帷子は当然として、薄い鋼板であれば易々と貫き、熟練した射手であれば、瞬きの間に二の矢を放つ。
近距離で射られた矢が、二人の人間を貫いた所を見た事すらある。しかも、放物線を描いて飛ぶものゆえに、銃や弩弓よりも遠方に、効果的に運用する事ができる。
それだけ見ると、初めから全員に長弓を持たせれば良いだけに思えるのだが、そうもいかない理由もある。
最大の問題は、やはり練度だろう。
ご老体の軍に加わる長弓兵を見ても一目瞭然なのだが、第一に頭一つ抜けて体格が大きいものが多い。
これは長弓の弦を引くのに、桁外れの膂力が必要となるのが大きい。明らかに左右で体型が不均衡になる程だ。
更にいえば長弓に適した材質の木材も、これを加工する者もそう多くはない。
「ご老体の側から仕掛けるのですかぁ」
長弓を効果的に用いるのであれば、馬防杭や陣形を駆使して待ち受けるような戦術を取るのが定石だ。
もちろん、弓兵はそれを用いるために常識外れの膂力を持っている為、白兵戦で何もできない。ということはない。
寧ろ、一般的な歩兵らよりも奮戦することもざらだ。長弓を持っている以上、重装はできないのが難点と言えば難点か。
攻撃的な運用をするのならやはり騎士、ないし重装歩兵が適当だろう。
とはいえ、教科書通りの運用ではどうしようもない事もある。
「全隊、前進。アドラー殿の側衛につく」
ルリーナはアドラーとは誰だったかと数瞬首を傾げる。そうだ、ご老体の名前だ。
騎士隊が動けないように圧迫する、という役割がエセルフリーダ隊には求められている訳である。
数的には然程多いわけでもなく、竪琴王国側の保持する騎士隊よりも少ない騎数ではある。
故に主兵とはならないし、とはいえ敵勢も数に恃んで襲撃を敢行すれば、乱戦に足を止めている間に大打撃を受けるのは目に見えているために攻撃に躊躇う。
「従士隊も左翼に行きましたからねぇ」
右翼側が安定したのを確認して、従士隊は夜間に左翼へと再展開を行っていた。
再展開が容易なのもまた騎兵の利点だろう。騎兵のみで構成された王直属の従士隊の脚は軽い。
「敵さんも慎重なようでやすな」
カメの言うとおり、ご老体の軍に対している竪琴王国の軍は、徐々に後退を続けている。
長弓の届く距離に入れば、矢を浴びせかけられるだろう。それを避けるための機動に見えた。
「拍子抜けですな」
「う~ん、何か考えが有っての事なのか」
チョーは考え過ぎだろう、とルリーナの言葉に笑った。
実際に、右翼側ではご老体およびエセルフリーダ軍が優勢であるのだから、この後退に不自然さはない。
しかし、昨日の間に後退もせず継戦の意思を見せていた態度からすると、まるで反対の反応に思える。
「これ以上後退を続けていては追い詰められるだけだと思うのですがねぇ」
このままでは、当初の予定通り獅子王国側の半包囲が成立し、竪琴王国は逃げる間もなく窮地に立たされるだろう。
何かしら打って出るのではないか。ルリーナの思いつく範囲でいえば、それこそ王の従士隊のような騎士隊を迂回させることなどである。
右翼側も現状ではほぼ戦力的には拮抗しているだけに、最も警戒していることではあった。
「ここで敵さんの隠し予備とか来たら~」
「かなりまずい事態ですな」
もしかしたら時間稼ぎの後退なのかもしれない。或いは、友軍から引き離すための工作か。
チョーも同じことに思い当たったか、表情を締め直した。
「止まれ」
エセルフリーダの号令がかけられる。見れば、ご老体の軍も足を止めていた。
戦線がこれ以上伸びるのを警戒したか。それに合わせるように敵軍も足を止めていた。
「連携が取れていない、っていうのは」
「それが一番有りそうな話ではあるのですが」
個々の隊が勝手に動いている。統制が取れず、ただ損害を避けているだけにも思える。
もしも何もなく、こっちに裏を臭わせて足を止めさせたのであれば、とんだ切れ者が敵軍に居る事にはなるが。
と、その時、左翼側から喊声が上がった。




