シーン7
広大なる平原を抱える獅子王国の首都、その外れ。
初夏の頃ならば、黄金色に輝き、重みに首を垂れた一面の麦畑が広がるそこも、収穫を終えた今は、寂しさすら感じる静寂に包まれていた。
かつてはその場所に別の集落が有ったか、幾つかの廃屋と、朽ちるばかりの教会の尖塔が、夕暮れの日差しに影を落としている。
そんな場所の更に一角、更地となった広場、そこに一人の鎧武者が佇んでいた。
「む? おお、言いつけどおり、一人で来たか」
砂利道を踏みしめる音を聞き、鎧武者は面当てを付けたその顔をつと上げた。
そこには、真紅の裾の広いスカートと半外套、軽く編んだ栗色の髪を風に遊ばせた少女が立っていた。
表情を隠した鍔広の帽子をくっ、と持ち上げれば、可憐とも言って良い顔立ちに似合わぬ、不敵な笑みが覗く。
「ええ、しかし意外ですね。そちらもお一人ですか?」
「うむ、こうでもしないと話も出来ぬと思うてな」
は? と、ルリーナはつい間抜けな声を出してしまう。流石にこれは予想外だった。
対して、鎧を着こんだ男は呵々と笑って見せる。
「勘、なのだがな、貴女……貴殿は強大な敵となりそうな予感がしたのだ」
「過分な評価、痛み入ります」
瞬間、呆けたような顔を改めたルリーナは、底の知れぬ瞳で鎧武者を見た。
鎧武者の方は、その眼力にほう、と息を漏らす。どろどろとした泥濘のような何かを湛えた瞳。
「ふむ、見事な鬼気。しかし貴殿の物腰は、どうやら一角の貴族に思える」
「さて、どうでしょうか」
「あいや、語らなくて良い」
男は、厳重に兜を固定している革紐を解いていく。
「一つ、貴族と見込んで約定を交わしていただきたい」
「今の私は只の傭兵、約定を守る義理も有りませんが」
「そこは貴殿を信じよう。ただ、これから見たものを語らなければ良いだけだ」
重々しい音を立てて、男の兜が地に落される。その下から現れたのは――
「その……顔は」
「見苦しい物をお見せする失礼を許していただきたい」
異貌。そうとしか形容つかない顔立ちだった。
顔面の半ばを覆う、焼かれたと思しき傷跡。肌は引き攣れ、頭髪の半分はまばらに伸びるのみ。片目は白濁し、恐らくは見えてもいないだろう。
ルリーナは戦場でこれとよく似たものを見た事がある。あれは攻城戦の折り、熱した油を浴びせかけられた者の遺骸だったか。
その痛みたるや想像を絶するものだろう。殺してくれ、という怨嗟の声がいつまでも聞こえていた事が脳裏を過ぎる。
「これは、貴殿の主、エセルフリーダなる女狐にやられた傷でな」
「……しかし、それは戦場でのこと」
「ああ、我も恨む筋ではないと言う事は理解しておる」
理解はしていようとも、納得のできることではない。そういう事であろうか。
男は、再び兜を深く被ると、面当てを下ろした。
「そも貴殿は、リュング城伯を僭称する彼の女狐についてどこまで知っておる」
「……」
「知らぬ。か。我が主からその所領を奪い取った女狐め」
瞬間、男が怒気と共に声を荒げるが、深い溜息を吐いて落ち着いた態度を取り戻す。
「悪い事は言わぬ。こちらの側に来ぬか」
「ほう?」
「貴殿を敵に回したくはない。剣を交え、尚そう思うのだ」
あんな者の下に付くような器でもない。そう男は力を込めて語った。
「どうだ、必ずや彼の女狐よりも良い扱いを与えよう。或いは正統なる立場も……」
「一つ、質問を」
「うむ、何か」
ルリーナは考える様子で、そのおとがいに指を当てた。
「確か、リュング城伯……エセルフリーダ様の家系が、あの地を納めていたと聞きましたが」
「ふん、そんなことを言っていたか。しかし、あの場所は正当に……」
ぱん、とルリーナは手を叩いた。
話の腰を折られた男が、困惑した様子で片眉をあげる。
「ま、そんなことはどうでもいいのです」
「なんだと……」
「何やら小難しい理由があるようですが」
そこで一つ、笑みを浮かべる。
「あの人を貶すような事を言うあなたには、ついていけませんね」
男は黙りこみ、真意を確かめるように面当ての奥の瞳を細めた。
「そう、か。まぁ、いつでも遅くはない。気が変わったら」
「そんなことは無いと思いますが」
「……気が変わったら、何時でも来るがよい」
隊長! と、ルリーナの後ろ、まだ遠くから声がかかる。
「さて、邪魔の入ったようだな」
「ええ」
それでは、失礼する。そういって男は鋭く笛を吹いた。
時を待たずして、頭巾で顔を隠した男が、馬を引き連れて駆け寄って来る。
「そうだ、貴殿の名前は」
「ルリーナ」
「そうか、ルリーナ殿、また戦場で会おう!」
身軽に駒へ跨った男は、拍車を一つかけてそれを走らせる。
何とも見事な青鹿毛の馬は、乗り手を背にあっという間に離れていく。
「撃ちやすか?」
建物の陰から現れたチョーが問いかけるのに、ルリーナは首を横に振った。
遠くから、更に複数の、蹄が地を蹴る音が聞こえる。
「動くな、我々は王の従士隊だ!」
そうよく通る大音声で呼ばわったのは、見目麗しいと言うべきか、濡れたような巻き毛に、白い細面の男だ。
鎖帷子にサーコート、胸には家紋ではなく、大きく王家の紋章が染め抜かれている。
「怪しい集団が集まっているとの通報を受けて参った!」
何事か、決闘ではあるまいな等と、傭兵達とルリーナに問いかける。
その間にも、続々と同様の装いをした若い騎士達が集まり、一部は例の鉄兜を追いかけに駆けていく。
「うん? 貴女は……」
「はい?」
それまで芝居がかった動きを見せていた男は、ルリーナを見て顔をひきつらせた。
「はて? どこかでお会いしましたか?」
身に覚えのないルリーナは、首を傾げるしかない。
一方男は、これ以上ない屈辱、とでもいうかのように顔を歪める。
「くっ、取り敢えず、話は詰所で聞かせてもらう」
何とかそれだけを絞り出すように言うと、男は駒を回して背を向けた。
周りを固められたルリーナ達には、何をする事もできない。
息せき切らせて走ってきた徒歩の衛兵たちが、休む間もなく縄を手にして歩み寄ってくる。
何ともご苦労な事だ。これからの面倒を考えて、ルリーナは小さくため息を吐いた。




