シーン2
エセルフリーダが本陣から戻ったのは、軽く一刻も経ったころだった。
その頃にはルリーナも役目をチョーに渡し、物資を運んできた従軍商の男や、子供たちと雑談をして時間を潰していた。
「全隊、集まれ!」
エセルフリーダ隊が集合をかけ、列を整える。ルリーナも話を切り上げると、傭兵隊と民兵の前に立った。
点呼をかけて、全員そろっている事を確認。数名は勿論、当直で立っている。
馬上のエセルフリーダが隊全体を見渡して、指揮官代理のヨアンの前で止まる。
「戻った。異常は?」
「異常なし、指揮を返還します」
よし、とひとつ頷いて、エセルフリーダは隊に正対した。
兜を脱ぐと、白金の髪がこぼれた。ヨアンがすぐにその兜を受け取り、徒歩で控えていた従士にそれを渡す。
「諸君、ご苦労。現在の戦況についてだが、非常に良好に推移している」
獅子王国側の軍は、右翼を除いて竪琴王国の軍勢との間で睨み合いを続けている。
一方、右翼側、エセルフリーダおよびご老体の軍は、竪琴王国左翼側を崩壊させ、結果、全体としては斜めに前進している事になる。
これに呼応して獅子王国軍左翼は前進して半包囲を完成させたい所だが、竪琴王国軍は決戦を避けて我が方から見て左方に隊を移している。
今回の軍議を受けて、翌朝には左翼側も打って出る。エセルフリーダ隊の役割は引き続きご老体の軍および、戦列中央を担当する諸侯と連携して敵に当たることだ。
とはいえ、緒戦のように矢面に立つことは減るだろう。エセルフリーダの言葉を兵達は思い思いの態度で聴いていた。
机上の話に興味はないと言わんばかりで、声は立てないものの自らの爪をきにしているような者も居なくはない。
しかし、大概は静かに話を聴いていた。いくつもの視線が、エセルフリーダに注がれている。質量まで感じられそう。
何だかんだと言っても、自らが命を危険に晒す戦いに、理由を求める者は少なくないし、戦の勝敗はそのまま自身に関わってくるものだ。
「全て、諸君の奮闘あってのものだ。引き続き頼む」
そうエセルフリーダは話を締めると、所定の行動に移るように告げた。
解散、と上から下へと号令が下り、兵らはまた思い思いの休憩に移る。
「では、解散」
「了解です。隊長から何か言う事は」
「ありませんねー。チョーさんから軽く言っといて下さい」
ルリーナもまた隊の解散をチョーとカメに告げると、自身はエセルフリーダの仮設天幕の下へ向かう。
軍議の内容についての確認と、これからの方針についての摺合せを行うためだ。
「ルリーナ、入ります」
「良し、入れ」
ルリーナが仮設天幕に入った時は、エセルフリーダはニナとナナの手を借りて鎧を脱いでいるところだった。
全身鎧は如何にも部品が多く、一人で脱ごうと思えばかなり厄介な代物になる。
とはいえ、戦場で外れてしまえば更に大変な事になるのは想像に難くはないだろう。幾つものベルトが強く締め付けられているのである。
見た目に反して、体型に合わせて作られた板金鎧は動きやすく、鎖帷子等よりも軽いものだが、それでも脚の後ろなど手が回し難いところは確かにある。
甲斐甲斐しく働くニナとナナは、流石にいつものようにふざけている様子は見られない。
「ご苦労、楽に待っていてくれ」
「はい、失礼します」
エセルフリーダの鎧下は、汗で色が変わる程に濡れていた。
それも当然である。炎天下の中、鋼板で出来た鎧の中は、さながら蒸し風呂の様相となるだろう。
遠目には気付かなかったが、その細く、平時はさらさらとした髪も汗で濡れ、鎧を脱いで襟元をくつろげた今は、うなじにまで髪が張り付いていた。
上を脱いで汗を拭き始めた時点で、ルリーナは目をそらした。全然『良し、入れ』ではないではないか。
「今日は随分と冒険だったな」
「はい?」
顔を拭って一息ついたエセルフリーダがふとつぶやくように言った。
思わず視線を向けると、その筋肉質ながら、傷もない白く細い肢体が目に映り、また視線をそらす。
「軍議でも随分と話題になったぞ」
一日分の被害と戦果とは思えないような数字が出されて、軍議の場は随分と荒れたらしい。
一部では英雄的だ、という声もあれば、余りにも乱暴だ、という声もあった。
「分の良い賭けだと思ったのですけれど」
「その通りだ。実際、よくやってくれた」
エセルフリーダに笑みを投げかけられて、ルリーナは思わず赤面しそうになる。なんだ、口説かれているのか。
「保守派は睨み合いの戦争をしたいようだがな」
形だけ睨み合って、被害を出さないというやりかたも、確かに一理ある。
しかしながら、兵として領民を動員するのもタダではない。ここで戦に勝たなければ、丸々赤字である。
大領主であれば、それほど気にするまでもないだろうが、小貴族になればなるほど、一戦に賭けるものが大きくなる。
当然、敗戦となれば、それ以上に失うものも多くなり、もしかしたら二度と復帰出来ない程の痛手となるかもしれない。
現状を維持したい者からすれば、そんな博打はしたくない。しかし、小貴族にとって破滅は早いか遅いかの違いでしかない訳だ。いつかは打って出なければならない。
「戦局を傾ければ、お歴々も参戦せざるを得ない」
これからは、戦闘の主役は大領主たちとなるだろう。その中で、いかに戦功を立てるか。それがその他の小貴族の課題だ。
「まぁ、ご老体の口添えもあった上、従士隊までいたからな」
「文句のつけようもなかった、と」
そもそも、この戦闘はエセルフリーダ側から仕掛けたものではない。
戦端を開いたのは飽くまでもベルド男爵側から仕掛けた攻撃であり、エセルフリーダは反撃しただけだ。
まぁ、挑発はしていたかも知れないけれど。
「今回の作戦立案、戦場での戦功、実に見事だった」
この戦役の終わった時には期待して良い。新しい服に袖を通しながら、エセルフリーダはそう言うと一つ頷いた。
「矢玉に当たって倒れたりするなよ」
「……はい!」




