シーン4
「それでは、お世話になりましたー」
「道中、気を付けてね」
そうして、一週間、旅立ちの時が訪れた。
見送りに来たベアトリスに帽子を脱ぎ挨拶をすると、ルリーナはゆっくりと馬車を出させた。
「また、参りますので!」
「ええ、また、ね」
ベアトリスは一体、何人の人間をこうして見送ってきたのだろうか。
そして、その内の何人が言葉通りに戻ってきたのか。
一月ほどの付き合いではあったが、そこで解ったのは彼女の表情は読みにくいという事だろうか。
いや、これは解らなかったのは、と言うべきか。
しかしながら、前日の、門出の宴の最中に見た彼女は、確かに名残惜しげに見えた。
そして、今の彼女も。
「騎士が馬車、なんて似合いませんがねぇ」
「お姫さんに馬車、ならぴったりじゃありやせんかね」
「あ?」
これは失言、と手綱を握るチョーは口を押さえた。
馬車というのは、いわゆる女子供の乗るものだ、というのは騎士達の共通認識と言って良い。
英雄譚にも、囚われの姫君が騎士に向かって「そんな姿を見せるくらいなら助けに来なければ良かった」などと言う話がある程だ。
「んー、馬がなければ様にもなりませんねぇ」
呼んだ? と後ろを向いたスリーピーに釣られて、馬車がゆらいだ。スケアリーが迷惑そうにスリーピーに顔を向ける。
スリーピーもスケアリーも、小柄な荷馬だ。とてもではないが、戦には連れていけない。
二頭立てに直した荷車の調子は悪くない。隊長が徒歩、というのも恰好が付かないとはいえ、まぁ、この立場には相応しいのかもしれない。
荷台に子供が乗っているのは、何とも言えないところだが。
「褒美に馬でも貰えばよかったんじゃあないですかい」
「いやこれが、軍馬だけ居てもどうしようもないってところで」
「いやでもそんなおもちゃよりゃあ」
そう、荷台に乗っていたのは棒の先に鉄の筒が付いた、そうとしか形容できないものが数束と、樽だ。
「ハンドカノンです? これは後々役に立つかと」
「つっても、弩弓の方がよっぽど使えると思いやすがね」
「んー、欲を言えばサーペンタインが有ればよかったのですけれどねー」
カメとチョーに好き放題言われているのは、いわゆる銃というものだった。
小型化した手持ちの大砲、といった風情のそれは、まさにそのままの物であった。
火薬と鉛弾を詰め、脇に抱えて火種を点火孔に、というそれは、狙いも何もあったものではない。
「作り易さがウリ、ですよねぇ」
「俺らがつかうってんじゃぁないですな?」
「勿論」
弓や弩と比べ、銃にそれほどの長所があるわけでもない。
寧ろ、使えるのなら弩を使った方が賢明といったものだった。
「雨が降れば撃てやしない、扱いを間違えれば暴発する……」
「聞くだにおぞましいんだが大丈夫かおい」
使った事のあるらしいチョーが、カメにそんなことを吹き込んでいる。
全くの嘘ではないところが、この武器の問題だろう。
「おっと、御貴族様の隊列が見えてきやしたぜ」
ルリーナがその言葉に顔を上げると、街の門の先に控えるリュング城伯の隊伍が見えた。
馬車が二台に騎手が八人。そして遠目にも解る白銀の戦乙女エセルフリーダと黒騎士ヨアン。
騎手の八人はそれぞれの装いを見るに、エセルフリーダ隷下の騎士隊だろう。
見覚えのある馬車の一台は、中を窺う事は敵わないがエレインの物と思われた。
「よっと」
それを確かめると、ルリーナは御者席から身軽にも飛び降り、行きしなにスケアリーの首を叩いて、エセルフリーダの下に駆ける。
ともに走らんとして、二頭がルリーナについていく。チョーが抑え損ねてたまらず手綱を離せば、図らずもルリーナと共に駆ける事となった。
傭兵の隊列が泡を食ってそれを避け、二つに割れた先で、騎士らが何事かと馬首を巡らせるのを、黒騎士が前に立つことで止める。
兜を脱いだエセルフリーダの顔が見えるところまで近づけば、彼女は苦笑しているようだった。
「随分と派手に来たものだな」
「これは失礼をいたしました」
ルリーナはエセルフリーダの目前で手綱を捕まえて馬車を止めると、臣下の礼を取ってみせた。
「ルリーナ傭兵隊、只今より卿の指揮下に入ります」
「そう畏まらなくて良い、貴殿は我が方の客分だ」
「はっ、過分な取り計らい感謝いたします」
今度は、ルリーナのいつもの様子を知るヨアンが苦笑している。
軽く睨んでおくと、咳払いをして誤魔化した。
「では、少し早いが出発といきましょうか」
と言ったのは、ヨアンである。エセルフリーダはそれに鷹揚に頷いた。
隊列は別、エセルフリーダの隊にルリーナの傭兵隊が追随する形だ。
実際に戦闘が始まればさておき、下手に連携の取れていない者同士で組むよりは、よっぽどその方が賢明だろう。
事実、エセルフリーダの下に集まる騎士達は、傭兵隊長と聞いて余り良い顔はしていなかった。
準貴族としては、快い物ではないだろう。認めてしまえば、自らの価値が揺らぐ。
顔をしかめる程度で済ますだけ、まだ良い方だ。
「っかぁ、御貴族様ってのはどうにもなぁ」
「まあまあ、そう言わずに」
荷を抱えたバリーが、荷馬車の脇に並び、ルリーナに愚痴をこぼす。
バリーが望んで抱える、天秤棒に振り分けた荷物は、ルリーナの物である。
別に構わないと言っても聞かず、武具一式とその他、酷く重いだろうに喜んで持つ次第だ。
天秤棒となっているそれも、ルリーナの長刀である。
「姉御の何を知っているんだってなぁ」
「いや、それを言ったら貴方も……」
少年団全員に靴と新しい服を与えたのにいたく感動して、この調子である。
彼らを連れて歩くルリーナに、傭兵達が何度、修道着が似合いだと言いかけた事か。
さしものルリーナも子供たち相手にはその呼び名を改めさせる事もなく、苦笑しながらも「良いお姉ちゃん」をしていた。
「わー、外にでるのはじめて!」
「ねえねえ、さっきの騎士さまみた!?」
「おうまさんおっきかったねぇ!」
などと、エセルフリーダ達の前では息を詰めていた年少組が、荷台できゃーきゃー喚きだす。
「これから、もっと広ぉい所に乗り出すのですよー」
「どれくらい広いの?」
「これくらい?」
精一杯腕を広げる少女に、ルリーナは微笑を返す。
「それの、十倍、百倍、一千倍、いやもっともっと……」
「百?」
「千?」
思えば初めて生家を出た時、自分は何を思っただろうか。
いや、そんなに昔であることもない。この地に降り立った日に何を思っていたか。
「そうですねー、数字は幾つを数えられますか?」
「ひとーつー」
「ふたーつ」
「みっつとー」
「よっつがひとつ」
「よっつがひとつとはんぶん!」
「何ですかそれ!」
笑い声が、晴天の青空に響いた。




