シーン3
「で、早速負傷者一名。と」
「すみません……」
手許の書簡から目を離す事もなく、構わない。とエセルフリーダは言った。
ルリーナが申し訳ないと頭を下げているのは、訓練中に負傷者が出てしまったからだ。
弾丸と火薬が想定外に手に入ったために、重点的に実射を行わせていたのだが、過熱した銃身で暴発が起きたらしい。
幸い、命に関わるような怪我ではなかったが、注意不足だったのは事実だろう。
「どんな訓練でも、事故くらい起きる物だろう?」
仕事が一段落ついたか、ようやく顔を上げたエセルフリーダは事も無げに言って見せた。
実際、ルリーナがこの城についてから、騎士達の中からも一人負傷者が出ていた。
「あー、うーん、そう……ですかね?」
彼女の指導振りについては見ていたが、随分と厳しいものだった。
確かにそれに応じて兵の練度は高いだろうが……ころころと転がされるヨアンが印象的だ。
「次、気を付けてくれれば良い」
「肝に銘じておきます」
それだけ言うと、エセルフリーダは疲れたように目元を押さえた。
「……その、随分とお忙しそうですね」
「解るか」
疲れを気取られたのを恥じているのか、エセルフリーダは僅かに唇を歪めた。
「エレイン様もヨアン……殿もお忙しそうなご様子ですから」
ルリーナは毎日、エセルフリーダと共に両人とは食事の席を同じくしているのだが、ヨアンは目に見えて、エレインはたおやかな態度は崩さないまでも口数が少なく思えた。
「未だ、領地を賜ってから時が余り経っていないものでな」
見ての通り、問題は山積だ。と、エセルフリーダは卓上の書類の山を指す。
それらの書面から拾える言葉を考えるに、陳情書、請願書、報告書といった領地経営に関わる事々の書類のようだ。
書類の中にはエレインやヨアンの署名も見られる。
信頼できる代官でも置きたいところだが、そうもいかない。という事らしい。
「私も手伝えれば良いのですがねぇ……」
「気持ちだけ、受け取っておこう。今は、な」
ルリーナも青い血こそ引いているが、獅子王国の貴族でもなければ、文官としては秀でている訳でもない。
何より、机の前で文字を相手に頭を捻るのは、性に合わない。
「民らを預かってもらっているだけ有り難いことだ」
「慎んで拝命いたしております」
ルリーナの隊は現在、続々と到着する、自身の隊に入らない民兵の訓練も並行して行っている。
どうやら騎士の指揮はエセルフリーダが行い、歩兵隊の指揮はヨアンが行うようで、なのでその分、ヨアンは書類仕事に集中して取り組むことができる。
その話を聞いて、赤毛の女給二人に脇を固められ、連れ去られていくときのヨアンの喜びに満ち満ちた表情は中々の物だった。
さながら、屠殺場に連れられていく家畜のような。
「おじょうさ……お館様、お飲み物をお持ちいたしましたぁ」
「ああ、ご苦労」
赤毛の女給の片割れが、お盆を両手に脚で扉を押し開けながら入ってくる。
上品、とはとても言えない所作だ。
「あら、ルルっちも一緒でしたか。お疲れっすぅ」
「ニナさんもお疲れ様です~」
「私はナナの方ですよぉ」
「騙されませんよ」
ちぇっ、と言って湯気の立つ木の杯をエセルフリーダの前に置いて一礼をした、間延びした声の彼女は、女給の姉の方、ニナだ。
ニナとナナは双子で、ルリーナとは齢も近く――と言ってもニナとナナの方が幾つか上の筈なのだが、それを指摘すると酷く臍を曲げるのだった――のんびりとした性格と相まって、打ち解けるのに時間は然程、必要なかった。
「私も休憩するから、二人とも下がって良いぞ」
「はぁい、ルルっちはどうしますぅ?」
「んー、後ろ髪引かれる思いですが、ここは下がらせて頂きます」
「ルリーナもご苦労、引き続き頼む」
「はい!」
エセルフリーダの言葉に笑顔で頷いた後、ニナと共に部屋を辞する。
ニナは扉を閉めると、ふぅ、と溜息をついた。何だかんだ主の前では気が張るらしい。
「控室でお茶でも飲んでいきますぅ?」
「お言葉に甘えさせて頂きましょうか~」
お茶、と言ってはいるが、大陸の東から交易で手に入れられる、高価なそれではない。
樹皮を煎じて作った飲み物だったが、思いの外、味もよく、落ち着く香りのするものだった。話によると胃腸にも良いらしい。
「もともとは、魔女の先生が教えてくれたらしいですよぅ」
とは、ニナ……いや、ナナだったかもしれないの言。この姉妹は本当に似ているのだ。
魔女、といっても、そんな物騒なものではない。箒に乗って空を飛んだりしないし、人を呪うことはなくもないが、気休めのようなものだ。
良く解らない宗教を持っている事もあって、不気味だと一般には言われているが、薬を作ったり、傷の治療をしたりと、場所によっては重宝される存在だった。
エレインはその魔女の先生に手解きを受けて、多少の心得があるらしい。
「うちにも医術に詳しい人材が欲しいところですが」
「はぁい?」
独り言に首を傾げるニナに何でもない、と告げてお茶をすする。
はぁ、と息を吐くと、お年寄りみたいだと笑われた。
「ルルっちは本当にエセルフリーダ様がお好きですよねぇ」
「ええ、格好良くて、美しいお姉さまは正に理想のひとです!」
「確かに格好良いですよねぇ、ヨアンくんと違って」
あれはない、と、エレインが聞けば苦笑しそうな事を言って二人で盛り上がる。
女給らからすればヨアンも上司……というより目上の者には違いないので、不敬な話ではあった。
「こぉら!」
「あ、お疲れすぅ」
「お疲れ様です~」
控室の扉を開いて入ってきた者が、咎めるような声を上げたが、二人とも動じず、ただ労う声をかけた。
「二人だけでずるい。私も休む」
そう言って前掛けを外して椅子の背もたれに掛けたのは、ニナの妹、ナナだった。
こうして二人並んでみると、本当によく似ている。肩までの赤い髪、薄くそばかすの浮いた肌、悪戯っぽい輝きを宿した翠色の瞳。
目に見える違いと言えば、姉の瞳はより緑に近く、妹の瞳が青に近いというところぐらいだろうか。
後は微妙に姉の方が背が高いだとか、妹の方が指が細いとか……。
「ルルっち、目が不穏」
「ですねぇ……」
「何の事でございましてありましょうか?」
身を守るように互いに抱き合った双子の姉妹のじとっ、とした目線を受けて、ルリーナは咄嗟に誤魔化した。
別にそういう目で見ていた訳ではないのだが。
「誤解です誤解、私だって誰でも良いって訳では」
「私達じゃぁ」
「不満ということ?」
いや、そうではない。どう言ったものかとルリーナが答えあぐねていると、姉妹は顔を見合わせて笑い始めた。
どうやら、からかわれていたらしい。初めは仏頂面だったルリーナも、終いには共に笑っていた。
夏の穏やかな昼下がりは、そうして過ぎ去っていく。




