シーン5
「主が直接に礼を述べたいとのことでな」
「あ、御婦人ですか?」
「ああ。来ていただけるかな?」
「はいー」
ふと思い出して、ルリーナは半外套を取り出す。
貴婦人に御目通りするならば、せめて、という所だった。
それを見て黒騎士は一瞬ぎょっとした顔をすると家紋を見て、姿勢を改めて跪いた。
「失礼しました、貴い生まれの方とは知らずに」
「いえいえ、今は一介の傭兵隊長ですからー」
黒騎士の礼を適当に受け流して、先導を促す。
少々納得のいかない顔をしつつも黒騎士は馬車に歩み寄る。
傭兵達や隊商の者と共に食事をとる訳にもいかないので、馬車で休息を取っているのだった。
実用性を損なわない程度に装飾されたそれは、鏡の代わりに使えそうなほどに良く磨かれていた。
「傭兵隊長をお連れしました」
「ありがとう、下がっていいですよ」
「はっ」
どうぞ、と馬車の扉を開けて彼はそこに侍った。
下がれ、と言われて本当に下がる様な人物ではないだろう。
「失礼します~」
「どうぞ、お上がりください」
馬車の中はその外装と同じく、実用性を強く感じさせた。
質素、と言ってもよい。
向かい合わせで座席が配置されているだけで、その内張りも簡素な布。
天井は黒く塗られた木がむき出しで、寧ろ後方にある積み荷のスペースがメインなのではないか、と思うくらいだ。
「お初にお目にかかります御婦人。私は神聖なる帝国の子、ベヒルンの領主、ベンゼルの子、ルリーナと申します」
「あらあら、これはご丁寧に。私は帝国を継承する正統なる獅子王国の子、リュングの領主、エセルフリーダ・リュング城伯の妹、エレインと申します」
「妹……ですか?」
「私の家は再興したばかりなので……」
「そういう事でしたか、これは失礼を」
聞き慣れない言葉につい尋ねてしまったが、エレインはにこやかに返した。
改めて近くで見ると、とても穏やかな物腰をした美しい乙女だった。
肌はひたすらに白く、頬は林檎のように赤みを帯びている。
緩やかに波打つ白銀の髪がその細い首を覆い、澄んだ湖面のように穏やかな瞳と、薄桃色の唇が優しげに微笑む。
光沢を持つ青いドレスが柔らかくそのほっそりとした身体を包んでいた。
「この度は危ないところをありがとうございました」
「いえ、当然の行いをしたまでです」
「貴女も、こちらで家を再興なさるおつもりですか?」
「いえ、私は仕える主を探す身です」
「仕える主を、ですか?」
「はい。希望を言えば……貴女のような方ですね」
「あら、御冗談がお上手ですのね」
くすくすと笑うエレインに、冗談ではないのだが、とルリーナは苦笑する。
「まさか傭兵隊長をなさっていると言うのが貴女のような方だとは思いませんでした」
「あら、頼りなく見えますか?」
「いえいえ、頼りになるのは先ほど見させて頂きました。貴女ならそう遠くないうちに仕える主も見つかるでしょう」
「そうだと良いのですけれど」
「今は一時的に停戦が結ばれていますが、ここはいつでも戦に溢れた地です」
そこで彼女は言葉を区切った。
少し複雑な表情になる。
「戦のお陰で我が家が再び取り立てられたのもまた事実。貴女にもまた、遠くないうちに機会が訪れると思います」
苦笑めいた、少し影のある笑顔を振り払い、彼女は話題を変えた。
「さて、ベンゼル殿、でしょうか?」
「いえ、私の事はルル、とお呼びください」
「じゃあ、ルルさん、堅苦しい話はここまでにしましょう」
手を合わせてエレインが小首を傾げる。
貴族以前に彼女が若い、一人の女性だと言う事を思い出させるような仕草だった。
「じゃあそうですね、エレイン様?」
「リーナで良いですよ」
「ではではリーナさん、果物でも食べます?」
「あら、それは素晴らしいですね。では葡萄酒を出しましょう」
彼女は革張りされた入れ物を引き寄せると、中から陶器の瓶と、銀の杯を取り出した。
おそらく、中々の代物だろう。
エレインはルビー色の液体を杯に満たしながら口を開いた。
「ベンゼル伯爵家の生まれ、なのですね」
「あら? ご存じでしたか?」
「いえ、紋章について学びまして……これでも、軍の中に居た事があるのですよ」
「意外ですー、でも何故、神聖帝国の紋を?」
「実は、殆ど覚えては居ないのですが、その……覚えやすくって」
恥ずかしそうに言うエレインに、ルリーナはつい笑ってしまった。
成程、覚えやすい。
獅子、鷲は多かろうと、熊はそれほど居なかった。
「私は不勉強で申し訳ないのですが、リュング城伯家について教えて頂いても良ろしいですか?」
「そうですね、先ほど言った通り、再興したばかりなのですけれど、その前は……」
リュング家は元を辿れば統一帝国の頃から続く血筋だった。
一時は侯爵まで昇り詰めた血筋であったが、帝国の崩壊に伴う混乱に巻き込まれ領土を失い、獅子王国の軍勢に加わる。
その時には辺境伯の称号を与えられたのだが、これは名目だけと言ってもおかしくはなかった。
立て続けに起きた戦争で再び領地を失い、転がり落ちるように衰退の途を辿った。
エレインの父は……と、言う所で話は終わった。
「失礼します、エレイン様、ルリーナ殿、御時間になります」
「あら、もうそんなに経っていたかしら?」
「早いですねー」
ルリーナは葡萄酒の礼を言って立ち上がる。
「興味深いお話ありがとうございました。では、私は戻りますね」
「つまらなくはなかったかしら?」
「そんなことは決して。また続きを伺いたいですー」
帽子を被る前にもう一度跪いて礼をする。
「それではエレイン様、失礼させていただきます」
「ルルさんもお気をつけて……私が言うのもおかしいですけれど」
「ふふっ、そうですね。必ず無事に送り届けて差し上げます」
そこでふと先ほどの盗賊たちの言葉を思い出した。
「そうだ、黒騎士さん」
「はい、なんでしょう」
「黒騎士……?」
御伽噺の悪役みたい。と、エレインも笑った。
「少々、お話があるのですけれど」
「畏まりました。ではエレイン様、失礼いたします」
「ええ、ヨアンもご苦労様」
「勿体なき御言葉」
手を振るエレインに一礼をして、馬車を出る。
「お話とは何でしょうか」
「取り敢えず、その畏まった口調をやめてください」
「しかし……」
「しかしもかかしもなく」
黒騎士は一つ咳払いをする。
「解ったよ、で、話って何だい?」
「なんか元よりフランクになってません?」
「そうかな?」
まぁ、良いや。とルリーナは先ほど盗賊から聞いたことを黒騎士に伝える。
「かくかくしかじかで」
「成程、襲撃が誰かに意図されたものだと」
「そういうことです」
まずいな、と彼は呟いて頭を掻く。
「何か思い当る事でも有るんですか?」
「まぁ、無くもない、と言う所かな。これはますますもって早く戻らねば」
「詮索はしませんが」
「有り難い」
半刻が過ぎ、傭兵達が出発の準備を始める。
休憩の後こそ気が散るものだが、今回はその上にこれから一昼夜の行軍になるのだ。
微妙に緩んだ空気が漂っていた。
「では、最初の休憩組は今のうちに仮眠でも取っておいてくださーい」
「うす」
「この時間に寝れっかなぁ」
等と言いつつも、早速荷に囲まれて寝転がっている者を横目に見つつ、自身も馬車に乗り込む。
スリーピーは別の者に曳かせ、一部の荷物は捕虜たちに運ばせる。重石変わりだ。
「さて、しゅっぱつしんこー!」
「あいよ」
隊商長が手綱を握ると、キャラバンの列はその旅を再開した。