シーン6
ギルド、と言うのは職人や商人たちの互助組合だ。
商人ギルドと言えば商人たち全てを管理、監督して時に市政を動かす大権力だった。
ギルド庁舎の門の前で、ルリーナは思い出したように半外套を取り出す。
交渉の場に居ても問題のなさそうだと判断して連れてきた、元商人の男がぎょっとした顔をする。
「隊長、あんた御貴族様の生まれだったんですかい」
「ええ、まぁ、廃嫡された家系ですけれどね~」
マントを着る、というのは特権階級にのみ認められた行為だった。
明確にそう定めた法が有る訳でもないのだが、庶民がマントを着る事はよっぽどの事でもなければあり得ない。
例外はそれこそギルド長などと言ったものであり、それでも貴族に遠慮して派手な物は羽織らないのが暗黙の了解である。
ルリーナが取り出したのは目の醒めるように赤いもので、良く見れば半ばで断ち切られ、ハーフマントに縫い直した跡が窺えた。
留め金には熊を象った意匠の家紋が刻まれている。
商人の男は今までの彼女の行いに納得するとともに、頭を更に低くした。
青い血、と言うのはそれだけで畏れられる物だった。
「そんなに気にしなくて良いですよ~」
ルリーナはそれを当然のように笑い飛ばすと、ギルドの前に立つ。
衛兵がその姿を見て、扉を開いた。
腰に剣を帯びたまま、堂々とホールを歩く。
家督もない貴族の血など、虚仮威しの物だ。
「ほう、見知らぬ紋を掲げておられますな」
「ええ、ですがそのうち、この国にも知れ渡るでしょう」
声を懸けてきたのはよく整えられた髭を湛えた、深緑のマントを羽織る白髪の老人だ。
「はは、その時はよろしくお願いいたします」
年輪のように刻まれた皺を優しげに歪ませながら、老人は頷いた。
「申し遅れました、私、この街のギルド長をさせて頂いておりますアシェルと申します」
「私は神聖なる帝国の子、ベヒルンの領主、ベンゼルの子、ルリーナと申します」
以後お見知りおきを、膝を軽く曲げて礼をする。
爵位を名乗らなかったこと、そのマントが半ばで断たれていることから察したのであろう、老人は目を細めた。
例え廃嫡された身であれど、戦乱の世であれば功績次第で再び取り立てられることも有る。
それがここ、ウェスタンブリアであれば尚更だ。
「御身はこの地で家を興すのがお望みかな?」
「いえ、さような事は望んでおりません。私は仕える主を求めている身です」
ほう、と老人は頷くと、殊更に口調を軽くした。
「おっと、私としたことが申し訳ない。ご婦人を立たせたままでした」
「いえ、お気遣いなく。ただ糊口をしのぐために仕事を、と参っただけですので」
「それでしたら、おーい」
老人は若い商人を呼び寄せる。
出てきた青年は駆け寄って来ると、首を垂れた。
「こちらは我が商会のヘルマンと言いまして、若いながらなかなかのやり手でございます」
「どうも、ヘルマンと申します。貴い御婦人の尊顔を拝させて頂き、恐悦至極の次第でございます」
「私はルリーナ・ベンゼルと申します。今や一介の傭兵に過ぎません、顔をお上げ下さい」
顔を上げたヘルマンは老人に呼び出した意図を尋ね、そのまま外へ向かう。
「後の事はヘルマンにお尋ねください」
「中々、出来た青年ですね」
「ええ、本当は私にも孫が居るのですが、これがどうにも……おっと、旅の方に話す事では有りませんでしたな」
「いえいえ、お気になさらず。それでは、私たちはこれで失礼いたします」
彫像のように固まった元商人の脚をこっそり蹴飛ばしてルリーナは外に出る。
待っていた傭兵達は、そのハーフマントを見て一様にぎょっとした顔をした。
「えーっと、ベンゼル殿?」
「ルリーナで結構です」
「ではルリーナさん、こちらの傭兵団を率いてらっしゃるということで?」
「はい、そうです」
「今、ご案内できる御仕事となりますと、隊商の護衛と言う事になりますが」
「隊商はどちらまで?」
「そうですね、深き森の街までになります。片道五日の旅になりますね」
「では、そちらをお願いします」
「報酬の程は、一人辺り銀貨十枚ほど、危険が有りましたら更に十枚となりますが」
「構いません。食料等は?」
「食料代として銀貨一枚を先にお渡しする形で」
「解りました。それではいつ参ればよろしいでしょうか?」
「明日の四つ半にまたこちらに来ていただければ」
「では、そのように」
「よろしくおねがいします」
青年の不要な情報を除いてサクサクと話を進める様は、好感が持てた。
箔付けのためだろうか、似合わない髭を口元に生やした顔は、実に活き活きとしている。
「いやしかし、このまま戦を始められそうな方々ですね」
「ふふ、流石にそれは難しいでしょう」
お世辞も忘れない辺り流石である。
笑っている顔の中で目だけが笑っていない、まさに商人だった。
「では、また明日の四つ半に」
「はい、よろしくおねがいします」
それだけ言って懐から銀貨を十二枚出すと、若い商人はギルドに舞い戻っていく。
他の商人が彼を好ましげに見て微笑んでいるのを見ると、人望も篤いようだ。
「さーって、皆さん。大事な事を忘れてました」
それまで話に置いて行かれて呆然と突っ立っていた男達にルリーナは声をかける。
「料理が得意な人挙手!」
「一応、大陸の方で宿屋に居ました……」
控えめに手を挙げたのは農民風の男の一人だった。
今や盾を背負い、槍を肩に担いでいるがそれでも線の細さから頼りない印象を受ける。
「よっし、野外料理長に任命です! 大役ですよー」
「は、はぁ……」
全員に銀貨を一枚ずつ渡し、飲みすぎないように告げて翌日までの自由行動を告げる。
連れていくのは元商人と元料理人の二人だ。
ルリーナは勝手にショーとリョーと名前を付けていた。
「リョーさんリョーさん、持っていく食料何にした方が良いですかね?」だとか、
「ショーさん! 値引き交渉は任せました!」と言った次第である。
街に繰り出した彼女らが最初に求めたのは荷馬だ。
ショーとリョーは多少驚いていたが、十二人が五日間ともなると食料も馬鹿にならない。
分散させて持つにしても、それで行き足が遅れるのは頂けない。
いざとなればルリーナが乗る用として、一頭は馬が居ても悪い事は無かった。
と言うよりも、正直馬を飼いたかった。
「んー、本当は戦馬が欲しい所なのですけれどねー」
「隊長、いくらなんでも戦馬をただの荷馬にするのは」
「解ってますよ……あ、この子かわいい」
結局選んだのは眠そうな顔をしたポニーだった。
理由はルリーナ曰くかわいいから。
つやつやの茶色い毛並みに麦色のたてがみの彼はルリーナに抱き着かれてものんびり乾し草を食んでいた。
「隊長、こんなに色々買って大丈夫なんですかい?」
「んー、勿論赤字ですよー、先行投資ってやつです」
「……せんこうとうし?」
スリーピーと名付けたポニーに髪をがじがじと噛まれながらルリーナは気もそぞろに答える。
ショーはそれに納得したようだが、リョーはいまいち解っていないようだ。
「今、色々と買っておけば、後々もっと得するって事です」
「はぁ、そういうもんですか」
リョーは首を傾げたままだったが、スリーピーに跨って抱き着いているルリーナは特に気にしていなかった。
馬の体温は暖かい。すべすべの毛並みとふわふわのたてがみに頬を擦りつけて満足だった。
「じゃあ、食料を買い揃えにいきますよー」
かっぽかっぽと蹄の音を鳴らして歩くスリーピーに乗ったルリーナをショーとリョーは追いかける。
ポニーとはいえ、走らせようと思えば随分と速いものである。
街中で鞍も無しにそんな事をしようとは思わなかったが。
「取り敢えず必要なのは堅パンと乾燥豆と――」
「――バターと干し肉は欲しいところです」
リョーの意見を聞きつつ、買い物を済ませていく。
勿論ショーが値切りをしながらだ。
どうにも相手が何も知らないと見ると値段を吊り上げたがるのが商人の性のようだった。
すっかり重くなった荷物をスリーピーの背中にバランスを見て括り付け歩く。
昨日来た果物屋の前で止まって、店主に話しかける。
「こんにちわ~、林檎を四つ、くださいな」
「はいはい、おう、昨日のお嬢ちゃんじゃあないか」
店主は顔を上げると気さくに応じた。
「いやぁ、見違えるようだねぇ、すげえ鎧じゃねえか」
「ご紹介を受けたギルドに参ってましてー」
「成程なぁ、ほい、林檎四つ」
銀貨を多めに渡す。情報分も含めたつもりだ。
小ぶりな林檎をショーとリョーに渡し、一つはスリーピーの口に運ぶ。
馬は甘いものが好きだ。
「ドライフルーツとかあります? あれば頂きたいのですけれど」
「おう、あるぜ。一袋でいいか?」
「はい、道中平和なら暇でしょうからねぇ」
「まぁな、最近はそこまで物騒な話はない、かな」
「そうですかぁ、あ、ありがとうございます」
「また来てくれよな」
「ええ、また来ますよ」
店主の淡い笑いに、笑い返す。
生きていれば、また来ることもあるだろう。
細々とした買い物も済ませてしまえば、日はもう落ちかけていた。
「すみませんね~、一日中付きあわせてしまって」
「いえ、やることもないですから」
「自分もです」
「もう日も落ちますけれど、今からでも……」
「見つけたぞ!」
路地裏を歩いている時だった。
突然男の声が狭いそこに響いた。
何事かと見てみれば、昨日酒場で痛めつけた男が、数人の男を連れて道を塞ぐように立っている。