シーン2
「あら? そういえばベアトリスさんは?」
「そういえば随分と前に出たまんまスね」
既に日が傾いでから、随分と時間が経っていた。
仄暗い酒場に、小間使い達が獣脂蝋燭を運んでくる時間になっても、彼女は戻ってこない。
当然、夕食の時間に既になっており、小間使いと店主も心なしか困惑した顔だ。
その時、壁に蝶番が吹き飛ぶような荒々しい調子で扉が開かれた。
「隊長! こんな紙が入口の前に!」
血相を変えて酒場に転がり込んできたのは、市場を見に行っていたショーとリョーだった。
「何です?」
ルリーナは受け取った紙に目を通すと、最後まで読んだか読まないかのうちにぐしゃっ、とそれを握りつぶした。
「やってくれますねぇ」
「どうしたんですかい、隊長」
「ちょっと皆さんにも聞いてもらいましょうか」
ルリーナは店主と小間使い達に席を外すように求め、傭兵達を集めると、紙の内容を読み上げ始める。
ただ事ではない雰囲気に、店主たちと傭兵らは黙って指示に従った。
その紙には、ベアトリスの身柄を預かっている事、次の戦から手を引くこと、リュング城伯と今後関わらない事を要求する旨が書かれていた。
「まぁ、下手人は奴ら、でしょうねぇ」
ルリーナがそうしめる。まず間違いなくエレインを狙い、続いてエセルフリーダへの襲撃を試みた者らだろう。
沈黙を最初に破ったのは、考え込むように目を閉じていたチョーだ。
「ベアトリス嬢を人質に取られたところで、我々が応じる義理はないかと思いますが」
「それは私も考えました。どうして彼女を人質にとったのか」
ルリーナ本人としては、見捨てることはできないし、するつもりもない。
だが、酒場宿の娘一人が捕えられたところで、それを傭兵団が気にする理由があるだろうか。
「それに、随分と大きく買ってもらってるみたいでやすなぁ……」
カメが言う通り、ルリーナの傭兵隊は現在、精々二十名弱の戦力に過ぎない。それにも関わらず、こんな要求が必要だろうか。
「将来の敵を潰しときたい、とかスかね?」
ショーが言う分には、貴族同士の争いなのではないか。という事だ。
将来的に取り上げられる可能性のある青い血を、獅子王国陣営に入れられたくない何者かの手ではないか。
「後は、隊長が恐い……とか」
控えめに言ったのはショー。それにはルリーナもふむ、と腕組みをする。
今回の襲撃を潰したのはルリーナの手だけではないが、少なくない働きをした自覚はある。
「うーん、私個人への牽制の線ですかー」
ルリーナは考え込むように顎に手を当てると、うん、とひとつ頷いた。
「悩んでも仕方ありませんね。取りあえずエセルフリーダ様の所に……」
あっ、と声を上げたルリーナに、何事かと全員が目を向ける。
「私が直接行くわけにいかないじゃないですか!」
がっでむ! エセルフリーダ様とお話する機会だったのに! と、ルリーナは机に拳を打ちつける。そんなルリーナに、傭兵達は微妙な目を向けた。
「ぐぬぅ、仕方ありません。ショーさん、書をしたためるので、王城に行ってきて下さい」
ルリーナは確実に顔が割れている。傭兵達も既に調査されているかもしれないが、この街へ入ってからの時間を考慮するに、変装すれば気付かれまい。
万が一、王宮まで下手人の手の者が入っていれば、すぐにお手上げともなろうが、現状、考えられる手ではそれが最善に思われた。
「お、変装でやすかい」
手を拭き拭き外から戻ってきたコウが、話を聞くと元盗賊の斥候を呼び寄せる。
「こいつは街ン中での盗みで有名でしてね」
「……今はやってませんよね?」
「もちろんでさ。で、まぁ、顔見られることも有る訳で」
「それで変装を、と」
「まぁ、そういうこって」
寡黙な、というよりもむっつりと押し黙った調子の男が、時折、やれ目立ってはならないだとか、ちょっと変えるだけで良いんだとか、独り言めいたことを口の中でぶつぶつと唱えながらショーの服装を弄っていく。
小間使いを呼びよせて、借りた襤褸を着せ、顔や手指、服を汚してやり、髪を乱してやれば、それでもう出来上がりだ。仕上げに懐から出した石灰を頭にかけてやる。
「あー、確かに路地裏にいそうな」
「ぶっ、お似合いだぜ! ショーさんよ」
「随分と男前になったなぁ」
「……なぁ、ここまでやる必要あったかなぁ」
卵白でべったりとした前髪を嫌そうに持ち上げると、ショーはげんなりとした声をあげた。
「まぁ、取り敢えずこれで大丈夫でしょう」
ルリーナは吹き出さないように、努めて目をそらしながら懐からエレインの指輪を取り出す。
「ショーさん、これを渡しますが、ぜーったいに粗末に扱わないでくださいよ。絶対ですよ」
「へぇ、了解です」
歯も砕けよとばかりに壮絶な顔をしているルリーナから、おっかなびっくり指輪を受け取ると、ショーは布に包んでそっとそれを懐にしまう。
「後は、コウさん」
「へい」
「数人選抜してショーさんを追跡する者が居ないか監視を」
「了解でげす」
「他の者は、いつでも出れるように準備を」
「応!」
あわよくば逆追跡としたいところだが、そうは都合良くはいくまい。
向うに主導権が有る以上、どう転ぶかも解らない。油断できない状況が続くだろう。
「では各自、所定の行動に」
慌ただしく傭兵達が各々の作業に入る中、ルリーナはため息を一つ吐いて椅子に深く沈みこんだ。
折れた肋骨の辺りが痛み、思わず軽い唸り声が口から漏れた。
どうやら、長丁場になりそうだ。




