シーン4
あるいは戦なんてないのではないか。王都からの早馬が着いたのは、そんな事を考えるほどに平和な日々が続いた頃だった。
「報告! 報告ー!」
息せきかけて駆けてきた使者は、興奮した馬の手綱を強く引きつつ、大声で呼ばわった。
駆け寄った下男が手綱を預かろうとしても、そのままで良い、それよりも早くリュング城伯を、と聞かない有様だ。
エセルフリーダが大して急いだ様子もなく、しかしそれほど待たせずに門の前に姿を現した。
「来たか」
「国王陛下からの書状を預かっております!」
使者は、懐に納めていた羊皮紙の書簡をエセルフリーダに渡す。
彼女はそれをその場で開くと、確かに受け取った、と頷いて見せた。
「返書は要らずとの事です」
「使者殿はどうなさる」
休んでいくか、ろくなおもてなしもできないが。エセルフリーダはそう言った。
随分と飛ばして来たようだ。早馬に跨り、駆け続けるというのは中々に辛い。
使者は汗が顎から滴り、肩で息をしている様子だった。
「いや、いや、水だけ頂ければ充分です」
彼はそう言って汗をぬぐうと、急く様子で城門の方を窺った。
「まだ、次の仕事が残っておりますので」
事実、彼は馬に水を飲ませ、少しだけ休ませた後、再び大急ぎで城門を飛び出て行った。
ルリーナが中庭の騒ぎに気付いて出てきたのは、その背中が遠ざかっていくときだった。
「あー、どんなご用件でした?」
聞かずとも、使者の様子を見ればおおよそ知れる事ではあったが。
エセルフリーダが渡した羊皮紙に目を通す。
「何と言うか、微妙な日程を出して来ますねぇ」
「全隊が到着、とはいかぬだろうな」
書状は簡潔な内容だった。
竪琴王国からの宣戦布告、二週間の後に開戦。
戦場と指定されたのは、リュング城から竪琴王国側に下りた、平原である。
獅子王国は王自身を元帥とした諸侯連合を編組して事に当たる。
以上が内容だった。
「こちらは何をするにも山を越えなきゃいけないのですねぇ」
代わりに敵領内を荒らせる……いや、敵領に侵入できる。この戦に勝利すれば、版図を広げるのも容易くなるだろう。
相手もそれを承知の内であるから、そう簡単な話でもないが。
リュング城を取られれば敵勢力の侵入を許すことになり、しかし、リュング城から先に領土を取っても、突出するために包囲される。
獅子王国と竪琴王国の主戦場が、専らこの周辺での小競り合いに終始している理由はそれだった。
「援助を与えて、体よく厄介を押し付ける形だな」
エセルフリーダがそう言ったのも、仕様のない事ではある。
どちらにとっても、敵が持っていれば嫌だが、自身が持っていても扱いに困る。微妙な地域だ。
「さて、さて。これで面倒な仕事は一時保留だな」
事ここに至れば、領地経営などしている暇ではない。
事前から張られていた哨戒網のお陰で戦争準備はある程度出来ていたが、ここからは一時も惜しいところだ。
「偵察は?」
「従者らを向かわせる予定ではあるが」
偵察行においては、騎兵の機動力は頼もしい限りだ。
しかし、とエセルフリーダは続けた。
「戦慣れした者が少なくてな」
「うちの傭兵隊から斥候を出しましょうか?」
敵を見つけて数と兵種を報告する。簡単なように見えて、意外と難しい作業だ。
見つけられやしないかと焦りながら、莫大な人数の敵を数える。
一人一人数えられる訳もないのだから概算で出すのだが、これが多かったり少なかったり――大概、多い方に間違える。
一千を超える大軍勢! と矛を交えたら精々数百の支隊で、その内に本隊が迂回、側面から強襲を受けた。という話も枚挙に暇がない。
「中々優秀な者がいるのだったな」
「ええ、実績もありますよ~」
コウは傭兵上がりであるし、その部下たちには軍役経験者も居る。
盗賊として襲撃相手を慎重に選ぶだけの頭が前の上司にはあったらしく、褒められた仕事ではないが、その経験は得難いものとなっている。
情報も無しに敵と戦うのは、暗闇の中で出会い頭に殴り合いを行うようなものだ。
一度当たってしまえば嫌でも敵は知れるから目隠しとは言わないが、暗中から次なる敵が出てくるかもしれないし、最初の一撃が致命的かもしれない。
「なら、頼む」
「畏まりました」
戦力が一人でも惜しいのは事実だったが、斥候隊は消耗させたくなかったために、ルリーナは員数外と扱っていた。
何もするな、とは言えないので、今は一部の民兵と共に槍の扱いでも習っているはずだ。
民兵の半数以上には銃を持たせているが、体格の大きい者には槍を持たせている。槍を構えていられれば十分程度に考えているが。
騎士隊の方へと向かうエセルフリーダと別れ、ルリーナもまた傭兵らの下へ向かう。
ヨアンや他の兵らには小間使い達が駆けていった。
「さーって、そろそろ忙しくなりますねぇ」
退屈な訓練の終りと、少しの不安に心が躍り始める。
戦は祭だ。この時ばかりは、他の何を考えることもなく、ただそれだけに専心できる。
ルリーナら傭兵や騎士達は、この時の為だけに生きていると言っても過言ではない。
自分の命を賭けて一山当てよう、などという者らが安定を求める訳がない。
農地を耕し、額に汗して、家族を為し、子供たちに看取られながら生まれた地で生を終える。確かにそれは良い一生だろう。
だが、つまらない。それに、農村での生活もそれほど安全で快適と言う訳でもない。
天災、流行り病、不慮の事故、それに掠奪を行う無法者たち。
どの道、死の不安は常に隣にあるのだ。
傭兵達の中にはどうせなら派手に生きてやろう、という者も居る。
奪われる者であるよりは、奪う者になろうとした者もまた居る。
民兵達の中には、引き継ぐ農地のない、次男三男といった厄介払いで送られてきた者も少なくはない。
そういう者らが生き残り、帰る訳にもいかず傭兵に身をやつす事も多かった。
そして、それだけの者らが集まるにも関わらず、一度、戦が起きれば、食いあぐねるという事は実に少ない。
勿論、増えただけ減ったのだ。しかし、彼らにはそれしかない。それしかできない。
彼らは兵となったことを悔いただろうか?
「いや、そんな訳はありませんね」
彼女はその何れでもあり、何れでもない。
しかし、ルリーナはにやりと笑った。それはまた、凄絶な笑みだった。




