シーン2
「おい、あれって」
「ああ、リュング城伯じゃねえか」
「出場するなんて聞いてねぇぞ」
「おい、賭けは」
「賭けにもなんねぇよ……」
白銀に輝く、装飾の乏しい、実用一辺倒の鎧を着た騎士が闘技場の中心に歩み出る。
跨る葦毛の馬も着飾る事無く、正に戦場へ出るかのような出で立ちだ。
よく見れば、然程大柄な人物ではなく、寧ろ線が細い人物だということが窺える。
馬から降りた黒騎士が傍に仕え、二言三言交わす。どうも出場を引きとめているようだ。
馬上槍試合は、若い騎士達が行うのが常だった。
そこに主が出ようと言うのだから、引き止めるのが家臣の努め、というところだろう。
結局、諦めて自身の馬上槍を渡してしまう辺り、どうにもなっていないが。
「エセルフリーダ・オブ・リュング、参るぞ!」
存外若く、凛とした声だった。
ルリーナは多少の引っかかりを覚える。
それが何かを考え始める前に、騎士同士の衝突が始まった。
リュング城伯が一つ拍車をくれてやると、騎馬は猛然と走り出す。
その馬はどうやら騎士の使うそれのような逞しさよりも、優美さを感じさせる程のしなやかさを持っていた。
白銀の鎧を身に纏った堂々たる騎手に葦毛の馬は、細かな装飾などなくともそれだけで美しい。
一閃、馬上槍がひらめき、盾を穿つ。
同じ長さの槍である筈なのだがリュング城伯の方が数瞬早い。
どよめきが観衆に走る。相手が落馬する暇もあらば、槍が砕け散る方が早い。
勢いに押された若い騎士の穂先は有らぬ方を向く。
勝ちを誇るでもなく、リュング城伯は悠々と駒を進めた。
「まだだ! もう一度!」
リュング城伯は息も荒く振り返った騎士に鷹揚に頷くと、替えの槍を受け取る。
合図を待たずして駆けだした若い騎士に一歩出遅れて、それでもすぐに優位を取る。
巧みな槍捌きで差し出された穂先を擦り上げると、兜の隙に突き入れた。
一瞬、誰しもが息をのんだ。頭が飛ぶ。
騎士の体が馬上から滑り落ち、二、三と転がる。
がらん、と音を立てて重い兜が地に落ちた。
首は……首は胴体に繋がっている。
さしもの勇を誇る騎士も顔を青く染め、留め革が当たっていた顎の下の辺りに手を当てている。
それでも流石と言うべきか、即座に立ち上がると腰間の剣を引き抜いた。
――もうやめろ。
そんな声を上げようとした者が如何ほど居たか。
悠々と騎馬を降りたリュング城伯は盾を投げ捨てると片手半剣の鞘を払った。
馬上ではその長さと片手で扱える利便性が、徒歩に当たっては両手を用いての威力と細やかな扱いが可能なそれは、多くの騎士に愛用されている。
当然、トーナメント用に刃を潰したような物ではなく、純然たる真剣だ。
若い騎士は盾を構えてにじり寄る。泰然とした構えで待つリュング城伯は体の脇に剣を捧げ持ち、寄らば切る姿勢。
じりじりとした睨み合いに、先に耐えられなくなったのは若い騎士だ。
剣を高く掲げ、切りかかる。
それに合わせるかのように、リュング城伯は身を翻すと半歩引いて剣を打ちあわせる。
それでは止まらず、剣尖を無防備な騎士の顔に向けた。
堪らず腰を引いた若い騎士の脚を、刃の側を握ったリュング城伯の剣が襲う。
十字型になった鍔の片方で膝の裏を掬われ、倒れ込んだ騎士に更に留めとばかりに柄頭を打ち込む。
あわや鼻か目が潰される。眼前で止められたそれに盛大に肝を冷やされ、若い騎士は遂に負けを認めた。
闘技場は異様な沈黙に満たされていた。
「見事、見事だ。リュング城伯よ」
「はっ」
静まり返った闘技場に、王の声が響く。
それを切っ掛けに、観衆がわっとばかりに沸いた。
万雷の拍手、賞賛の声、栄光を浴びたリュング城伯は兜を脱ぐ。
遠い上に後ろ姿だったので顔までは見えなかったが、確かにエレインとの血縁だと示すような、長く金色の髪がこぼれた。
さながら獅子。まさにこの国の貴族に相応しい姿だ。
観衆の声に興味が無いように、背を向けたまま剣を鞘に納める。
「主が強ければ従士に腕は要らぬ、と言う所ですかねー」
ルリーナは独り言ちるとリュング城伯の後ろ姿に目を移す。どうにも目を離す事が出来ない。
リュング城伯は馬上槍試合の勝者に対する栄誉を辞退し、それを若い騎士に譲った。
褒賞は騎士に、ただ名誉の為に戦っただけだ。おそらくはそういう事だろう。
この辞退には賛否両論の声が処々から上がった。
褒賞を求めない姿に騎士の鑑だ、という声もあれば、流石は『冷血』等と言う声も聞こえる。
相手となった騎士も正直に栄誉を受ける事も出来ずに、馬上槍試合は冷や水を浴びせられた結果になった。
それでも諸侯や騎士、観衆が表立って声を出せないで居るのは、ひとえに王の言葉があるからだ。
武勇には名誉を、その判断が公正であるがゆえに誰も口を出せない。
粛々と騎士には褒賞が与えられ、リュング城伯はその武威と、金銭では揺るがぬ名誉ある貴族としての姿を諸侯に知らしめる結果になった。
「成程、あれが『冷血』リュング城伯……」
情に欠ける、と言うのは情が篤い、という以上に評価される事も少なくない。
あるいは武人に於いてはそれは顕著。必ずしも、『冷血』というのは貶す言葉ではない訳だ。
「ただ、当然のように諸侯には好かれないでしょうねぇ……」
『苦労人』ヨアン、黒騎士の苦労というのも窺えるというものである。
街の評判だけを聞いていても、リュング城伯よりも黒騎士の名の方が良く出ることも鑑みると、意外と良く出来た主従なのかもしれない。
同様にエレインの行いもよく聞かれた。まさに貴族、民の声をよく聞き、領地の運営の手腕に長ける。というものだ。
諸侯の末席に座すリュング城伯は、傍から見ていても、如何にもつまらなさそうに式典を眺めていた。
「うん。中々に良さげな主人です」
ルリーナは小さく口の端を歪めた。