シーン2
観客が固唾を飲む中、先に動いたのは男だった。僅かにどよめきが広がった。
一歩、しかしそれは真っ直ぐに進んだのではない。
ルリーナから見て右、男から見れば左斜めに半歩。
半身に剣を擬したルリーナの、背中側、つまり、間合いの外側を狙う一歩だ。
当然、ルリーナもそちらに向き直る。そして男はさらに半歩。
ぐるぐると、円を描くように、僅かずつ間合いが詰まっていく。
もう少しで、二足一刀、という所で、男は間合いを詰めるのを止めて、ルリーナの周囲を回り始める。
ルリーナは構えを維持したまま追いかけるが、これが崩れた時には、すぐさま男は襲い掛かる算段だろう。
「おい! なにぐるぐるしてんだ!」
「早くやっちまえよ!」
等と、痺れを切らした観客が声を上げるが、両者ともに気にした風もない。
足を止め、剣を静かに構えたルリーナに対して、男は剣を風に揺れる木の葉のように揺らす。
止まることで次の動きを読ませないルリーナに対して、多くの動きの中に必殺の一撃を隠すのが男のそれだ。
回り始めてしばらく、にやり、と男が笑った。
次の瞬間、ルリーナの目を光が射す。
「っ!?」
「くらえ!」
一歩、いや二歩。男が素早く踏み込み、手首の返しだけで切りつける。
ルリーナは半歩、下がった。剣風が頬を撫でる。
男は、嵩に懸り、二撃、三撃と切りつけるが、この時にはルリーナも剣を交え、或いはくぐり、それをいなした。
更には隙を突き、半歩踏み込んで、一撃。しかしこれは男の持つ鞘の一撃を避ける為に、企図を達しなかった。
再び、間合いが開く。
「やるな!」
半ば悔しそうに、男は歯の間から言葉を吐き出した。
先ほどの光は何か、とルリーナは束の間思考する。
いや、考えるまでもない。曲刀に日の光を反射させたのだ。
そのためだけに、剣を動かしたのなら気付きもしただろうが、巧妙に動きの中に隠されていた。
「そちらこそ」
危ういところで片目を閉じるに済ませたルリーナだったが、確かに驚いた。
一対一の決闘にしか使えない技ではあろうが、確かに、有効な手だ。しかし、二度目はない。
観客たちの中には、何が起きたかにも気付いていない者も多い様子だ。
「では、次は私から行きますよ!」
二足一刀から大きく踏み込んで一撃、男はこれを体を捻るようにして避ける。
男の、背中の側に回した手から、曲刀の切っ先が伸びてくるのを、ルリーナは事もなげに払って見せた。
何とも器用なものだ、とは思うが、その実、一撃一撃は軽い。
軽やかに後ろへ飛び退る男を追い詰めるように、ルリーナは地を這うように追い縋る。
一撃、鞘で受け止められるが、想定以上に重い一撃だったか、男は冷や汗を浮かべて何とか受け流す。
しかし、態勢が崩れた。右手の剣を振るうには、間に合わない。
一方、ルリーナの側は、振り切った右手を捻って、剣の柄頭を突き上げるようにして男の顎を狙う。
何とかのけぞるようにして、これも避けて見せた男だったが、ここまで。
その無理な態勢を見て、ルリーナは体を捻るように、左肘から体当たりを繰り出す。
「ぐぅっ!」
辛うじて、鎖帷子を着けているだけのみぞおちに、深々とルリーナの肘が突き刺さった。
堪らず、男は蹲る。ルリーナはその首元に、剣の切っ先を向けた。
「どうです?」
まだ、やりますか? と、尋ねる彼女に、男は口をパクパクと、餌を求める魚のように開いては閉じてを繰り返す。
「そこまで! そこまで」
そう、声をかけたのは、禿頭で眼帯をした、ご老体。
「見事な演武であった。なぁ?」
と、周りの観衆に呼びかける。どういうことか、と首を傾げる彼らに、更に低い声で、なぁ、と同意を求める。
有無を言わさぬその口調に、傍にいた傭兵隊長は、おっかなびっくり首を縦に振るしかなかった。
見れば、馬に乗った従士たちが、こちらに近づこうとしている。
ルリーナは、速やかに剣を納め、ようやく荒いながらも息を吐き始めた男に、取り落していた曲刀を拾い上げてやる。
男は、それを受け取ると、何とか自分の足で立ち上がってみせた。
「何事だ! 何の騒ぎだ!」
馬を駆けさせてきた従士が、大声で呼ばわる。
事と次第によっては許さぬぞ、という意味合いが多分に含まれていた。
「あいや、戦の前にひとつ、余興をしていただけですじゃ」
ご老体の言葉に、従士は観衆の真ん中に立つルリーナと男を見て、怪しむように目を細めた。
手近にいる一人に、声を懸ける。
「本当か」
「へ、へい。演武をしていただけにございやす」
嘘は許さぬ、という剣幕に、その一人は何とかそれだけの言葉を言いきった。
まだ疑わしい、と従士はその場を見渡すが、確かに血の一滴も流れてはいない。
陣中での私闘は厳に戒められていたが、余興、演武の類を禁ずる法はない。
従士の睨めつけるような視線に、ルリーナはスカートをつまんで、一礼をしてみせた。
「ふん、まぁいい。余り騒ぎを起こす物ではないぞ」
「ええ、ええ。勿論の事ですじゃ」
頭を下げるご老体を馬上から見下ろすと、従士はもう一度鼻を鳴らして、駆け去って行った。
ほっ、と息を吐く空気が観衆らに広がる。
「聞いておったな。此度のはただの演武じゃ」
改めて、ご老体が観衆に呼びかけると、今度は全員が納得したように首を縦に振った。
「それが分かれば、解散じゃ、解散」




