シーン2
「あら? あなたは」
扉を開けた先に居たのは、意外な人物だった。
この暑いのに鉄兜の面当てすら上げていない、ブリガンダインを着こんだ男。
「少々、お邪魔しても良いかな」
ルリーナの対戦相手である。
「はぁ、構いませんが」
「それはどうも」
兜の中でくぐもっていたが、存外、齢を重ねた声だった。
僅かな血の匂いにルリーナは眉を顰めた。鎧に染みついたものだろうか?
「どうしたのです? あっ、次の試合に負けてくれ。なんて言われても駄目ですよ」
「ははっ、面白い冗談だ。そんなことは言わんよ」
ルリーナはその鉄兜の男を部屋に招き入れつつ、自らは部屋の中程まで下がった。
椅子を勧めるも、鉄兜は首を振り辞した。自然、ルリーナも立ったまま話を聞くことになる。
「せめて、その兜だけでも脱いだらどうです?」
「失礼だが、少々訳ありでね」
人前で帽子や兜を取らない。というのは敵意が有る。と疑われても仕様がない行為だった。
戦場であっても、騎士同士であれば面当てを上げて挨拶を交わすものである。
「暑くないのです?」
「正直、暑い。早く脱いでしまいたい」
まさか、体の一部なんじゃないか。等と冗談交じりに思っていたルリーナであったが、どうやらそうでもないらしい。
この鎧というのもまた重くて敵わぬ。という鉄兜の男の思ったよりも茶目っ気有る言葉に思わず笑いがこぼれた。
「さて、そんな訳で、早い事、用事をすませてしまおう」
「そうですね。わざわざ対戦相手に面通し、っていう事でもないようですから」
そもそも、面も見えないし。
「先ほどこの部屋から、リュング城伯の使いが出ていくのが見えたが」
「うん? 確かに黒騎士が先ほどまで来ていましたが」
話の流れが読めない。鉄兜の男も「黒騎士……?」と首を傾げている様子であったが、すぐに気を取り戻した。
「まぁ、良い。貴殿……貴女は、あの女狐の手の者か?」
「女狐?」
女狐、というと随分、穏当でない表現だ。
思い当たる人物といえば、それはエレインの事だろうか。
「悪い事は言わん、そうであるならば、早急に彼の者から手を引け」
「ほう、それはまた突飛な話ですねぇ」
鉄兜が冗談を言っているようには思えない。
ルリーナは鉄兜の得物へと視線を軽く走らせる。
どうやら、腰間のそれはどうやって持ちこんだのか試合用のそれではなく、業物で有ることを外装からも感じさせる真剣のようだ。
「どうしてそのような事を?」
「説明をする事は出来んな。ここで手を引かぬというのなら」
「なら?」
死んでもらう。そう言って抜き打ちに仕掛けられた一撃を、ルリーナは手許に引き寄せていた剣で危うげなく払った。
「はは、さすがにやるな」
「お褒めに預かり光栄です」
「故に、ここで留めておかなくては」
「どういう……?」
その時、庭先に絹を裂くような悲鳴が上がった。
その後に聞こえた裂帛の気合には聞き覚えがある。黒騎士だ。
「まさか、街路で襲い掛かってきた盗賊のお仲間さんです?」
「あ? そういえば、そんな話もあったかな」
つまるところ、親玉が同じの別働隊、と。
剣を構えたまま睨み合いに入る。実力は伯仲しているものの、ルリーナが持つのは試合用の鉄の棒。
対して、鉄兜の男が持つのは如何にも切れ味鋭い長剣。しかも、鎧まで着込んでいる。
先に仕掛けたのは、またも鉄兜の男だった。
突きつけるような構えから手首を回して切り下げる頭を狙った一撃を、ルリーナは剣で受け止める。
「なっ!?」
十分に重さの乗った一撃を何とか受け切ったと思った時、手に持った剣が真っ二つに切られた。
後ろに跳び下がって、僅かに勢いの弱まった鉄兜の剣を辛くも避ける。
「これだから粗悪品は!」
鋼ですらなく、鉄の素延べ棒だったのではないか。
そんな事が頭を過ぎりつつも、そこからのルリーナの判断は一瞬だった。
刃の大部分が切り離され、随分と軽くなった剣を鉄兜の面当て目がけて投げつける。
いくら軽くなったとはいえ、鉄の塊が当たれば痛いだろう。
逆に言えば、痛い、程度なのだが。
兜に弾き返される、いっそ小気味いい音を聞きつつ、ルリーナは体を低く、地面に伏せるように下げた。
剣に気を取られていた鉄兜は一瞬、その狭い面当ての隙間からの視界からルリーナの姿を見失う。
ふっ、と息を吐きつつ、ルリーナの脚が伸びる。
足払いの要領で地を這うように繰り出された蹴りは、鉄の脛当てに阻まれ、寧ろルリーナが眉間に皺を寄せた。
そのまま、脚を振りぬいて、鉄兜に背を向けるように回れ右をする。
「くそっ!」
「それではごきげんようっ!」
ルリーナはそれだけ言って全力で駆けだす。
向かう先は――開け放たれた窓だ。
幸いここは二階で、ルリーナは装備を着けていないだけ身軽だ。
しなやかな身のこなしで着地の衝撃をいなすと、窓を見上げる。
どうやら、鉄兜が窓から追ってくる気配はない。
あの重装備で飛び降りたのは骨が折れるだろう。
追ってくるなら追ってくるで、隙が出来るからこっちのものだが。
中庭を見やれば、黒騎士と、軽装の男が睨み合っていた。




