シーン3
「あら、おかえりなさい。早かったわね」
「只今戻りましたー」
馬上槍試合も終わり、酒場宿へ戻ってくると、丁度ベアトリスが店の扉を開いているところだった。
他の傭兵達は街に繰り出し、お祭り騒ぎを楽しんでいくつもりのようだ。
「ベアトリスさんは馬上槍試合、見に行きました?」
「ええ、まぁ。良い席も取れなかったから殆ど買い食いしていただけだけれど」
ベアトリスは火打石で火を熾すと、幾つかの蝋燭にそれを移す。
獣脂が焼けるチリチリとした匂いが鼻をついた。
「お店、空けちゃっても良かったのです?」
「んー、偶には休んでもいいんじゃない?」
これ以上人が増えては手が足りない。とベアトリスは苦笑交じりに語った。
曰く、そもそも宿としては余り大店という訳でもなく、町人に食事を提供する方が主な店なのだ。
スリーピーとスケアリーの世話を頼むために下男を幾人か雇って居る事もあり、何とか回っているが、それでも限界の人数らしい。
「良かったら座りませんか? お酒の一杯でも飲みましょうよ」
「あら、いいの?」
「ええ。一人では味気ない事ですから~」
御言葉に甘えて。と、香草で香りづけした葡萄酒に蜂蜜を加え温めたものに古めのチーズを手にして、ベアトリスはルリーナと共に卓につく。
歯の溶けそうなほどに甘いそれは、どうやらベアトリス好みの味らしい。
ルリーナはふぅふぅとそれに息を吹きかけてから一口飲むと、胃の腑に落ちた熱さに涙目になった。
「一般のトーナメントは明日でしょ? 準備は大丈夫?」
「ええ、準備と言っても、武器は貸してくれるようですしー」
貴族らの武具は自前での調達だが、庶民や傭兵にはそこまでは求められていなかった。
鎧などの防具に関しては自弁でも構わないが、刃引きされた武器は貸出、という形を取っている。
もしかしたら、金銭的な問題ではなく、不正防止の為かも知れないが。
一応、防具も鉄鉢と胸甲、あるいは鎖帷子を最低限揃えるように言われているので、本当の農民や町人、庶民には敷居が高いのは確かだった。
鉄帽の手持ちはなかったが、適当に傭兵達の一人から借りることにしている。
今まさに酒場の角で干してあるのがそれだ。
「怪我とか心配だけれど」
「あら。これでも私、強いんですよ」
「本当かしら」
誰も信じないんだから、まったく。とむくれるルリーナを見て、ベアトリスは笑った。
更にへそを曲げたルリーナはチーズの塊をそのまま齧る。
「むー、明日になれば解りますよー」
「明日かぁ、傭兵さん達も皆見に行くんでしょう?」
「ええ、多分」
傭兵団員達が、何やら応援の練習をしていたかのように思えたが、全力で見ていない振りをした。
本番でアレをやられるのはかなり厳しい物がある。力が抜けそうだ。
そう。思わず手が滑って、観客席に剣が飛んで行ってもおかしくはあるまい。
「だったら、私も見に行こうかしら」
「本当ですー?」
「傭兵さん達も居ないなら、閉めていても良いでしょうし」
「なら、なおさら負ける訳にはいきませんね」
ふんす、と鼻息も荒くルリーナは両手を振り挙げた。
「楽しみにしておくわ」
「本気にしてませんねー」
冷めた葡萄酒に息を吹き込んでぶくぶくと言わせている様は拗ねた子供のそれで、ベアトリスは笑みを深めた。
「でも、長いのよね。トーナメント」
「そうなのです?」
「参加者が多いものだから、朝から始まって終わるのは夕方ごろ」
しかも、馬上槍試合程の華やかさもない、と言う。
ベアトリスはルールの詳細すらも知らないらしい。
朝から見に行く物好きは殆ど居ないし、居たとして終盤にはダレる。
準決勝から決勝、夕方からが寧ろ本番で、それまでは出店回り等の方が盛んらしい。
「まぁ、そうですよねぇ」
「準決勝まで残っていれば貴族様方の目にも付くとか聞くけれど」
諸侯の祝宴と並行して行われるそれは、賑やかしの側面もあるのだろう。
人材の発掘、と言うのであれば序盤戦を見る必要もないだろうし。
「新たな戦力を得る。と考えるのなら、集団戦の方が良いと思うのですけれどねー」
「そういえばそうね。何で一対一なのかしら」
昔からそうだから気にしたこともなかった。ベアトリスは顎に手を当ててふむ、と考える姿勢だ。
「なんとなく想像はつきますけれど」
「どんな?」
「例えば、そう、騎士としての資質を見る。とか」
騎士というのはこの国では準貴族。口の悪い者は半平民等という身分だ。
一応は貴族の全てが騎士として叙任されているが、通常、騎士と言えば騎士爵を指す。
一代限りの身分で、領地も精々兵力を保持できる程度。
あるいは諸侯や王の下に付いて、領地もなく、家臣という待遇。
領地を持たない宮廷貴族という物もあったが、それとの違いは戦をこそ本業とする事か。
「騎士こそ、純戦力と言って差し支えありませんからねー」
「何と言うか、夢が壊れそうね」
「あら? ベアトリスさんは騎士道物語とかお好きなのです?」
「そういうわけでも、ないの、だけれどね」
歯切れ悪く言った彼女は、苦い笑いを浮かべていた。
そういえば、黒騎士と何やら因縁が有る様な事を言っていたような……。
ルリーナがそこまで思い至った所で、やにわに外が騒々しくなった。
「あら、傭兵さん達帰ってきたのかしら?」
「みたいですねぇ」
カメのだみ声を筆頭に、彼の故郷の唄であると言う船漕ぎ歌が聞こえてくる。
歌と呼べるかどうか、微妙なものであるが。
そもそも、カメ自身が歌うたびに音程が変わり、今はどう考えても酔っぱらい達ががなり立てているために、ただの近所迷惑な喚き声である。
盛大な音を立てて扉が開かれる。
「うるさーい!」
「おっ! 隊長お帰りでしたか!」
「お帰りでしたか。じゃありません!」
ちょっとは周りの事を考えて……と、説教をするルリーナと、しゅんと肩を落としてそれを聞いている傭兵達を見て、ベアトリスは尚、苦笑を零した。