シーン5
「いやぁ、足し算の方が簡単でしょう」
「にーたすさんはー」
「よっつがひとつと……?」
「五だな」
「算数がなんになるんでい」
平和な道中の手慰みに簡単な計算を子供たちに教えていると、チョーはそれに乗ったが、カメは顔を顰めて首を横に振った。
「そら、戦をするにも、飯を食うにも、何を買うにも必要やないですかねぇ」
「そんなもんかい」
ショーの言葉にも苦い顔をしたままだ。
傭兵達の多くもカメと同じ感想らしく、時折ルリーナが質問を飛ばすと嫌そうな顔をしてそれに応じた。
彼らにとっては読み書き計算はやはり、その程度の認識らしい。
「明日も知らずの身空ゆえ、と」
「良い言い回しですね。誰から聞いたんです?」
「そら夜鷹……あっ」
「……別に悪いとは言いませんよ?」
コウが失言をしたものと慌てて取り繕おうとしたが、ルリーナは努めて聞き流した。
傭兵隊に規律は求めるが、その範疇であれば気にはしない。
というよりも気にも留めない、と言うべきか。
「しかし、穏やかな道中ですねぇ」
「そう何度も騒ぎになって貰っては困りやすが……ってこれ、前にも言いやせんでしたかい」
「そうでしたっけ?」
ともあれ、平和な行軍、というのはよい物だ。
いつの間にやら街も遠く、しかし、地平線の先まで平原が広がっている。
街へ来るときにも見た、羊の群れが雲のように浮かんでいた。
「しかし、開戦までには陽射しも多少は弱くなりますかねぇ」
「冬戦、とかは御免でやすがねぇ」
「違ぇねぇ」
後ろを振り向けば、黄金色に輝かんばかりだった麦の穂も、その多くは刈り取られた後だった。
今がまさに戦日和といった風情で、開戦がいつとなるか、というのは不安要素として残っている。
「時間があれば良いですが」
「有り過ぎても問題でやすな」
「いっそ来年とかになりませんかねぇ」
「無理でしょうな」
チョーとそんな軽口を飛ばしあう。
既に敵方の一部とはいえ動員されている気配がある以上、近いうちの開戦は避けられないだろう。
動員を行って何も起きませんでした、等とは言っていられない。
「おっと、ここらで一休みするみたいですぜ」
「昼時ですね、ふぁ」
エセルフリーダの隊列が、道を外れて止まり始める。
陽が中天を指すにはまだ早いが、丁度、休憩に適した広場があるようだ。
行進の歩を緩めて、長い隊列が停止する。すぐさま、従者たちが各々の騎士に駆けより、馬を預かった。
道端に座り込む傭兵らに対し、騎士達は休憩所となる小屋へ入っていく。
「さすが優雅でございやすねぇ」
「まぁ、そう言わずに」
吹き晒しの地面で陽射しに灼かれる傭兵らとは随分な違いである。
カメの文句は、彼らを代表した声だ。傭兵達にとっても、騎士らは余り快く思われていない。
騎馬に跨った彼らは如何にも楽そうで、しかも、脚が速く、戦況が不利となれば傭兵らを置いて自分たちだけ後退し、しかも追いかけてくるものもまた騎士だ。
そして、戦闘の決定的な一撃は彼ら騎士により行われるのである。
最も危険な所は下々に任せて、美味しいところだけもってくヤツら。それが騎士の印象だった。
とはいえ、傭兵隊の長が騎士、ということも良くある話ではあるのだが。
盗賊騎士が傭兵を従えて街道を荒らす、などという話も、よくある事だった。
「一応私も騎士志望、なのですがねぇ」
手ずからバケツに水を張り、馬に飲ませつつルリーナはぼやく。
従者の一人の話によると、一時間半ばかりの大休止をとるらしい。リョーや、子供たちが料理の為に火を熾していた。
ここまで荷物を背に歩き詰めだった少年らは疲れ切っているかと思いきや、存外、元気が余っているらしく、互いにふざけ合っている。
「後で疲れた、なんて言わないでくださいね~」
「だいじょぶだよ姉ちゃん!」
「こんくらい、街での荷運びと比べたらな!」
などと意外と頼れる答えを返していたが、どうやら靴擦れをしたらしく、足を引き摺っている者もいた。
「カメさん」
「へい」
「少年団に靴擦れと肉刺の対処を教えてあげてください」
「了解っす」
カメの厳つい顔に怯えていた少年少女らも、今となっては随分と打ち解けている。
少年を肩に乗せ、長いひげを引っ張られているその姿は、傭兵形無しである。
「おねーちゃん、ごはん!」
「あ、ありがとうございます~」
少女の一人が器に盛った料理を持って、得意げに駆け寄ってくる。
ルリーナはそれに微笑を返すと、軽く少女の頭を撫でた。はにかんだような笑顔を見せて、彼女は鍋の方へ駆け戻っていく。
キャベツと玉ねぎのスープと、茹でた肉、そして黒パンにバター。簡単な食事ではあったが、一日目と言う事もあって、新鮮な食材を使っている。
数日であれば腐るといった事はそれほど気にしなくても良いとはいえ、荷物が増えてしまうのは頂けない。
長期の戦役であれば、勿論、現地調達という手もあるのだが、その方法については、指揮官の自主裁量に依るところが大きく、また、戦乱の中、村や街に如何程の備えがあるか、という事を鑑みれば、それがどのような手段になるかは想像に難くないだろう。
勿論、ルリーナ自身はそのような手段を――
「取らない、とは言い切れませんが」
――避ける意図はあった。
何より、場当たり的な食料確保で不慮の事態、というのは避けたい。
それに何より、乾パンと干し肉と僅かな水。それで食いつなぐような日々は、御免だ。
温かく、塩漬けや燻製ではない生の食事を終えて、ほっと一息をつく。
「さって、見張りを立てて休憩しましょう」
「うっす」
チョーに差配を任せて、自身も靴を脱ぎ、帽子を顔に乗せて御者台に深く腰掛ける。
まだまだ道は長い。休めるときに休むのも仕事の内だ。