シーン1
「隊長が怪我したんだって!?」
「嘘だろ」
「まさかあの隊長に限ってそんな事」
「ほら、こんなピンピンしてんじゃねぇか」
ルリーナが、王の従士隊の一人に付き添われ宿屋に戻った時に、それを迎えたのはそんな声だった。
信じられない。というような目でルリーナを見る傭兵隊の者らに、ルリーナは何と言ったものかと考える。
「え、まさか本当に?」
「……ええ、まぁ」
そう答えた瞬間に、それまで耐えていた者らが吹き出し、爆笑が部屋を埋め尽くした。
どう見ても、誰も心配している風ではない。王の従士はその反応を見て困惑しつつも、空気を読んでか暇を告げた。
「いやぁ、隊長も人間だったんすね」
「相手も人間じゃなかったんじゃねぇか」
「あの隊長が不覚を取るなんてなぁ」
「どこっすか、どこやったんすか?」
口さがない傭兵達にルリーナは頭を抱える。
「……あなた達、私を何だと思っているんですか」
「そりゃあ、まぁ」
「なぁ」
思わずつぶやいた言葉に、傭兵達は顔を見合わせると、次の言葉を譲り合うように視線を交わした。
「化け物」
と、一人が言ったか言わずかのうちに、鈍い音が部屋に響く。
ルリーナの動きは正に瞬息の間で、失礼な事をのたまった男は避けることも出来ず、深々とルリーナの拳がみぞおちに突き刺さっていた。
「げほっ、げほ。あいたた……こんな可憐な乙女を捕まえて化け物とは何ですかまったく」
息が止まって顔面を蒼白にしながら、不用意な発言を反省させられている男は、それでも必死に首を横に振っている。
絶対に『可憐な乙女』はこんな事をしない。喋れればそう言っていただろう。いや、表情だけでもそう語っている。
「冗談はさておき、本当に大丈夫なんですかい?」
「幸い肺の腑まではいってないし、精々、肋骨一本ですから」
寝てれば治る。と、ルリーナが言うと、『聞いた俺が馬鹿だった』と言わんばかりにカメは変な顔をした。
「暫く安静にしていて下さいよ」
「善処します」
チョーも呆れ顔だ。普通、そう易々と動き回れる様な負傷ではない。
「あ、そうだ。ショーさん」
「なんですかい?」
じゃらり、と重たい音を立てて、布袋が大机の上に置かれる。
「これは?」
「賞金兼慰謝料のようなもの、だそうでー」
酒宴と闘技会は襲撃で中断され、急遽諸侯は会議へと招集されていた。
下手人には検討がついているらしく、後々話す旨、ルリーナの言う所の素敵なお姉さま――エセルフリーダには伝えられている。
その時に手渡されたのが、王から下されたというこの金貨だ。闘技会の報奨金で有ると共に、口止めと、獅子王国陣営への参加を促すもの。といった所だろうか。
「言われなくても喜んで力を貸しますがねぇ……」
とはいえ、そんな事を公に言っては契約が不利になるかもしれない。時に思わせぶりな態度というものが必要なのだ。
そう、駆け引きには必要なのだ。ぐっ、とルリーナは拳を握った。
「隊長、こいつは大金ですぜ」
「これだけありゃ一体何杯飲めるんだ……」
「半年、いや一年は遊んで暮らせるんじゃねえか」
机の上に広げられた金銀貨に傭兵達はほぅ、とため息をつく。
元より一攫千金、などという言葉に弱い者が多い。目の前のそれは、彼らの感心を得るのに十分な物だった。
「ショーさんは帳簿付けといてくださいねー。後で見ますので」
「うす」
ルリーナは疑っている訳でもないのだが、金に目が眩む者が出ないとも限らない。或いは、同僚のそれを疑う者も。
そんな話にならないように、皆の目の前で帳簿を付けさせている。余り褒められた手ではないかもしれないが。
「さて、皆の衆」
「どうしたんですかい隊長。そんな畏まって」
「というより変に改まって、というか」
「ひのふにみのよの……あ? 何か言いましたかい?」
「あああああ! スリの腕が疼くぜぇ!」
「コウさんお金が関わると人変わりますよね……」
カメとチョー、ショーはさておき、リョーとコウもすっかり傭兵隊に馴染んでいるようだ。
ルリーナは大金を見て浮足立った傭兵達に微妙な笑みを漏らす。
「ちゅーもーく!」
「おう!」
大声を出して痛んだ脇腹にルリーナは顔を僅かに顰める。
「余り大声出させないでください……」
「ああ、すんやせん」
「なんつーか、忘れちまうんだよな」
「化け……いや、なんつーかな」
微妙な脱力感を堪えて、再度口を開く。
「おそらく、近く大きな仕事が来ます」
「おお!」
「戦か!?」
「腕が鳴るぜ!」
がたっ、と椅子を鳴らして傭兵達が立ち上がる。しばらくの休暇を十分に満喫したからか、士気は高いようだ。
「戦となれば、勿論、良い働きをしたものには相応の物を差し上げましょう」
ルリーナが机の上に広げられた硬貨を指すと、おお、と傭兵達がどよめく。
目の色を変えて、それを見ている者も居る。
「どうやら、我々は少々厄介な事態に巻き込まれているようです」
「厄介な?」
「今回の隊長の怪我もそれが原因か?」
「隊長の手に余る様なのが来たら俺らには……」
しかし、とルリーナは続けた。
「勿論、良い働きをした者には、それなりの報酬を約束しましょう!」
傭兵達の目が、机の上に広げられた金銀の硬貨へと集まる。
窓から差しこむ陽の光に照らされ、それは妖しく輝いている。
思わずと生唾を飲んだ者も少なくない。
「私について来れば、損はさせませんよ」
そう言ったルリーナに対して、傭兵達は改めて最敬礼で答えた。