シーン5
重い音を立てて、豪奢な胸当て鎧に身を包んだ男が倒れる。
何が起きたか解らないような唖然とした表情だ。
始め。の声からまだ数瞬。あっという間もあらば、という所だった。
そこへ容赦なく追い打ちの一撃が襲う。
巧みな剣捌きで、倒れ伏した男の鉄兜が吹き飛ばされた。
如何にも貴族の放蕩息子といった風情の、存外整った顔立ちの男だった。
陽光を照り返しながら飛んで行った兜は、観客席に居た町娘の手に納まる。
剣の腕前を見せる間もなく、貴族風の男を打ち倒したのは、一人の少女だった。
鮮血に染まったような、真紅のドレスが風になびく。
競技用に先の丸められた剣の先は、油断なく男に向けられている。
さながら、獲物の喉首を狙う蛇のよう。
少し彼女には大きいのか、斜めに傾けられた鉄帽の庇の陰から覗く目は、肉食獣のそれだった。
ひぐ、と、男の喉から声が漏れる。
「そ、そこまで!」
慌てて審判が声を上げ、向かい合った二人の間に旗を差し込む。
少女――ルリーナは興味を失ったかのように剣尖を下げた。
左手につけた金属製の小楯を外すのももどかしく、庇を持ち上げると首を軽く捻る。
重いのだ。大きさの合わない防具ほど、鬱陶しく感じる物もない。
「先ずは一勝。っとー」
対戦相手の、控室で声を懸けてきた男は兵に両脇を抱えられて連れていかれた。
本当に有る程度の身分があるらしく、審判も少々焦り気味の様子だった。
本選も始まり、観客席も多少は賑わい始めていた。
「おいおい、なんだあの嬢ちゃんは」
「ケイトの兄貴がのされちまったぜ……」
「大番狂わせじゃねえか」
「何であんなのが出るって話なかったんだ?」
「慌てんな、多分まぐれだろ……」
ルリーナの戦いぶりを見てか、動揺するようなざわめきが広がる。
観客に向かって鉄帽を脱いで振ってやると、いくつかの歓声が上がった。
早速、とばかりに胴元に掛け合っている者もいるようだ。
鉄兜を持った町娘が、それをルリーナに返そうとするのを押し留めると、観客の目も、名誉ある人物を見るそれに変わる。
装飾の施されたそれは、見るからに高価そうで、売れば中々の値が付きそうな物だった。
持ち主もまさか、これほどまでにやられて返せとは言えまい。何より、貴族であるならば尚更である。
控えの間に戻ると、次の試合を待つ選手達が若干引いたような気がする。
「流石でやすね、隊長」
「おー、カメさんも勝ち残ったようでー」
カメはルリーナの戦いぶりをはっきりと見ていた。
間合いを活かそうと、相手が細剣を真っ直ぐに構えた所を、懐に飛び込み、左手の小楯で相手の顔面を抑えつつ足払い。
視界を奪われたまま引き倒され、相手は何をされたかも理解できまい。そこまでが実に鮮やかな一動作だった。
試合前にはルリーナを相手に格下と見たか、余裕そうな笑みを貼り付けていた男の、唖然とした顔は中々に見ものだった。
「にしても、ありゃ後で笑いもんになるんじゃないですかねぇ」
「まぁ、ちょーっと気に食わなかったのでー」
『ちょっと気に食わない』で衆視の下、あんな目に会わされるのは御免である。
「俺と当たった時は、お手柔らかに頼みますぜ」
「しっかり残ってくださいよー。一度、本気で打ち合って見たかったのですから~」
ルリーナは微笑みを浮かべたまま、気が抜けるような、間延びした調子で応えるが、どうやら手加減の三文字は彼女の辞書にはないらしい。
この娘だけは敵に回してはならぬ。カメは、改めて背筋に寒い物を感じた。
「棄権しても、いいっすかねぇ……」
「えー、面白くないですよー」
ルリーナは、試合で使っていた刃引きされた剣の調子を確かめながら、ぷくー、と柔らかそうな頬を膨らませる。
ぐい、と石敷きの地面に押しつけた剣は容易く撓り、曲がったまま戻らない。質の悪い鋼鉄を使っている証拠である。
ルリーナは貸し出された剣と盾の内、決闘に使うような小型の丸盾と、戦で使うような身幅の広い剣を選んでいた。
微妙な顔をしながら、反対側に曲げて、真っ直ぐに戻す。剣と言うよりも、鉄の棒に持ち手を付けたようなものである。
カメの持つ物に至っては、まさに鉄の板を延ばしただけ、というような見た目の段平である。前の試合でよっぽど強かに打ちつけたのか、既にへこんでいた。
如何にも筋骨隆々とした髭面の壮年がそれを肩に担いでいるだけで、既に凶暴この上ない見た目となっている。
「そいじゃ、次の試合みたいなんで行ってきやすぜ」
「はーい。がんばってくださいねー」
ひらひらと手を振るルリーナに見送られて、カメはまた陽の下に出ていく。
良く晴れた日で、外は陽光にじりじりと焼かれるような暑さだった。鎧や兜を付けて立っているだけでも、体力を消耗しそうである。
ルリーナは部屋の端に据え付けられた、石造りの長椅子に腰かける。
薄暗い屋内は、冷んやりとした雰囲気に包まれており、外の喧騒が遠く聞こえた。
もともと、旧帝国の建物だったのだろう。控えの間になっているこの広間も、胴の張った石造りの柱や、アーチ状の梁、据え付けられた椅子にも、触り過ぎて丸まってはいたが、細かい意匠の跡が見えた。
豪奢、というよりは瀟洒な建物だ。ここ王都には、そのような建物が少なくない。
試合に出る選手と、戻ってくる選手とが行き来して、少々ざわざわとしているが、広間の雰囲気に感化されてか、声を低く抑えているように思える。
数試合が既に終わり、経験の浅い者達はおおよそ淘汰されていた。
それらの強者の中で、もっとも異彩を放っているのは――もちろん、ルリーナだったが、それを除けばブリガンダインに身を包み、控えに戻って来てすら面当てを上げもしない大男だろう。
試合から戻ってきても息一つ乱している様子もなく、水を飲むときですら、顔を隠している念の入りようだ。
「何なんだろうな、あれ」
「不気味だよな」
などと、こそこそと話していた者らを、面当ての隙間から一睨みする。
「ひっ」
得体の知れない、底冷えのする眼差しに男達は黙った。
気分を害したか、と思いきや、軽く肩を震わせて笑っているようだった。
「ありゃ、どっかの騎士様か何かだぜ」
「顔が出せねえ理由でもあるに違ぇねぇ……」
言っていることがころっと変わったが、聞こえてくるのは不運を嘆く声である。
「ああ畜生、トーナメント荒らしが三人も居んのかよ」
「ほう、三人、ですかー?」
「おうよ。あの鉄仮面に、海賊みたいな大男。それに一番厄介なのが」
「厄介なのが?」
「あの、まだまだガキっぽい嬢ちゃん……」
男に疑問の声を投げ掛けたのは、ルリーナだった。
みるみる内に男の顔色が悪くなっていく。
「ガキっぽい。ですかー。ふーん」
「いや、そういう意味じゃなくてな……いや、なくてですね!」
「そういう意味じゃないっていうと、どういう意味なのでしょう」
「それは……えっと、なぁ!」
男がしどろもどろに今まで話していた者に話を振ろうとして振り向くと、そこには既に誰も居ない。
ルリーナが近付いてきた時点で、ぎょっとした顔をして、こっそりと離れていた。
周囲からは同情するような、哀れみの視線が集まっている。
「あははー、冗談ですよー」
「そ、そうだよな。はは」
ルリーナが快活に笑い飛ばすと、男も追従するように引き攣った笑みを浮かべる。
「まぁ、試合の時を楽しみにしておいてくださいね」
瞬間、男は死を覚悟した。