シーン5
「何が起きた……?」
そうルリーナの傍で呟いたのは王の従士隊、その長だ。例のトーナメントで会ったいけ好かない男である。
エセルフリーダの軍がベルド男爵を押し下げた後、ようやくたどり着いた援軍である。
事前に諸侯の軍を見回っていた時に、右翼が最も危険であると判断したのだろう。
彼らが見に来ていた時には、兵の大半を下げていた訳だし。
わざわざ予備の騎兵を回してくれるとは有り難いことだ。
うんうん、と、ルリーナが一人納得したように頷いていると、その従士は詰問するようにルリーナに問いかけた。
「これはどういう事だ」
「大丈夫だ、と言っておいたと思うのですがねぇ」
轡を並べて横に並ぶ男の目は中々に厳しいものであったが、ルリーナは飄々としたものである。
従士隊長は軽く舌打ちをする。そもそも、ルリーナはエセルフリーダに雇われた傭兵であって、多くを知る訳でもなく、教える義務もない。
傭兵にとっての主とは、直接報酬を支払ってくれる雇用主だ。極端な話、雇用主が反旗を翻せば、そちらにつくようなものである。
傭兵の間でよく冗談交じりに言われる、「主の主は主ではない」というやつだった。
地に足をつけていたら地団駄でも踏んでいそうな顔をしていた従士隊長だったが、問答をしていても仕様がないと気付いたか、一つため息を吐くと、それでも苛立ちを隠せぬ様子で声を上げた。
「従士隊、行くぞ!」
何処へ、とルリーナが尋ねる間もなく、その横を従士隊が駆け抜けていく。
十数騎、いや、数十騎が蹄を鳴らして駆けていくと、地面が震える様が感じられる。
つい、とついていきそうになる騎馬を押さえて、ルリーナは周囲を見回した。
「砲撃中止!」
「もう、射線上に入るなってぇ」
砲弾を敵陣に送り込んでいたニナとナナが、従士隊が射線に飛び込んできたのを見て大慌てで砲撃を中止する。
その先には、後退するベルド男爵軍を追撃するエセルフリーダ隊の姿。散り散りになったベルド男爵軍を相手に、順調に戦果を拡大しているようだ。
撤退をするからといって、何もせず見過ごすわけにはいかない。或いは、貴族として敗北を認める相手ならばまた別であるのかもしれないが、実際には生き残った者は次の戦場に出てくるのである。
しかしながら、あれだけ痛めつけられれば、しばらくは再起も難しいだろう。この戦役、いや、会戦中に戻ってくるとは思えなかった。
「隊長、俺らは」
「待機。多分、移動することになりますよ」
ルリーナの居る位置では、戦線全体が見える訳ではなかったが、現在は獅子王国勢の右翼が突出している形だと思われる。
これ以上に前進しては、本隊、他の隊と分断されかねない所だし、この状況は悪くない。
従士隊はエセルフリーダ隊に追いついたかと思うと、馬の鼻先を左翼側に向けた。エセルフリーダ隊は足を止める。
ヨアンの古参歩兵隊も再集結を始めた。どうやら、戦線を移動するつもりのようだった。
「砲兵隊移動準備ぃ」
「皆さん、移動しますよ~」
エセルフリーダ隊の旗手が旗を掲げ持ったのを見て、ルリーナらは移動の準備を始める。
少し遅れて喇叭の音。集合だ。ルリーナは指揮をカメとチョーに任せると、一足先に馬を駆けさせる。
十分に休んだ駒は、実によく走った。みるみる内に白銀の鎧を輝かせたエセルフリーダの姿が近付いてくる。
背筋を伸ばしたその騎乗姿勢に疲労は見られなかった。剣を収めて、槍持ちの従士から新しい槍を受け取ると、ルリーナの方を向いて面頬を上げた。
葦毛の馬の背は汗に濡れ、荒々しく息を吐いている。
「いい仕事をしてくれた」
「いえ、お預かりした兵を無事に返せず」
エセルフリーダは軽く目を民兵隊に向けて、随分と減ったな、とは呟いたものの、責める訳でもなく、ただ事実を述べているだけに思えた。
「貴殿の隊はこのまま砲兵隊の側衛を続けて移動してくれ」
革袋から水を半ば浴びるように飲むと、エセルフリーダはルリーナにその飲み口を差し出した。少々、躊躇う。
飲むか、と首を傾げるエセルフリーダに、咄嗟に首を横に振って、貰っておけばよかったかとルリーナは少し悔やんだ。
喉は乾いていなかったが、エセルフリーダの水筒である。つまり……どういうことかは聞いてはいけない。
「お姉さまはどうなさるのです?」
「ああ、私はこのままご老体の軍に加勢し……うん?」
ルリーナは、あっ、と上げそうになった声を呑みこんだ。何もなかったような顔を取り繕う。
どうやら、思っていたよりも動揺していたようである。エセルフリーダの、汗を流した水が日の光を反射してきらきらと輝くのを見ながら、ルリーナは冷や汗が頬を流れていくのを感じていた。
気のせいか、という風に一つ頷いて、エセルフリーダは水筒を鞍に戻す。ルリーナは思わずほっと息を吐こうとした。
「ああ、そうだ」
「はひっ!?」
「槍は、使えるか?」
「はっ……は?」
上擦った声に気付かなかったように、エセルフリーダが尋ねたその一言に、ルリーナは思わず目を丸くして数度瞬いた。
その顔を見て、エセルフリーダは悪戯気な微笑を浮かべる。




