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ある日の黒騎士とその主

 木の柵で囲われた、むき出しの土の広場。いわゆる馬場、或いは仮設の練兵所とでも言える場所。

 そこで一人の青年が頭を抱えていた。

 豊かな、黒く艶やかな髪に、象牙色の肌。十人並みの背丈に体格。温厚そうな、と十人が見れば十人が言う。

 そんな姿形でありながら、似合わぬ黒い板金鎧を身に纏い、腰からは馬上で使うような長剣を提げ、鉄靴には金色の拍車を付けている。

 それは彼が騎士階級に有る事を示していた。


「馬上槍なんて使った事ないぞ……」


 おおよそ、それは騎士が口にして良い言葉ではなかった。

 馬上では轡を、そして、槍の穂先を並べ、敵陣を引き裂き、蹂躙する。

 幸いにも敵の騎士とまみえれば、槍を脇に抱え、決闘を行い、戦場の流れに一石を投じる。

 それこそが騎士の花道であり、馬上で剣を振るうというのは、時に『品のない』と言われる戦い方とされるものだ。


 練兵場に響く蹄の音に、ふと、その青年が顔を上げる。そこには一頭の駒が歩み寄る姿があった。

 馬体一面が雪原のように白い葦毛の馬、その上に跨るのは一人の淑女、いや、騎士である。

 その騎士は、白皙の肌に、白金の如き細い髪を背に流し、淡い色の長い睫に縁取られた凍湖を思わせる鋭い瞳は辺りを睥睨するようである。

 筋の通った鼻や、秀でた額、そして細い顎も相まって、意志の強さを感じさせる面立ちをしている。

 身に纏うのは、細身でしゅっと伸びた体にぴったりと誂えられた白銀の鎧。飾り気のないそれは、戦場で付けられたであろう細かな傷が見られた。


「どうした、ヨアン。そんなところで」

「いえ、今度の馬上槍試合なのですが……」


 巧みな手綱捌きでヨアンのすぐ横に馬をつけ、頭を下げようとするのを片手で留めると、彼の主、エセルフリーダはああ、と納得したように頷いた。

 さも簡単そうにやってのけたその所作は、ヨアンからしても惚れ惚れするくらいに自然で、かつ典雅である。

 この主、というのがまた、いわゆる武闘派というものだった。

 馬上で槍を持たせれば負けという物を知らず、剣に於いても右に並ぶ者はない。

 以前にはトーナメント荒らし等とも呼ばれ、最後には賭けにもならぬ始末。


「どうせ幾つも武器は使えぬだろうから、と、剣だけを鍛えたのだったか」

「……はい」


 ヨアンはその主から武術の手解きを受けたのだが、それは主に徒歩での剣技だった。

 そもそも彼は、騎士の前段階、従士としての教育を正規に受けている訳ではない。

 戦場での経験こそ人並み以上には有るものの、鞍の上に居た時間よりも徒歩の兵に紛れていた時期の方が長い有様だ。

 剣を選んだのも、他の得物よりは心得が有るから、というだけに過ぎない。


「ふむ。今からでは付け焼刃にもならないな」

「そう、だと思います」


 主からの手解き、と言ったが、それは酷く手荒な物だった。

 木剣を持たされたかと思えば、いきなり打ちかかられ、地に引き倒されたかと思えば打たれ、剣を取り落せば拾うまで打ち据えられる。

 後から考えれば、戦場での心構えや、受け身の取り方などを教えるためだったのだろうとも考えられるのだが、そんな事は一言も言わずに『体で覚えろ』という、かつての統一帝国における戦士部族のそれのような教育は、二度とやりたくないと思うのには十分過ぎた。

 それに、それだけの事をしても、満足に剣を振れると言うには数ヶ月を要したのだ。

 才でも有れば。と思わなくもないが、そもそも他の騎士や貴族は幼少の頃から武芸を嗜んでいる訳で、それは才ではなく努力の結果とも言える。

 こればかりは埋められない差であるから、何か一つ集中して、という流れに至ったのだった。


「下手に槍を構えていると逆に危うい事もある」


 取り敢えず馬に乗れ、と言った主に従い、心配げに首を寄せてくる愛馬の首を安心させるように叩くとそれに跨る。

 オブシディアンの名を与えられたヨアンの愛馬は艶やかな青毛に大柄な体格の重種。いわゆる『騎士の馬』というものだった。

 同様に鞍上に居るエセルフリーダが繰る馬と比べても、一、二割程は馬体が大きいのではないだろうか。


「取り敢えず、怪我せずに終われるようにしてやろう」

「……よろしくお願いします」


 訓練用の槍を持ったエセルフリーダに対して、ヨアンは無手。

 この時点で何が行われるか、彼は察しが付いていた。

 声にほんの少し、げんなりとした調子が混ざるのは、仕方のない事だろう。


「今日は眠れるかなぁ……」


 初めは動かずに、と、目の前に迫る穂先を見ながら、ヨアンは現実逃避気味に呟いた。



***



「ヨアン!」


 鼻先に感じる生暖かい吐息と、名前を呼ぶ声にはっと目を開けば、目の前にはオブシディアンの大きな顔が有った。

 何をしていたのだったか。夢心地のまま、酷く重い腕を持ち上げると、彼――オブシディアンは雄だ――の柔らかく温かな鼻面を撫でる。

 大きな黒目を細めた彼が顔をどけると、広く、曇った空の中に心配そうな表情をした、小さな顔が目に映る。


「エレイン……」


 エセルフリーダと同じ白金色の髪は、よく手入れされ、その艶は天使の輪のよう。

 いつもは柔らかな色を湛えている、星を散りばめた宝石のような瞳は、少し赤くなった目元と、寄せられた眉根に多少翳って見えた。

 思わずオブシディアンに伸ばしていた手をその頬に伸ばすと、中空でそれを捕らえられ、細やかな両の手に抱きこまれる。


「心配したのですよ?」

「僕はどうして……そうか」


 何とか体を起こすと、体の節々が酷く痛んだ。

 頓に痛む顎を残った片手で押さえると、ようやく回り始めた頭で何が起きたかを思い出していた。


「そうだ、馬上槍試合の訓練をつけてもらっていて……」


 周囲には砕けた槍の欠片が散乱しており、エレインとヨアンの二人を見ないようにしている従者達がそれを片づけていた。

 そう、何度も馬上から転げ落ち、気が抜けて顎が落ちたところを強かに突かれたのだった。


「もう、聞いているの?」

「ああ」


 エレインが心配げな顔に、僅かに怒気を乗せた声を出す。


「大丈夫、これくらいで死んだりはしないよ」

「そんな事ばかりいつも言って。もっと自分の身を大事にしなさい」


 どうやら、受け答えを間違えたようだった。

 ぎゅっとより強く手を握られて、御小言が始まる。


「ヨアンはいつだって自分が傷つく事に無頓着過ぎるのだから。いつぞやだって……」


 追いはぎに襲われそうになり、人を庇って短剣で突かれた事が有る。

 戦場で主を庇い、矢玉に倒れた事もあった。

 あるいは、怪我を押して早馬に跨り、伝令の為に駆けた事も。

 数えきれないだけの『その時』にもエレインの介抱を受け、その度にこうして怒られてきた。


「ごめん」


 今回ばかりはむしろ大怪我をしないためにこんな事をしているのだ。そんな言い訳もできるのだが、ヨアンの口から出たのはそんな言葉だった。


「もう。これだけ言ってもまた怪我するのでしょうけれど」


 謝罪の言葉を聞きたかった訳ではない。とエレインは言いながら、膨れる。

 滅多に怒らない彼女にそんな顔をさせるのは少々申し訳ない。

 もしももっと強ければ。そうすれば怪我などせずとも良い場面と言うのは多々あった。


「もしも、もっと強ければ。か」

「いや、ヨアン。お前にはお前の役割が有る」


 自嘲気味に呟きかけた言葉に反応したのは、何時の間に来ていたのかエセルフリーダだった。

 白銀の鎧を脱いで、男物の鎧下姿になっている。


「お姉様、いくらなんでもやり過ぎです」

「痛くなければ覚えまい」


 妹の非難にもどこ吹く風。飄々とした態度でそれを躱すとヨアンに向き直る。


「いつまでも座っているのではない。お前は私の下では筆頭の騎士だぞ」

「……はい」


 言っている事は厳しかったが、その声には僅かに温度が感じられた。

 エセルフリーダに差し出された手を取って、ヨアンは立ち上がる。


「それでいい」


 付きあいの長い者でもなければ解らない程に僅かに笑ったエセルフリーダは、後をエレインに任せると、再び立ち去る。

 エセルフリーダはこれでもヨアンを高く買っているのだ。

 例えば、波風立てぬように部下たちに根気よく作戦の次第を説明する。

 そんな非効率的な事を、と思わなくもないが、効率だけでは人は動かない。

 エセルフリーダが苦手な細々とした事を補助する立場。

 戦場でなければエレインがそれを行ってもよいだろう。しかし、殊戦場においてはヨアンがその役割をよく果たしていた。

 何より、兵達に畏れられていないのが良い。


「よし、少し稽古をつけてやろうか」


 そうエセルフリーダに声をかけられた、ヨアンとエセルフリーダの訓練を見ていた従士の一人は、顔色を蒼くして固まってしまった。

 エセルフリーダが話しかけるとこれである。目を見開いたまま彫像のようになってしまったそれに題名を付けるなら『絶望』だろうか。


「どうしてこうも委縮するものか」


 小さく呟いた彼女も、ヨアン自身も気づいていない。

 頑丈さ、という一点に絞れば、ヨアンも常人の域にない事を。



***



「本当に、行くのですか」

「ああ」


 槍を渡しつつ、ヨアンが尋ねた言葉に、にべもなくエセルフリーダは頷いた。

 馬上槍試合も全ての試合が終わり、後は優勝者が登壇するだけとなった段、突然現れたエセルフリーダに、闘技場はざわめきに包まれる。

 彼女が荒らしたトーナメントの内、この街で行われた物も少なくはない。まさに大番狂わせと言うべき登場に、列席している貴族の面々も僅かに色めき立った。


「城伯たろう者が試合に出るなど」

「いや、城伯であろうと騎士は騎士。前例がないわけでは」

「しかし」


 そんなざわめきの中で、王は片肘をついて、ただぼんやりと競技場を見ていた。

 ちらちらと王の顔色を窺う貴族達も、だんまりの彼の姿に困惑する。


「あら、良いのではないかしら?」


 そう言ったのは、王の傍に座していた小さな少女。

 金糸のような髪に、好奇心できらきらと輝いた瞳をしている。

 他の貴族達も如何なる理由か、子供の言う事と一笑に付すこともなく、彼女が言うならば仕方がない。と言った風情で言を飲み込んだ。

 黙した彼らの視線は、エセルフリーダとヨアンに向かう。


「もしも馬や鎧を寄越せ、等という物が居たら言ってやれ」


 馬上槍試合で落馬したときには、その持ち物を奪われるという、古い取り決めが有る。

 獅子王国では、常に半戦時中である故に、暗黙の了解の内にそのような事は求めないと言う事にはなっているが、もしも要求された場合には、これを断る事は難しい。


「私に勝ったら、考えてやるとな」


 エセルフリーダのその声は決して小さなものではなく、列席する貴族達の耳にも届いていた。

 敵わないな、とヨアンは溜息を一つ吐く。


「ありがとうございます」

「何のことだ?」


 ヨアンの失態を埋め合わせてくれようというエセルフリーダの心遣いだろう。

 彼女は何だかんだで部下の面倒見が良いのだ。ただそれが解り難いだけで。

 馬に乗って歩み出るエセルフリーダの背中に、ヨアンは心中で深々と頭を下げる。


 が、しかし。試合が終わってみれば、そこまでやる必要が有ったのか、という程に相手をボロボロにする結果となり、まさか本当に『血が騒いだだけ』なのではないかという疑念も払拭できないヨアンだった。

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