第一章 まれびと(三)
「なんたる不覚かッ! 城内に刺客を招きいれるだけでも許しがたくあるに、よりにもよって奥殿まで入り込まれるとは! 警護の兵どもは何をしていたッ!?」
刺客侵入の第一報を聞くや、北条綱成の口から火竜の咆哮にも似た叱声がほとばしった。報告に来た兵士はたまらず平伏し、震え声で事態を説明する。
それによれば、賊徒は医師に扮して門を越えたのだという。より正確にいえば、医師の付き人として。
現在、北条家の長老である北条幻庵は病の床に伏せっている。医師は幻庵の治療のためにやってきた、と門番に説明したらしい。
これは事実であった。この医師は小田原城下でも高名な人物で、近年、たびたび体調を崩している幻庵のために何度も城を訪れている。医師と助手、それに治療具などが入った長持を担いだ人夫たちが登城する姿はめずらしいものではなく、門番たちもいちおう中身をあらためたが、それはとおりいっぺんのものであったらしい。
その後、助手のひとりが忘れ物をしたという名目で城下に戻り、新しい長持ちと新しい人夫を引き連れて再び城門をくぐったことを告げた兵士は、次のようにつけくわえた。
「おそらく、この人夫どもが賊徒であり、長持に武器を隠して持ち込んだのではないか、というのが本間近江守様の推測でございます」
兵士が銅門(あかがねもん 二の丸表門)を守備していた主の名を口にすると、綱成はさらに声を高めた。
「推測も何もそれ以外に考えようがあるまいが! それで、銅門を守っていた近江は、今いったい何をしている!? みすみす賊徒を通した挙句、役にも立たない推論をこねくりまわしている暇があるなら、ただちに手勢を率いて賊徒を殲滅せよと伝えよッ!!」
「は、はは! ただちにッ!」
綱成の怒声に吹き飛ばされるように、本間配下の兵は急ぎ足で立ち去っていく。
それを見送る間も惜しんで綱成は駆け出した。手勢を集めている暇などない。今は一刻も早く氏康と幻庵の無事を確認しなくては。
「義姉様のお傍には弁千代(綱成の弟)がいる。あの子はわたしよりもよっぽど賢いから、みすみす義姉様を賊徒の手に委ねたりはしないでしょう。私はまず刀自(幻庵)のご無事を確かめなくては」
疾風のごとく駆ける綱成の前方から侍女のものとおもわれる悲鳴が聞こえてくる。
どうやらこの賊は手当たり次第に城中の者たちを斬ってまわっているようだ。武器を持つ者も、持たざる者も、等しく討つべき相手とみなしているのだろう。
「……ならば、こちらも容赦はいらないということね」
綱成の双眸に滾るような炎が躍った。
◆◆
俺の眼前で小太刀を構えた少年が、一瞬だけ迷うように視線をさまよわせた。
はじめの曲者(俺)を相手にしている間に、後から現れた男たちが主人に襲いかかることを懸念したのだろうと思われる。
その主人はといえば、曲者たちを前に取り乱す気振りすら見せず、冷静にこちらの動きを見定めようとしている。
他方、殺到してくる男たちの顔には、俺の目にもそれとわかるくらいはっきりと殺意が満ちていた。先ほど彼らが口にしていた「うじやす」というのが美少女と美少年、どちらのことを指しているのかは分からないが、まあ状況から察するに美少女の方だろう。
そう認識した瞬間、俺の中の戸惑いは瞬きのうちに消え去った。
何が何やらわからない状況で、誰ひとりとして状況を説明してくれない。それはつまり、俺が好き勝手したところで誰にも咎められる筋合いはない、ということだ。
――我ながらツッコミどころ満載の理屈だが、曲者は曲者らしく振舞うとしよう。
それに若干利己的な狙いもある。この建物の関係者らしき二人を助けておけば、後々話し合う余地がうまれるかもしれない。
俺はくるりと身体を百八十度回転させると、迫ってくる男たちに向き直った。いきなり後ろから刺される危険もあったが、幸い、少年はいきなり背を見せた俺の動きに戸惑うだけで、即座に突きかかってきたりはしなかった。
俺はあらためて男たちを観察する。数は三人。持っているのはいずれも刀。
三人とも筋骨逞しいが、身体の大きさはさほどでもない。当然、手足の長さも俺が優る。持っている得物の長さはいわずもがな。
「ぬんッ!」
俺は牽制をかねて、持っていた薙刀を薙ぐように水平に振るった。
ブン、と重い刃風の音が響き、男たちの足が止まる。俺の敵対の意思を感じ取ったのはもちろん、今の一振りで彼我の間合いの差を実感したからだろう。
古来、長物には七分の利という。基本的に、戦いにおいては得物が長い方が有利なのだ。
――ま、それには「互いの力量が互角ならば」という条件がつくのだが、そのあたりはあまり考えないようにしよう。いま冷静になると、間違いなく足が竦んでしまう。
ここはノリと勢いで突っ切るべし。
「おのれ貴様、邪魔だてするか!」
「北条の犬めが。死にたくなくば、そこをどけいッ! 我らが所望するは氏康の首だけよッ!!」
居丈高に吠えたてる男たちに対し、俺はことさら余裕ぶって口許に冷笑を閃かせる。
「どけと言われてどくやつがいるか、あほう」
「なんだとッ!?」
「源平の昔から、美人や美少年が追われていれば、これを助けるのが日本男児の心意気! ついでにいえば――」
言いながら、すっと腰を落とす。こいつら、婆ちゃんに比べれば隙だらけだ。コブやらアザやらを山のようにこしらえた荒稽古がこんなところで役に立とうとは。
「女子供を多数で襲うような輩は、三下だと相場が決まっているんだよッ!」
先手必勝とばかりに、踏み込みから足払いを仕掛ける。これは絵に描いたように見事に決まった。刃引きしてあるとはいえ、手加減ぬき(している余裕なんてない)にすねを痛打されたヒゲ面の男が、派手な悲鳴をあげて倒れこむ。
途端、視界の端で刃が閃くのを見た俺は、咄嗟にそちらの方向に柄を立てた。
間一髪というべきだろう。
俺が柄を立てるや、強い衝撃が両手を襲った。別の方向にいた赤ら顔の男が斬りかかって来ていたのだ。
これでもう一人の釣り目の男を少年が相手どってくれれば戦況を五分に持っていけるのだが、案の定というべきか少年は動いていない。あちらにしてみれば、曲者と曲者が同士討ちしているようなものだ。どちらかにくみする気になれないのは当然といえば当然だろう
「早く逃げろッ!」
それだけを口にして、俺は意識を眼前の相手に戻す。赤ら顔の膂力はかなりのものだったが、こちらとて伊達にでかい身体をしているわけではない。幼少時より腕相撲では負け知らずの腕力、見せてくれよう。
体格差を利して力勝負を仕掛けると、たちまちあいてのこめかみが震え始める。双方の顔が歪み、眉間に深いしわができた。
最後の一人、釣り目は仲間を助けるか、それとも「うじやす」を襲うかで迷っている風だったが、すぐに心を決したようで、押されている仲間を助けるべく俺に向き直る。
それを見た少年が素早く動いた。
「氏康様、こちらへ!」
ここが好機と見て主を急かす少年。
少女の返答が聞こえないところからすると、もしかしたら迷っているのだろうか。少女の視線を感じた気がした俺は、もう一度声を張り上げた。
「早く逃げろ。出ないと俺も逃げられない!」
それはまぎれもなく俺の本心だった。荒稽古とはいったが、それは俺と婆ちゃんの一対一であり、一対多の試合なんぞしたことないのである。
そんな俺の焦慮が通じたわけでもあるまいが、返答は速やかだった。
「わかりました。どうかご無事で」
可憐な容姿に相応しい可憐な声が俺の耳朶を震わせる。その声を聞いただけで確信できた。自分の選択に間違いはなかった、と。
その確信が余裕を生んだ。美少女にいいところを見せられたので調子に乗った、と言いかえても可。
俺は押し込んでいた力を不意に緩めた。
押し負けまいと踏ん張っていた赤ら顔の男が、急に支えを失ってわずかに体勢を崩す。瞬間、柄を回転させた俺は、薙刀の石突(刃と反対の先端部)で相手の側頭部をしたたかに打ち据えた。
「ガァ!?」
腕に伝わる確かな手ごたえ。前のめりに倒れる赤ら顔の身体を、最後のひとり、釣り目の男めがけて蹴り倒す。こちらに迫っていた釣り目は、赤ら顔の身体を避けきれず、そのまま絡み合うようにして地面に倒れこんだ。
その時、俺の背後から怒声が響く。
「この、小僧がァッ!!」
最初にすねを打たれたヒゲ面が、怒りと痛みに表情を二分させて掴みかかってきた。おそらく痛みのせいで刀を振るうことができず、押し倒して組み打ちに持ち込むつもりだったのだろう。
間一髪だった。
咄嗟に地面に身を投げた俺は、かろうじてヒゲ面の手をかいくぐることができた。相手が冷静さを保ち、無言で掴みかかってきていれば避けきれなかったかもしれない。
立ち上がった俺はあらためて周囲を見回してみる。
中庭には、すねの痛みにもだえるヒゲ面、こめかみを打たれて悶絶している赤ら顔、その赤ら顔の身体をどけるのに四苦八苦している釣り目、と三人の男が倒れている。
我が事ながら、花丸をつけるに値する立ち回りだ。もう一回やれと言われても絶対にできない。
見れば、件の二人はとうに姿を消している。足止め役としては十分に役目を果たしたといえるだろう。
これ以上、この場に留まる必要はなし。そう見極めた俺が身を翻そうとした時だった。
「いたぞ、こっちだッ!」
現れたのは、先の少年と似た装いをした二人の男たちだった。少年と同じく、おそらくはあの少女の配下なのだろう。
あの二人が呼んだ増援――と思いたいところだが、こちらを見据える怒りと警戒の眼差しは、どう見ても友好的なものとは思えない。おまけに、その声と姿には覚えがあった。
間違いなく、つい先ほどまで俺を追い回していた二人組みである。
なんとなくこの先の展開が読めてしまう自分を嘆きながら、俺はとりあえず言うだけ言ってみることにした。
「話を――」
「問答無用ッ!!」
ですよねー、と嘆息する。
逃げようにも見通しのきく中庭では逃げ切れない。再び建物の廊下を運任せで走りまわるのはリスクが高すぎる。さっき逃げ切れた――他の誰とも出会わなかった――のは
八割がた幸運の為せるわざだ。もう一度同じ展開を期待するのは甘すぎるだろう。
となれば、多少相手を痛めつける結果になったとしても、倒れている男たちと俺が無関係であることを納得してもらうしかない。
明らかに先の三人より手強そうな二人を見るに、痛めつけられるのはまず間違いなく俺の方だが――などと思った時だった。
庭に降り立った二人組みが、まったく何の躊躇もなく倒れていた男たちに刀を振り下ろした。避けられるはずもなく、男たちは無念の叫びをあげて息絶えていく。
首筋から溢れ出た血が庭に赤黒い水たまりをつくりだす。肉を抉る刀、耳を震わす絶鳴。力なく地面に横たわる屍に向けて、憎々しげに唾を吐き捨てる男たちの姿を見て、俺は全身が粟立つのを覚えた。
ノリと勢いが途絶えたのは、たぶんこの瞬間。
我に返った俺を支配したのは、震えるほどの恐怖と後悔である。
俺は何をしていたのか。
俺は何をしたかったのか。
俺は何に巻き込まれたのか。
鼻をつく錆びた鉄の臭いは溢れ出た血の臭い。そして、血まみれの刀を携え、こちらに向き直る男たちからは明確な『死』の臭いが漂っている。
俺は我知らず叫び声をあげていた。