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シーン3

 ゆっくりと体を拭って、装備の手入れを終えた頃には、食事にも良い時間になっていた。

 新しい服に着替えて酒場に戻ると、肉の焼ける実に良い匂いが漂っている。


「あっ、もう少しで食事できるから」

「ではでは、こちらで待たせて頂きますねー」


 傭兵達も三々五々と集まってくる。

 昼を食べてから随分と時間も経っているうえに、久しぶりの野外ではない場所で食べるまともな食事だ。

 いくらリョーが考えて食事を出しているとはいえ、行軍用に持ち歩く保存食のようなもので作られた料理は食傷気味だった。

 待ちきれないようにまだかまだかと厨房を見ている者も多い。

 全員が揃う頃には、大皿に乗せられた料理が運ばれてきた。

 いや、料理というには乱暴な一品かもしれない。


「ほう、これは……?」


 よっ、と勢いづけて卓に置かれたのは、鉄串に刺して炙られたぶつ切りの肉だった。

 きつね色に軽く焦げ目の付いたその表面には、ふつふつと脂が泡を吹いている。


「羊肉の鉄串焼き!」


 熱いうちに食べるように、というベアトリスの言葉に従って、串を持ってかぶりつく。

 塩が振られただけのそれからは熱々の脂が染み出して野趣あふれる味が口の中に広がった。

 羊肉特有の香りと、硬い歯応えが良いアクセントになる。

 口中の脂を洗い流すのは、透明な火酒だ。強く濃縮された酒精が喉を焼く。

 気付けば誰しもが夢中になって鉄串を手に持ち、無言のままにそれを貪り食っていた。

 そうしている間にも焼けた肉は次々と運ばれてくる。

 二串目に手を伸ばす頃には、ルリーナにもゆっくりと味わう余裕が生まれていた。


「さっき牛乳に浸けてたのはこのお肉ですか?」

「そうそう、肉も柔らかくなるし、臭いもとれるの。牛乳に限らず色々な物で作れるのだけれど、私はこれね」


 それに牛乳だけじゃないのだ、と得意気にベアトリスは胸を張る。


「この辺りではよく食べられているのですー?」

「元は東の方から伝わった料理なのよ」


 東国から渡った者が、郷土の料理を振る舞ったのが始めらしい。

 羊毛の生産で栄える街だけに羊肉が比較的入手しやすい事もあって、祝いの席ではよく食べられる物になったようだ。

 元々は香辛料をたっぷりと使った料理だったらしいが、そう簡単に手に入る物でもなく、それが無くても十分に美味だとの事で、滅多に使われないらしい。


「へぇ、後で作り方を伺っても?」

「ええ、もちろん」


 牛乳を使わない物ならば野外でも食べられるのではないだろうか。

 後でリョーに覚えてもらおう。そんな事を考えつつ、ルリーナは膨れた腹をさする。


「いやぁ、本当ありがたいこって」


 作業を終えた小太りの店主が、にこやかに笑みを浮かべ、前掛けで手を拭いつつ厨房から出てくる。


「しかし、良い時にこの街に来ましたねぇ。丁度、王が祝宴を開くのですよ」

「私達もそれを伺ってこちらに来たのですよー」

「どなたからです?」

「リュング城伯の所の騎士で、えーっと、ヤン……ユルング……いや、ヨシュア……」

「ヨアン殿ですぜ、隊長」

「そうそう、ヨアン! そんな名前だった気がします」


 若干呆れ気味のショーが訂正したそれは黒騎士の名前だった。


「ああ! 『苦労人』ヨアンの旦那ですかい」

「苦労人?」

「そういう二つ名なんですよ。リュングの所の姫さんと一緒だったんでしょう? いやぁ、懐かしいな」

 

 曰く、彼は豪快な性格のリュング城伯に振り回され、方々の調整をしたりなんだりと随分と走り回っているらしい。

 リュング氏が貴族位に叙任される前にはこの宿にも泊まった事があり、まだ信頼に足る部下の足りない手勢の中で、雑用から何から言いつけられていたのが記憶に新しい。

 酒場の主人はそこまで語ると、思い出したようにルリーナに向き直った。


「どうだい、ヨアンの旦那はしっかり騎士してたかい」

「そうですねー、なんというか、戦場が似合わない感じでしたねー」

「そうかいそうかい」


 相変わらずなのか、と彼は笑った。


「父さん! 無駄話してないでお皿洗って!」

「おう、悪い悪い」


 何故やら不機嫌なベアトリスに追い立てられて主人はまた厨房へ戻っていく。


「御免なさいね、父がうるさくて」

「いえいえ、ベアトリスさんもヨアン? さんの事ご存じなのです?」

「ええ、まぁ、ね」


 ベアトリスは懐かしさと苦さを混ぜたような複雑な表情を浮かべた。


「そんなことより、ルルはトーナメントに出るの?」

「今からでも間に合う物なのです?」


 明らかに下手な話題の転換だったが、ルリーナは敢えてこれに乗ることにした。

 黒騎士が何をしたのかは知らないが、ベアトリスには良い思い出でもないらしい。

 ルリーナの心の中では、また一つ彼の株が下がった。


「ええ。まだ外からの参加者を募っているわよ」

「外からの?」

「そう、トーナメントにも幾つかあってね」


 一つは団体で行う乱戦形式、もう一つは一対一の馬上槍試合。

 それとは別に外部から参加者を招いてのトーナメントが有る。

 仕官の道を探す者にとって、このトーナメントで良い成績を残す事が一番の近道だった。

 ルリーナが出ようとしているのは勿論、最後の物である。


「トーナメントが残っているのも驚きですけれどねぇ」

「あら? ルルは何処から来たの?」

「大陸の方ですよー」


 大陸の側ではトーナメントが廃れて久しい。

 それは財政的な負担もあれば、治安の問題も一因となっている。

 遍歴の騎士や、傭兵団が方々から集まるとなれば、その道中で良からぬ事を働く者が居るものだ。

 とはいえ、街中では私的なトーナメント――私闘、決闘の類に近い物――はやはり人気のある見世物だった。

 この街の住人もどうやらそれを楽しみにしているようだ。


「まぁ、出るだけなら良い記念よね」

「あら、私はこれでも力には自信が有るんですよー」


 細い腕で力こぶを作る仕草をするルリーナを見て、ベアトリスは思わず吹き出す。


「本当かしら?」

「ふふふ、私に賭けておけば損はさせませんよ」


 嘯いて見せたルリーナはさて、と席を立つ。


「あら、もう寝るの?」

「ええ、長々と居ては蝋燭も勿体ないですからねー」


 うん、とひとつ伸びをする。

 食べ過ぎて苦しくなった腹も落ち着いたところで、旅の疲れが瞼に重くのしかかっていた。

 堅い地面や、馬車の荷台で毛布にくるまって寝ていても、取れない疲れは有る物だ。

 数日振りの風の当たらない部屋と寝台、火酒の強い酒精も相まって、今夜はぐっすりと眠れそうだった。


「ではまた明日」


 一度疲れを意識してしまうともういけない。

 ルリーナは回らなくなった舌で暇を告げた。

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