シーン6
翌朝。
「ルリーナ卿に敬礼!」
従士隊長が、自身の心中を脇に置いて隊員に号令をかける。
職務に忠実たらんとする姿は実に見事だ。眉が若干顰められているのくらいは見逃してやろう。
「ルリーナ卿、殿下が軍馬を下賜されるとのことです」
「ははー、それは何とも畏れ多いー」
もはや、アイラに対して畏まるようなこともないのだけれど。近いのは共犯者というところか。
従士隊長はその気の抜けた返答に眉間の皺を深めるが、今は従士という立場であるゆえに表だって怒るわけにもいかない。
将来的には家督を継いでルリーナより上位になるのかもしれないが、今はまだ同位。それも王女の騎士だ。
「本当に立派な子ですねー」
「間違いなく、騎士馬だろうな」
従士隊長も騎兵だ。馬の事となれば、表情も柔らかくなろうものである。感心した様子で馬を見ている。
その馬は、良く引き締まった体躯を持った大柄な馬だった。栗毛の毛並みはよく手入れされてキラキラと陽光に輝いて見える。
鬣はよく実った麦穂を思わせる金色で、いわゆる尾花栗毛というものだ。きりりとした大きな黒い眼は光に溢れている。
ルリーナが鼻づらを撫でに近寄ると、傅くように首を垂れた。
「いい子ですねぇ」
実によく調教されているのだろう。落ち着いた、良い馬だ。
馬に合わせた仮の鞍がすでに背中に乗っていた。
「跨ってみても?」
「勿論、この馬は既に貴殿のものです」
引き渡しを終えたのち、従士隊の面々がそれぞれの持ち場に残る中、従士隊長は残っていた。
「どうしました?」
「いや、その、この馬が走っているところを見たくてな」
恥ずかしそうに頬を搔きながら彼が言う。その気持ちはわかる。ルリーナも早く走らせてみたくてうずうずしているのだ。
ついでなので手を借りて、鞍の上によじ登る。よじ登る、という表現が正しい。馬の背が高いのだ。
ルリーナの体重程度は苦にしない広い背中に登れば、一気に視界が広くなる。
「あら? この鞍……」
小さい。ルリーナからして小柄であるので、それよりも小さいとなると、子供を乗せていたのだろうか。
そういえば王女から、と言っていたが、もしかして本当に自身の馬を下賜されたのか。
手綱を軽く握って、姿勢を軽く正すと、それだけで歩き出す。あまりに滑らかに歩き出したため、ルリーナの方がバランスを後ろに崩すと、それだけで止まった。
「これは、乗り甲斐がありますね」
丁寧な調教が為されているのだろう、馬術の腕を試されているような気分になる。
基本を思い出すように、少しずつ慣らしていく。金色の拍車は、使う必要もないようだ。
多少は鈍くなっていないと、戦場で咄嗟に扱えるか不安なので、これはルリーナと馬とのすり合わせだ。
この指示の時はこれ、これは指示ではない。以前の持ち主との違いを教えていく。
「よし!」
ある程度の癖に当たりをつけて、手綱を引きながら片足を下げて合図を出す。
ぐっ、と馬は体躯を撓めて力を貯めると、打ち出された矢のように駆けだした。
速い。そして大きいだけに揺れる。今の鞍は戦闘用でもないので体はあまり固定されない。
何とか自らの姿勢を保ちながら、駆けさせ続ける。与えた指示すべてに応える馬に乗るのは実に楽しい。
「見事なものだな」
「馬が良いですから」
そうだ、今度こそ馬に名前をつけないと。アンバー号はどうだろう。
元の名前はあるだろうが、所有者が名前を改める、というのは多く行われていることだった。
「これなら、認めるしかあるまい」
そんなことを考えていると、何やら従士隊長が呟いている。
「何ですー?」
「いや、ルリーナ卿、また轡を並べられることを楽しみにしております」
敬礼してみせる従士隊長に答礼しつつ、ルリーナは首を傾げた。改めてどうしたものか。
それだけ言うと、彼は背を見せて持ち場へと去っていく。
「何だったのでしょうか」
まぁ、いいや、とアンバーの首元を軽く撫でる。
夢中になって乗っていたら、思っていた以上に時間が経っていたらしい。日は既に中天に差し掛かっていた。
「騎士らしくなったな」
そう言って、馬を進めてきたのはエセルフリーダ。いつもの葦毛だ。
戦用ではなく、乗馬用の鞍を乗せ、エセルフリーダ自身も平服なので、いつもより軽やかに見える。
「慣らすついでに街へ出ないか」
そう誘われれば、断る理由もない。ルリーナはエセルフリーダと轡を並べて馬を歩ませた。
門衛は二人の顔を確かめると、何を言うまでもなく槍を捧げる敬礼をして見せ、門が解放される。
改めて、この国の貴族の一員、末席も末席ではあるが、それになったのだな、という実感を得る。
「結局、厄介なことは山積みだ」
「そうですね、まさかこんなことになるとは」
王城を出て、目貫通りを並んで歩く。物珍しそうに平民が二人の姿を目で追い、時折、二人を知る者が名前を呼ぶのには手を上げて応えた。
エセルフリーダは勿論のこと、ルリーナも、闘技会で優勝して騎士へ上り詰めた、という話題は市井に広まっているようで、時折、万歳の声すら聞こえる。
以外、という訳でもないが町娘が時折、熱烈な視線を向けてくるのになぜか、と尋ねれば、赤い顔をして走り去っていった。
「どうしたのでしょう」
「吟遊詩人が好き勝手唄っているとか、な」
止める気も、止める方法もないだろう。町娘に渡された花の一輪を、エセルフリーダはルリーナの髪に差してみせた。
どこかで黄色い声が上がった気がする。悪い気もしないが少々恥ずかしい。
「ルリーナ」
「はい」
エセルフリーダは笑顔を見せた。いつもの疲れている様子ではなく、ニヒルさを感じさせるそれでもない。
「これからも、よろしく頼む」
「……はい」
ルリーナにはその言葉だけで十分だった。噛みしめるように、頷く。
これからも、まだまだ問題は山積みだろう。いや、むしろ、ここからがルリーナにとっての新たなスタートラインなのだ。
「騎士ルリーナ、最後まで御伴いたします」
「ああ」
エセルフリーダが乗馬に拍車をかけた。王都の広い中央通りに軽やかに蹄の音が響く。
ルリーナはそれを追いかけるように、自らも乗馬を駆けさせる。
燦々とした日差しの中、主従は笑みを交わして、まっすぐに、何処までも駆け抜けていくようだった。