シーン4
広い大地は、鉄の鈍い輝きと炎、そして死体に覆われていた。
燻る煙に空は覆われ、赤い太陽が大地を照らす。
何者も動くことは無いと思われたそこで、何かが蠢いた。
折り重なった死体を掻き分け、血の海の中から、ずるり、と這い出てきたのは一人の人間だった。
返り血とも、自らの血とも解らぬもので固まった髪を鈍い動きで払うと、その顔が露わになる。
硝煙と血、泥で汚れたその顔の中で、瞳だけが爛々と輝いていた。
それは獲物を求める飢えた獣の瞳だ。
手近にあった、破れた軍旗を支えに立ち上がると、左右を見回す。
そこには倒れ伏した同胞と、同じだけの敵の死体が折り重なるばかり。
獣は空を見上げると叫び声を上げた――
――何か古い夢を見た気がする。
ルリーナはゆっくりと目を開くと、寝台の上に体を起こした。
羊皮紙を張り付けた窓からは光が差し込んでいる。
久しぶりに随分と長く寝ていたようだ。
寝台に敷かれたシーツは、ルリーナの好むような真っ白で清潔な物である。
間着の上から服を羽織って、あくびを噛み殺しながら酒場へ降りると、ベアトリスが掃除の手を止めて温め直した食事を持ってくる。
「よく眠れた?」
「ええ、綺麗なシーツで……ふぁ」
蜂蜜を加えた麦粥を食べると、ルリーナは街へと繰り出す。
どうにも気が晴れなかった。その気分を映したように、空はどんよりとした雲が覆っている。
兵には昨日の内に自由行動を告げていたために、酒場で顔を合わせることもなかった。
沈んだ気持ちのまま、ふらふらと石畳を敷かれた路地を歩く。
随分と広い街である。歩いても歩いても端は見えなかった。
気付けば目的地である王城の麓……そう、麓という言い方が良く似合う。
高い石造りの城壁の前には水を張った堀、その向こうには盛り土の上に聳える城。
下ろされた跳ね橋の手前には街の中央広場が広がり、その中央には大きな噴水がある。
細かな装飾の施されたそれは、旧帝国時代の物だろうか。
噴水を囲むように露天商や公示人、大道芸人や吟遊詩人が所狭しと並び、その間を縫うように市民や、或いは傭兵然とした者らが通っていた。
「きゃっ!」
「あっ、ごめんなさい」
ぼんやりとしていたせいだろう。
腰の辺りに何かがぶつかった、と思った時には、女の子が倒れていた。
空色をしたリネン地のドレス、陶磁器のように白い小ぶりな顔。さらさらとした金糸のような髪に、涙の滲んだ瞳は澄んだ蒼玉の色だ。
「うう」
「大丈夫ですか、何処か痛いところありませんか?」
齢は十程だろうか。
かみしめられた唇の間から呻き声が漏れ出ている。
ルリーナは慌ててしゃがみこんで視線を合わせると、手を差し伸べる。
涙目の少女は何とか声を上げる事は堪えて、その手に促されて立ち上がると、ぐしぐし、と鼻を鳴らして目を擦る。
土埃に汚れた服を軽く払ってやる。
「よく我慢しましたねー」
「うう……」
痛み、というよりも驚き、の方が大きかったのだろう。
今、どうして泣いているのか、自分でもわからない。
ルリーナは少しだけ懐かしむように微笑む。
「あなたのお名前を教えていただけますか?」
「アイラ……」
「アイラさんですかー」
そうだ、とまだぐすぐすと鼻を鳴らす彼女の手を取って、懐から取り出した物を握らせる。
「これなに……?」
「ほら、光に透かして見てください」
手渡したのはアイラの瞳のように青い硝子細工だ。
細かい粒子と傷が複雑に光を反射して、きらきらと輝く。
「わぁ……お星さまみたい」
「そうでしょう?」
すっかりそれに見とれているアイラは、泣くことを忘れたらしい。
「よかったら少し、休みましょ」
「うん……」
ルリーナは噴水に布を浸すと、アイラの赤くやわらかな頬と、涙の乾いた長い睫毛の目元を拭った。
アイラは少しくすぐったそうな様子だが、為されるがままにして、少しはにかむと、小さな手のひらでころころと硝子のブローチを転がす。
「それ、気に入りました?」
「うん!」
「じゃあ、あげます」
「いいの?」
「ええ、秘密ですよ」
ルリーナは唇に指を当てて、片目を瞑って見せる。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
「お姉ちゃん……良い響きです」
眩いばかりの笑顔にふらっ、と崩れ落ちる。
アイラはそれに不思議そうな顔をした。
無邪気な視線が辛い。
「もう痛いところは有りませんか?」
「うん! どこもいたくないよ!」
「それは良かった」
この笑顔の為なら、硝子細工の一つや二つ安い物だろう。
はちみつをたっぷりと入れ、香草の効いた甘い葡萄酒を購って、肩を並べて噴水の縁に座る。
葡萄酒をちびちびと舐めて一息をついた頃、アイラはルリーナの腰間に提げられた剣に目を留める。
「お姉ちゃんは……騎士さん?」
「んー、まぁ似たようなものですかねー」
つくづく、剣を鞘に納めていて良かった。
血気盛んな者などは抜き身のまま鉄環に通して提げているものだが、もしそれが当たっていたら、と思うとぞっとしない。
同様に胸甲も付けていなくて良かったな、とルリーナはほっと溜息をつく。
「御婦人を泣かせるなんて、だめだめな騎士ですよねー」
「なぁにそれ」
くすくすとアイラは笑った。
御婦人、と言われた事が嬉しいらしい。
「アイラさんはどちらにお住まいなのです?」
「わたしはね……お城の、あっ!」
何かを思い出したように、アイラは手を打って立ち上がる。
あたふたと周りを見下ろして、勢いよく頭を下げた。
「わたし行かなきゃ!」
「どうしたんですか?」
「えっと……どうしてかは、言えないのだけど」
「私は付いて行かない方が良いです?」
「う……うん。ごめんなさい」
「いえいえー」
ルリーナはアイラの白くやわらかな小さな手を取ると接吻をする。
「また何処かで会えると良いですね、小さな御姫様」
「うん! また会おうね! 騎士のお姉ちゃん!」
困った顔をもう一度花咲くような笑顔に変えて、アイラは風のように駆けだす。
「気を付けてくださいねー!」
人ごみを縫ってあっという間に小さくなる背中に声を掛けると、もう一度アイラは大きく手を振った。
ルリーナはそれに応えて手を振ると、自身も立ち上がった。
「さって、私もいきますかー」
よっ、と勢いをつけて立ち上がると、何やらざわついている城門に向かって一歩踏み出した。




