シーン7
結局、睨み合ったまま何もなく、夜になった。
日が落ちてからの襲撃、というのは滅多な事でもない限り、有りえない。
というわけで、敵の目と鼻の先で野営である。
煌々と焚火の灯りが、両陣営を照らしている。
夏場とはいえ、夜は冷える。自然、焚火の周りに身を寄せ合い、温かい食事を待つことになる。
「隊長、食事です」
「ありがとうございますー」
リョウが食事を持ってくる。
兵らには麦を煮た粥が、幹部級にはぶつ切りにされた魚のスープが振る舞われる。
単純に全員分を用意するのが難しいということと、同じ物を食べて、全員が食中りという事態を避けるという意味もある。
「いつも、メニューよく思いつきますねぇ」
「いえ、教わっただけですから」
と、リョウは言うと頭を下げ、配膳に戻っていく。
リュング城近くの湖で取れた魚と、香草を共に煮たスープは、滋味豊かな味わいである。
バターを塗った黒パンと共に食べれば、とても野営の食事とは思えない。
とはいえ、魚は足が早いようなので、一日目に限った料理だろう。
「隊長、異常なしでやす」
「はーい、お疲れ様です」
交代を終えた歩哨の報告を受ける。
相手の陣営まで見えているのだから、歩哨など必要ないと思わなくもないが、焚火で照らされた両陣営の間は、重く深い闇に閉ざされている。
幸い、月は煌々と大地を照らしているため、手元で本を読むことすらできそうではある。
それでも、夜陰に乗じて少数で侵入でもされようものなら、という懸念から歩哨数名で警戒線を敷いていた。
「中々見事であるなぁ」
と、聞き覚えのあるような声が聞こえた。
「何者だ!?」
即座に反応したのはチョー。無事な方の足で両手剣を蹴りあげると、器用に鞘から抜き放った。
いや、抜き放とうとした。右手首の上から、手を押さえられてしまえば、剣を抜くことは叶わない。
「ほっほ、この老骨に何ができようて」
と、言ったのは、禿頭で眼帯のご老体。
如何な技を使ったか、チョーがいくらもがいても、その手から逃れる事は出来なかった。
人のよさそうな笑みを浮かべているが、正に人が悪い。その脇には、例のざんばら黒髪も控えている。
「何用です~?」
「いや、少々、気になることがあってのぅ」
聞きに来た。と言う彼の手には、酒瓶が提げられている。
取り敢えず、一献。と差し出された木の杯を受け取って、ルリーナは苦笑した。
チョーに下がるよう伝える。
「聞きたいこと、とは何でしょう」
「うむ」
どう言ったものか、そう考える風にご老体は顎に手を当てた。
ルリーナは杯を傾ける。中身は中々良い葡萄酒だ。こんな所で飲めるとは思えなかったような。
回りくどい事は無しにしよう。そう、ご老体は言った。
「何故、兵を隠しておるんじゃ?」
「ばれました?」
ルリーナはそっと目を伏せる。
幸い、戦場ということで、腰には剣を提げており、胸甲も外していない。
質問の理由如何によっては、ここで退場していただく必要が有るかもしれない。
ルリーナ一人でも、そうそう遅れは取らない筈だ。それに、ここはこちらの陣。
備えがないわけでもない。
「そら、解るじゃろ、儂は真横の隊じゃからな」
「それもそうですねぇ」
「何、聞いたところでどうしよう、という事ではないんじゃ」
だから、そう警戒しないでくれ、と言われ、ルリーナは空を仰いだ。
そう言われてしまっては仕方がない。お手上げのポーズを取る。
ご老体は傭兵の元締めのようなもの、と言ったが、実態は少々違う。
独立した戦力を持つ、王直属の傭兵隊。限りなく騎士、或いは諸侯に近い存在だ。
なので、戦線の一部、今回は右翼の補助の為に出張っている。
事が事でなければ、最右翼に配置される事も多く、精強な兵を揃えているらしい。
「んー、単純な話なのですけれど」
と、ルリーナが説明を終えると、ご老体は残った片目を閉じて腕を組んだ。
「ほほぅ……」
「駄目ですかね?」
「面白い策じゃなぁ」
いつ考えた、とご老体が目を開いて尋ねた。その目は笑っている。
「考えたのは戦場を見る前ですね~」
幾つかの腹案を用意しておいて、布陣を確認したときに決定した。
そう言うと、ご老体を自らの膝を打った。
「あい解った」
協同しよう。とご老体は請け負った。
しかし、初めに言って欲しかったものだ。と、笑って言う。
「敵を騙すには?」
「先ず味方から、じゃな」
聞くべきことは聞いた。と、ご老体は立ち上がった。
「すみませんね~」
「いや、気にする事はないじゃろう」
策が失敗しても、出来る限りフォローする、だから――
「思いきり、やるがいいさ」
「ありがとうございます」
そう言ったご老体は実に楽しそうであった。
ルリーナも笑って、例を言う。思わぬところで頼れる味方が出来たものだ。
歩み去っていくご老体を見送る。
「コウさん」
「へい」
「一応、後を尾けてください」
「へい」
ご老体には貴族達によくあるような、足を引っ張ろうという気はないようだし、獅子王国を裏切る様子もないと思える。
それでも一応、コウに命じて後を尾けさせておく。それがばれて臍を曲げられては何だが、あちらもそれは想定内だろう。
「しかし、歩哨のライン、見事に突破されましたねぇ」
それほど、意味があるとも思っていなかったが、ここまであっさり破られると複雑な気分だ。
まぁ良い、と頭を振る。
「全ては明日以降、ですね」
戦が始まれば、何が起きるかは解らない。
しかし、悩むこともないだろう。全ては、緒戦にかかっていた。
第10話 開戦前夜 終了




