シーン5
がたがたと揺れる馬車、というのは乗り心地が良いとは言えない。
時折、車輪が石を踏んだり、道の窪みにはまったりと、跳ね飛ばされるような気分を味わう事になる。
馬の背も揺れるものではあるが、規則的なので困る事は少ない。ついでに鐙もある。
「さて、我々が布陣するのは、この辺りですね」
そんな馬車に揺られながら、ルリーナ達は、所定の位置へと到着する。
「では、馬車は後方へ」
「了解」
軍団の最右翼、後方には、リュング城のある山の麓から広がる、森の終りが迫っている。
丁度良い具合だ。馬車をそこに隠すと、隊を整列させる。
「ルリーナ」
「はい!」
ルリーナに声を懸けたのは、エセルフリーダだ。騎馬を巧みに操ると、すぐ横につける。
葦毛の馬は、体高がルリーナの身長よりも高く、鞍上のエセルフリーダを見上げるには、無理のある姿勢になる。
「最終確認だが……」
と、布陣についての最終確認を終えると、本格的にやることがなくなる。
エセルフリーダは最前線に立ち、遥か遠方を眺めた。
「やはり、と言うべきか」
「例の、元リュング領主です?」
そうだ、と彼女は頷いた。
ルリーナの側からは敵方の行軍による砂塵しか見えないが、馬上のエセルフリーダには見えているらしい。
「しかし、領地を失ったのに領主のままなのですね」
「上手く、相手方の空席に納まったようだな」
前回の戦の際、竪琴王国の主兵は、例の元リュング領主と、山脈の向こう側一帯、西リュング辺境伯とでも言うのだろうか、の軍だったらしい。
ところが前回、その西リュング辺境伯が戦死、継嗣がまだ若い事もあり、領地を分割して縮小されたらしい。
そして、戦功の有った者に、再分配されたようである。
「だが、ヤツの場合は、緩衝剤、だろうな」
「まぁ、そうですよねぇ……」
互いの内情、というものは、ほぼ筒抜けである。
それも当然。こちらの誰々の従弟が向うの誰々だとか、親戚、姻戚関係は多重に絡み合っている。
顔見知り同士で戦争をしている。と言っても全く過言ではない。
その上で、ベルド男爵――元リュング城伯は現在、そのような官位らしい――は、獅子王国、ひいてはリュング城伯エセルフリーダに対する壁として一帯の統治権を与えられている。
というのが、宮廷内での主流な意見だ。
城伯と男爵では単純な比較はできないが、男爵の方が一段劣るものとして扱われているらしい。
ウェスタンブリアでは実力主義の風潮が強く、例え官位を持つ武官貴族であろうとも領地を失えばそれを剥奪される傾向が強い。
その結果、家名という物の移り変わりも早い。まさに官位がそのまま家名という、大昔のままの形を保っていた。
城伯という官位も、神聖帝国ではとっくに形骸化しているのだが。
「降格人事ですかー」
「敗退した上に、領地まで奪われれば、な」
それはまた恨まれそうな、とルリーナは思うのだが、エセルフリーダはそう思っていないらしい。
そもそも、リュング城を以前、取られていた事についても、半ば当然と捉えているようでもあった。
竹を割ったような性格、とでも言えば良いだろうか。
「ルルっちぃ」
「お待たせ」
と、最前線にニナとナナの砲兵隊が到着する。
「お疲れ様ですー」
ルリーナは陣形変更を再度、通達する。
結果、砲二門を中心に、右と左にそれぞれ二列横隊が並ぶような形に陣が組まれる。
最前線に立っているのは、ルリーナの傭兵・民兵混成隊だ。
エセルフリーダ隊全体で見ると、互いに離れた三層の縦隊で組まれている。
一層目をルリーナ隊とニナ・ナナ隊の投射兵。
二層目をヨアン隊の古参民兵隊。
三層目にエセルフリーダの騎士隊だ。
現在は、エセルフリーダも最前線に来ているが、期を見て後方へと下がる予定だ。
騎馬に跨っている故に、移動については何ら問題はない。
何故、ここに居るかと言えば――
「あ、見えましたね」
遥か彼方遠方、ぎりぎり見えるか、ぐらいの距離に、敵の隊列が見えた。
その戦列は幾分か乱れているように見えたが、直前で配置の変更でも行ったか。
高々と掲げられた旗の色は、黄色、いや、金色。中央に銀糸で剣と杖が縫い取られている。
「随分とご立派な旗印ですねぇ……」
金糸と銀糸を縫い混ぜて織り上げられた軍旗は、随分と高く売れそうなものである。
勿論、軍旗を取った、というだけでも報奨金は出されるのだが、ああも煌びやかだと、傭兵達も狙いたくはなるだろう。
「大将」
「わぁ!」
急に背後、それも低い位置から声をかけられてルリーナが飛び上がる。
敵方を見ていたエセルフリーダの騎馬が、その声と急な動きに僅かに顔を上げた。
すぐに脅威無しと見てとって、再び顔を下げる。実によく訓練されている。
「報告しやす」
「コウさんじゃないですか、驚かさないでくださいよ」
ルリーナの背後から現れたのは、斥候隊を引き連れたコウだ。
ここまでどうやって戻ってきたものか、地味な色の外套は草や土で汚れており、所々、ほつれていたりもする。
「いや、報告に戻っている、ってバレるのも何でやすので」
と、コウはしてやったり、という顔で報告を始める。絶対わざとだ。
「敵さんかなり無理な行軍してやすぜ」
正面に当たるベルド男爵軍は総勢百程度。その内三十余りが騎士および騎兵との事。
数の上ではこちらが勝っているが、騎兵戦力はあちらが二倍ほど。
額面上の数では拮抗、あるいはあちらの側に若干優勢かも知れない。
「無理な行軍?」
「ええ、急に最左翼に出てきたもんだから、徒歩の兵がおっついてないで」
やはり、急遽こちらに正対するように展開したらしい。
とはいえ、今すぐに攻撃を仕掛ける、というのも不可能に近いため、それほどに意味のあることではない。
「振り回される兵が、離反でもしてくれると良いのですけれどねぇ」
「今の所、そんな様子はないでやすね」
まだ、正式な開戦前である。
戦闘で疲弊した所で無茶な機動を求められれば、或いはそのような事も起きるかも知れないが。
「しかし、朗報ですね。おつかれさまです」
「ありがとうございやす。で、俺らは」
「後退して所定の行動に」
「了解でやす」
敵方はどうやら、焦っているらしい。
あるいは、エセルフリーダに固執している。
「冷静さを失ってくれているなら万々歳なのですが~」
「うむ、冷静とは程遠いと思うぞ」
報告を聞いていたエセルフリーダが軽く頷く。
これは、もしかしたら、もしかするかもしれない。
ルリーナもまた、敵の乱れた隊列を見て、一つ頷いた。