表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/101

シーン5

「ふぁ、おはようございますー」


 日が昇れば、朝である。

 当たり前の事ではあったが、若干恨めし気な視線で太陽を見てしまうのは、責められることではないだろう。

 薄い布団の抗いがたい魔力にしばらくごろごろと寝台を転がっていたが、やがて絶望的な顔をしながらなんとか引きはがして立ち上がった。

 服を着ると靴をつっかけ階段を下りて、定位置となったカウンターに腰かけると、あくびを噛み殺しながらあちらこちら勝手な方向を向いている髪を軽く編んでいく。

 早起きの者達はもう食事を終え談笑し、恐らく昨夜から潰れている者はテーブルに突っ伏して高いびきをかいていた。


「おはようさん、良く眠れたかい?」

「おかげさまでー、シーツが最高でした」

「シーツがかい? 面白い事言うねぇ」


 女将が目を丸くしながら皿を置く。

 目玉焼きとふつふつと脂が弾ける焼いた燻製肉、付け合せには良く煮たえんどう豆が盛られていた。

 朝に焼いたばかりだろう、パンからはライ麦の芳しい香りがする。

 たっぷりのバターと木苺のジャムを乗せて、半ば眠ったままの頭で口に運ぶ。


「随分とお料理に力を入れているのですねー」

「ああ、前の店主が大陸の方で料理を習ったってんでね。最初は面倒だと思ってたんだけど、なんせ美味いからねぇ」

「わかりますー、美味しい料理を食べちゃうと、今までのが物足りなくなりますよねー」


 ぼんやりと受け答えしながら食事を進めていく。

 薄いエールを飲みながら、今日するべき事を考えていた。


「あ! ルルさんおはようございます」

「おはようございますー」

「洗濯物とかあれば、部屋の入口の籠に入れておいてね」

「はいー、お願いしますー」


 布が満載された籠を抱えてマリーが降りてきた。

 朝からよく働くものだ。

 感心しながら食事を終え、顔を洗いに庭に出る。


「今日も良く晴れてますねー」

「夏だからね、冬だとこうも行かないのだけれど」


 井戸端ではマリーがじゃぶじゃぶと洗い物をしていた。

 水を貰って顔を洗い、先を裂いた木片で歯を磨く。

 歯を磨く習慣はそれほど広まっていないようで、時折男達が出てきても、精々顔を洗うだけだった。


「おはようございやす、姐さん」


 どうやらルリーナに付いてくることになった男達の代表になったらしい者が、声を懸けてくる。

 伸ばしっぱなしの髭と、片目にかかる大きな傷が特徴的な恐らく三十近くの大男だ。

 腰からは手斧を提げ、いつでも出れる、と言わんばかりに円形の盾を甲羅のように背負っている、

 太い首と隆々たる筋肉も相まって、大きな亀のように見えた。


「ふぁい? おはようございます」

「姐さんはいつ頃に出られるんですかい?」

「そうですねー、マリーさんマリーさん。ギルドっていつ頃開きますか?」

「んー、大体五つ刻くらいじゃないかしら?」


 ぱんぱん、と布を振って皺を伸ばしながらマリーは首を傾げる。

 染みを見つけて水に浸け直した。


「じゃあ、四つ半くらいに出ますかねー」

「了解しやした、他の連中にも伝えておきやす」


 日時計を見ると、まだ三つ半、大体一時間くらい間が有る。

 洗濯を続けるマリーに別れを告げて、部屋に戻る。

 胸甲の鈍い輝きを鏡にして軽く髪を整えてから、鎧下を着こんでそれを着ける。

 二、三回跳んでみてベルトに緩みが無いかを確かめて、袋に入れて折れ曲がっていたつば広の帽子を伸ばす。

 靴も軽く磨いて、革の手袋を着ける。

 鳥の羽の刺さった帽子を被って一回転。

 ふわりとスカートが広がった。

 姿見がないのは残念。

 ちょっと早めに酒場に降りれば、男達が屯していた。


「おはようございやす!」


 随分と士気が高そうだ。

 各々、しっかりと手持ちの装備を整えているが、勿論の事てんでバラバラのそれだった。


「あー、女将さん、ちょっとお庭をお借りしますー」

「あ、ああ。そりゃ良いけども……」


 異様な光景に女将の顔も引き攣っている。

 取り敢えずその男達を引き連れて庭に出ると、日の光にさらされて尚、その異様さに拍車がかかった。


「はいはーい、整列してくださーい」

「うす! 姐御!」


 数えてみれば男衆は七人だった。

 槍を持っている者も居れば、斧を持っている者も居る。剣はそれよりも少ない。

 昔ながらに盾を構えた者も数名居て、弩を抱えている者が三人。


「意外と悪くない装備ですね」

「経験者だけを集めました」


 ちらっと見やれば、建物の影からこちらを窺う農民風の男達が数人いた。

 苦笑して呼び寄せる。


「良いんですかい?」

「誰でも初めては有りますからね~」


 際どい発言にざわっ、と囁きが広がる。

 ルリーナの視線の温度が氷点下まで下がった。


「ひとーつ! 私の下に居る以上は下ネタは禁止!」

「うす、姐御!」


 びくっと直立不動の姿勢を取る男達。

 その様子が滑稽で、洗濯を続けていたマリーがくすっと笑った。


「ふたーつ! 私の事は姐御じゃなくて隊長と呼ぶ事!」

「うす、隊長!」

「みーっつ! 返事ははい! うすじゃなーい!」

「はい、隊長!」

「よっつ! 仲間を絶対見捨てない!」

「はい、隊長!」


 最後の一つだけどういう意味だか取りかねたが、勢いに押されて男達は返事を返す。


「で、そっちの……四人!」


 はい、と声を上げたのは建物の陰から様子を見ていた農民風の男達だ。


「傭兵は持っている物で値段を付けられるから、精一杯着飾ってくるのが常識!」


 金の無い者、と声を懸ければおずおずと三人が手を挙げ、ついでに最初の七人からもパラパラと手が上がる。


「あー、そうですね、先に武具屋にでもいきましょうか」


 洗濯ものを紐に掛けていたマリーに場所を尋ね、大通りに繰り出していく。

 少女に先導され男達がカルガモのように付いていく様がよっぽど珍しいのか、奇異の視線があちこちから集まった。


「おかーさんあれなーに?」

「はいはい、いつもの傭兵の野郎ども……じゃない」


 といったものである。

 石畳の大通りを歩き、目当ての場所を見つけると、ルリーナは男達を外で待たせて一人店に入っていく。

 入っていく、と言っても開け放された洞穴、といった風情の店では有ったが。


「どもー、やってますかー?」

「はいどうもいらっしゃい。これはまた見目麗しい……傭兵さんでございますね」


 鍛冶場と倉庫と店が一体になったような空間が、その武具屋だった。

 壁には何本もの槍や矛、盾が雑多に立てかけられ、炉が据え付けられた奥からは金床を槌で叩く音が響く。


「ご注文は何でしょう。どうやら貴いお生まれのようだ、こちらの剣などおすすめですが……」

「いえ、今日は私の物を買いに来た訳じゃないので~」


 立て板に水で話し始める武器商人を押しとどめ、親指で自らの後ろを指す。

 逆光の中、壮絶としか言えない男達の顔が並んでいるのを見て武器商人がひっ、と上ずった声を出した。


「取りあえず新品でなくて良いので、槍を人数分揃えたいのですよねー」

「それでしたらこちらの中古品がお勧めです……」


 すっかり気勢をそがれた商人が薦めたのは、長さも穂先の形もまちまちの古びた槍だった。

 おそらく、どこかで起きた戦での戦利品が流れてきたのだろう。


「そうですね、それで良いです~」


 幾つか良さげなものを引っ張り出しながら必要な数を考える。

 弩を持っている者と初めから槍を持っている者には必要ないだろうから、予備も合わせて八本も有れば十分だろう。

 それと合わせて丸盾も購う。

 木と革で出来たそれを一つずつ持ってみて具合を確かめる。

 結果、大きさは大体揃っているものの色とりどりの盾が集まった。

 その中から好みのものをピックアップしていく。

 気付けば鼻歌混じりである。


「ふんふ~ん、これ下さいな」

「へぇ、ありがとうございます。お値段の程ですが……」

「あ、それくらいですか。じゃあ」

「ちょいと待って下さんな」


 商人が言った値段をそのまま出そうとしていたルリーナを遮って、男の一人が入ってきた。

 ここは俺に任せてくれ、とひとつ片目をつむってみせた。


「ちょいとそれはぼったくりじゃねーかな」

「いやいや、何を仰います、ぼったくりだなんて」

「戦場からちょろまかしてきたもんじゃねーか、ごまかそうったってそうはいかねーぜ」

「そう言われましても、ここまで運んでくるのにも苦労してまして」

「いやいや、俺だって元商人の端くれだ、そんくらい御見通しさ」


 あれよあれよと交渉が進むうちに値段が四分の三になり三分の二になり、遂には半値を下回った。


「これ以上は下がらない」

「良し分かったそれで買おう……すんません隊長、お願いします」

「あらら、ありがとうございます」


 いくら交渉しようと金を払うのはルリーナである。

 意外な特技を見せた男に礼を言うと銀貨を商人に握らせる。


「良い部下をお持ちのようで」

「私も意外です~」


 武器商人の恨みがましい目を受けつつ、思いの外安く済んだ買い物に笑いがこぼれる。

 それを見て毒気を抜かれたように、商人は渋い顔になった。


「これだったら私の得物も買えそうですね」


 そう独りごちて店内を見回す。

 束になって置いてある数打ちの品に混じって、いくつかここで打ったばかりだろう武具が立てかけてある。

 彼女の目に留まったのは一つの身幅の広い刃を持つ長柄武器だった。


「このグレイブ良さげですね。持ってみても良いですか?」

「え? いやでもそれ結構重いですよ?」

「いやいやそんな事ないでしょう」


 身長を超える長さのそれをひょい、と片手で持ち上げると、両手に持ち直して軽く振って見せる。

 ぶんっ、と風を切る凶悪な音がして、ぴたりと地面と水平に止められた。

 全くそれに振り回される様子もない。

 商人は呆気にとられた顔で彼女の細腕と得物の間で何回か目を往復させると、信じられない、という仕草をした。


「これ、御幾らです?」


 告げられた値段に少し色を付けて渡す。

 また来ることもないだろうが、吝嗇だという評判が広まっても困る。


「ありがとうございます……」

「いえいえー、良い買い物が出来ましたー」


 未だに変な顔をしている武器商人を尻目に男達がそれぞれの武器を取る。


「これ良さげだな」

「あっ、それ俺も目をつけてたのに」

「青いの俺のなー」

「どうせだから俺はこの赤いのを選ぶぜ」

「お嬢の服と同じ色だな」

「お嬢? ああ、隊長か。合ってるなそれ」


 ルリーナはグレイブを担ぐと男達に振り返った。


「はいはい! さっさと決めて外に出てください!」


 男達は大急ぎでそれぞれの得物を取ると、武具屋の前に整列した。

 盾と槍がそろうだけでも、ただのならず者から傭兵団然としてきた。

 ルリーナは満足気に一つ頷くと、再び男達を先導して商人ギルドへ向かう。


「そろそろ良い時間ですかね~?」


 そんな事を呟くと同時に教会の尖塔から鐘の音が響く。

 五つ刻を告げる鐘だ。

 それに驚いたのかは知れぬが、鳩の群れが白い街並みの上を飛ぶ。

 改めて見渡してみれば、黒い石畳と白亜の建物、青い空が眩しく見えた。

 城壁は遠く、海に面しているが為に欠けた円形をしている。

 大通りに軒を連ねた商店も次々と店を開き、街は二度目の目覚めを迎えたようだった。

 潮風の香りが幽かに香り、日に当てられて馬糞の匂いが立つ。


「良い場所ですね」


 眩しさに目を細めて、ルリーナは呟いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ