シーン4
「あんた、何日くらいここで泊まるんだい?」
「そうですね~、隊商の護衛に混ざって次の場所に行こうかと思っているのですけれど」
「あー、それだったら二泊くらいだね。明日ギルド長の所に行って、明後日の便だ」
隊商はどうやら朝早くに出るらしい。
この街もまだ見回っていないから、丁度良い機会だった。
「姐さん姐さん、隊商に付いていくんですかい」
「ええ、そのつもりです~」
耳聡い一人がその話を聞きつけて話かけてくる。
腰に短剣をぶら下げていると言う事は、傭兵の一人だろう。
「じゃあ姐さん、俺も付いて行かせてくだせぇ」
「何!?ずるいぞ、俺もだ」
「俺も俺も」
「姐さんに付いていけば間違いねぇや!」
「付いて行かせて下せえ!」
男達の顔が鈴なりになっている姿は如何にも滑稽だったが、ルリーナは少し考える仕草をする。
「んー、当分は私からはお金は出ませんよ?」
「構いやせん! 連れてってくだせえ!」
男達のきらきらとした目に苦笑しながらルリーナは頷く。
「解りました。旅は道連れ、ってやつですね」
「ありがとうございやす!」
「一生ついていきますぜ姐御!」
「そうと決まれば飲むしかねえな!」
「お前いつも飲んでばかりだな……」
十人程の男達が同様に騒いでいる。
先ほどの決闘で随分と人望を集めていたようだ。
「まぁ、箔も付きますから、ね」
ルリーナはこっそり呟いて空になった杯を弄ぶ。
蜂蜜酒のお代わりを求めると、それと一緒に大皿がカウンターに置かれた。
豚の脚肉を丸々と焼いた、随分と豪勢な料理だ。
肉汁で作られたソースの甘い香りと、パリパリに焼かれた皮の香ばしさが混じり、空きっ腹を強く刺激する。
思わず唾を飲み込んだ。
「えっと、まだお金も払っていませんけれど~」
「良いんだよ、うちの娘が世話になった分さ」
女将が片目を閉じて見せ、マリーが軽く一礼をする。
「ありがとうございます~、ではでは頂いちゃいますね」
ナイフで切り分けるともわっと湯気が立つ。
口に運んでみれば外側はザクザクとしているが、内側の肉は口の中で解けていく。
それでもしっかりとした歯応えを残すそれは、たっぷりの脂を含んでいた。
「うん、おいしい」
「はは、ありがとよ。あんた結構いいとこの出みたいだからさ、舌に合うかは解らないと思ってたんだ」
「いえいえ、本当に美味しいですよ~」
久々に燻製でも塩漬けでもない肉を食べた。
思わず肉を切り分け、口に運ぶだけの往復運動に熱中してしまう。
皿が空になるのに、それほどの時間は必要なかった。
「はふぅ、満腹ですぅ……」
幸福そうに息を一つ吐き出して、膨らんだ腹を撫でる。
それを見て女将は笑っていた。
「いやぁ、良い食べっぷりだったね」
「ごちそうさまですぅ……」
「細すぎると思ってたんだけどよ、一体どこに入るのかねぇ」
ルリーナは魂が抜けたように椅子にだらーんと溶けている。
こんな食事がずっと続けば、確かに肉が付きそうだ。
「あー、今日はもう動きたくないですねー」
「あっ、お部屋でしたら準備できていますので、すぐに案内させて頂きますよ?」
「本当ですかー?ではお願いしますー」
「後でお湯をお持ちしますね」
どっこいしょ、と椅子から降りて油断するとくっつこうとする瞼をこすりこすり階段を上る。
『黄金のたてがみ亭』は半地下の一階が酒場、二階三階が宿泊所になっている、一般的な酒場宿になっていた。
部屋に入って真っ先に目に映ったのは真新しいシーツだ。
ルリーナは着の身着のまま寝台に倒れ込む。
清潔で、洗ったばかりのシーツの感触を頬で楽しみつつ、これではいけない、と座りなおす。
剣帯を外し、外套掛けに提げ、靴紐を緩めると、荷物を開く。
中から取り出したのは、壮麗な胸当て鎧だ。
黒く塗られ、白銀色に縁取られたそれは、潮風に当てられ所々くすんでいる。
湯を持ってきたマリーに礼を述べつつ、袋から取り出した襤褸布と油、湯と干し草を束ねたものを使って、これを磨いていく。
「随分と綺麗な鎧ね」
「ええまぁ、自慢の一品です」
何が面白いのだろう、マリーは部屋に残ってその手入れを眺めていた。
水気を拭きとって、薄く油を塗っていく。
瞬く間に輝きを取り戻した鎧は、開け放たれた窓から差す月の光を浴びて淡く光を返した。
気を付けてくださいね、と声を懸けて剣を引き抜く。
こちらはそれほど痛んでもいないようだったが、同様に手入れをしてやる。
自分の体よりも、商売道具の方が先だ。
湯が冷めるのに十分な時間をかけ、剣と鎧を磨いた後、マリーに頼んでお湯を替えてもらう。
手入れをできる間にしっかりと見ておかないと、いざ戦場で後悔しても遅いのだ。
いくら良い鎧だ剣だ、と言おうと錆びてしまっていては元も子もない。
「はい、持ってきたわよ」
「ありがとうございますー」
熱い湯に布を浸して、顔に当てる。
潮風でべたべたしていた顔を拭うと、ようやく人心地ついた。
「あ゛ー」
「ふふっ、変な声。この部屋はルルさん一人で使って良いから閉めるときはこの棒を使ってね?」
「御心遣いありがとうございますー」
寝台を一人で使うというのは中々に贅沢な事だったが、男女が同じ部屋等と言うのは言語道断な行いだった。
なのでいつもなら巡礼の修道女達の部屋や、或いは女中部屋などと言った所にすし詰めにされるのだが、今回は幸いな事に空きがあったようだ。
あるいは、その分どこかで男達が肩を寄せ合い……不快な光景が思い浮かんでルリーナは真顔になった。
髪を頭ごとたらいに浸けて、その絵を振り払うと、紐を解くのももどかしく服を脱ぎ捨てていく。
髪を軽く拭ってから、ごしごしと少し力を入れて体を擦っていくと、すぐに布が真っ黒になった。
「うっわ」
少しばかりそれにショックを受けつつ、旅の垢を落としていく。
特に足は大事だ。
人に見せられないような姿勢になりながら丹念に拭っていく。
靴擦れやまめなんかになっては一大事である。
さっぱりした所で新しい間着に着替えると、生まれ変わったような心地だった。
今度こそ真新しいシーツにダイブする。
白い波間はほんのりと石鹸の香りがした。
「うぬー、幸せです」
ルリーナの意識は、満たされた気持ちの中でゆっくりと白く溶けていった。