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シーン1

 見渡す限りに、平原が広がっている。

 そよそよと青い草が揺れるそこは、馬で駆ければとても気持ちよさそうだった。

 雲一つない青空は、とても広く見える。

 それは天蓋のようにも見えて、空が落ちてくるのではないかという考えも、おかしくは無いと思えた。

 或いは、波一つない海で、その深淵に引き摺りこまれそうだ、とも。

 ルリーナは帽子のつばを押さえると呟いた。


「暑いです」

「夏だからね」


 そう、暑かった。

 真珠の港から深き森の街までの旅は、概ね順調に進んでいた。

 最初の一日、二日目の半ば辺りまでは点々と農村が有り、隊商は時折そこに寄っては細々と物を仕入れたり、あるいは卸したりしていた。


 大きな街に寄り添った農村の間隔がだんだん伸びて行き、遂には見られなくなるその様は、波の荒い浅海に魚が多く、凪いだ大洋にそれが居ない様に似ている。

 そう言ったのはカメだった。

 暇な宿営の時には、彼は仲間とよく話した。

 北方の民である彼は、昔はよく小さな帆船で大海原を駆けていた、と言う。

 船の上での取っ組み合いを語る時の彼の眼は何処か遠くを見つめ、過ぎ去った日を懐かしむようだった。

 誰もがその話に興味深く耳を傾け、しかし、何故今ここに居るのかを尋ねる者はいなかった。


「人に歴史あり、とはよく言うものです」


 あるいはそれは衰退の歴史なのかも知れなかった。


「しかし、さながら陸を行く交易船といった風情ですかね~」

「私らからしたら、船の方が海を行く隊商だがね」

「あ、そうですよね」


 ルリーナの横で馬車馬の手綱を握る商人が苦笑しながら応える。

 この暑さに荷馬のスリーピーが汗をかき始めたので、ルリーナは隊商長の馬車に乗せてもらっていた。

 歩く傭兵たちも、金属製の鉢を被っていた者は早々にそれを外し、農村で隊商が仕入れていた麦藁帽子を購う者も少なくなかった。

 かく言うルリーナも今は胸甲を外し、脇に置いている。

 日の光を吸い込んだそれは、表面で目玉焼きが作れそうなほど熱くなっていた。

 暑いのは日差しであって、大気ではない証拠に、時折吹く風は何とも涼やかだ。

 尚の事、馬でこの草原を駆けたい、と思う訳だった。


「もう少し行けば川が見えてくるから、そこまでの辛抱だよ」

「いや~、不甲斐ないですねぇ」

「いやいや、予定通りだから気にしないでいいよ。私らも辛いからねぇ」


 はは、と笑った商人にはしかし、辛そうな様子は見えなかった。

 日差しを浴び過ぎてそばかすにはなっていたりしないかな、等と考えながらルリーナはのんびりと遠くを見つめる。


「ん? 何か見えません?」

「おや、あれは……」


 遥か遠くから砂埃を上げて近づく影がある。

 遠目に見る限り、二頭立ての馬車だった。

 その周りを何頭かの騎馬が囲んでいる。


「総員、戦闘準備!」


 ルリーナの判断は早かった。

 隊商の列が音を立てながら止まり、俄かに慌ただしくなる。

 ルリーナ自身も靴ひもを確かめてから胸甲を付け直すと、グレイブを引っ掴んで御者台から飛び降りた。


「隊長! どうしたんですかい?」

「状況は解らないけれど、正面から馬車が走ってくるのですよ」

「はぁ」

「どうにも只ならない様子なのですよね~」


 砂埃が立つほどに速度を出して走ってくる馬車、それを守るように駆ける騎馬。

 その後ろに追っ手でもかかっているのではあるまいか。


「今、この辺りで戦は起きていないのですよね~?」

「あ、ああ、そんな話は聞かないねぇ」


 ここしばらく盗賊等も見ていない、と聞いている。

 杞憂であると良いのだが、と徐々に大きくなる影を見るが、どうやらそうもいかないようだ。


「諸君らは傭兵か!?」


 走ってくる馬車に付き従っていた騎兵の一人が、近寄ってくるなり開口一番にそう尋ねた。

 見れば馬も人も息切れせんばかりに疲労し、抜き身に持たれた剣には返り血がこびりついていた。

 黒塗りの鎧と、面当ての付いた兜を見るに、騎兵というよりは騎士、と言った方が正しいだろうか。


「はい、傭兵隊と隊商になります」

「そうか、おっと、これは済まない」


 男は面当てを跳ね上げる。

 まだ若い男だった。

 艶のある黒い髪、淡く上気した象牙色の肌、その手に持った長剣と身に纏う鎧をふと忘れてしまいそうな、戦場には似合わぬ優男だ。


「済まないがこの場だけ雇われてはくれまいか」

「一体どういう事です?」


 止まった馬車をふと見ると、鷲の家紋が目に映った。

 続いて見えたのは、その窓から不安げにこちらを見る貴婦人。

 白皙の肌に、銀糸のようなプラチナブロンドの髪、心細げに細められたアクアマリンの瞳にうすい桃色の唇。

 一目見て、ルリーナの心は決まっていた。


「私にも解らぬのだが、盗賊にでも目を付けられたか襲撃を受けてな」

「受けます」

「え?」

「やりますやります。相手は何人くらいの規模ですか?」


 ルリーナの変わり身の早さに黒騎士は面食らった様子だったが、すぐに顔を引き締めた。


「大凡、十五から二十。騎兵は始末したが、如何せん馬車を守っていたのではな」


 見やれば馬車を守る騎士達は五名しかいない。

 鎧を着ているのは黒騎士一人で、残りの者は鎖帷子にサーコート、といった装備だった。

 面当てで表情は見えないが、それぞれ手に持つ槍にはべったりと血の跡が残り、槍を持ってない一人はおそらくそれが折れたのだろう。

 軍馬の着るキルトや、サーコートの端々に残る傷にも奮戦の様子が窺えた。


「装備の程は?」

「軽装歩兵程度だな。弓を持つ者は居ないようだった」

「じゃあ楽勝ですね」


 そう言っている間に、駆け寄ってくる集団が見えた。

 どたばたと走る様子に統率の程が知れようというものだ。


「チョーさん」

「あいよ」


 まだ遠い。弩兵を前に出す。


「よっしゃ! やっと出番だぜ」

「この距離で当たるか?」

「当たるんじゃねぇ、当てるんだ」


 意気揚々と弩兵が並ぶ。その後ろには盾を構えた歩兵たちが控えていた。


「あれで合ってます?」

「ああ、間違いない」


 ルリーナは黒騎士に尋ねる。

 間違えて味方でも撃ったら事である。

 混乱した戦場では良く有る事ではあったが。


「撃ち方はじめ」

「了解、弩兵隊構え!」


 何斉射できるかな、と考えつつルリーナはチョーに弩兵の指揮を任せ、歩兵隊の後ろ、スリーピーに跨った。

 歩き詰めとはいえ多少は休憩出来たのだろう。スリーピーも嫌がる素振りもなくルリーナを乗せた。

 道草を食む彼の緊張感のない姿に苦笑しながら、高くなった視点で敵を見やる。


「撃て!」


 クロスボウの一斉射目が放たれた。

 まだ遠い故に、途中で力なくボルトが落ちたが、脅しにはなろう。

 事実、上から降ってきたそれに、目に見えて盗賊の行き足が落ちた。


「このまま私達が奴らを引きとめて、貴方達は先に行っても良いのですけれど~?」

「いや、我々の行先は深き森の街なんだ」

「ああ、そういう」


 いくら馬車に合わせたとて、徒歩の兵ならこのまま撒けるのではないかという疑問はその一言で解消した。


「すまんな、報酬は後で出すから」

「いえいえ、後でご婦人のお名前でも伺えれば」


 黒騎士はどうにも威厳のある喋り方が取ってつけたようだった。

 それに苦笑しながら、ルリーナは軽く請け負う。

 この程度なら良い演習だ。


「当たったか?」

「いや、当たってもこの距離じゃな」

「次は当てるぜー」


 弩兵達もノリノリである。

 その後ろの歩兵たちはどうかと言えば……


「次で当たる方に俺は賭けるわ」

「いや、この前は全然駄目だった奴らだぜ」

「あの時は一発も撃ってなかったもんな」

「今回はチョーの旦那も居るし」

「てめーらうるせーぞ! 今度は後ろから撃ってやろうか!」


 当たるか外れるか賭けをしている有様だった。

 ついでに弩兵が揶揄されて怒っている。


「こらこらこら、身内で喧嘩しなーい!」

「はい、隊長!」


 黒騎士が苦笑している。

 馬車の貴婦人も少し安心した様子でひとつ息をついた。


「第二射用意!」

「あ、黒騎士さん。御婦人には顔を出さないように伝えてください」

「黒騎士……? ああ、解った」


 黒騎士か、童話の悪役みたいだな。とぼやいて黒騎士は貴婦人に声をかけた。

 随分と親しげである。

 それをほんのちょっと妬ましげに見たあと、目をこちらに向けた貴婦人に微笑んでみせる。

 貴婦人はくすり、と笑うと窓に布をかけた。


「配慮が欠けていたな」

「気の回らない男は嫌われますよ」


 寧ろ嫌われてしまえ、と言わんばかりの棘の有る言葉に黒騎士が動揺する。

 今度は堪えきれずに護衛騎士の一人が肩を震わせた。

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