実体
双子の片割れ、日野明が亡くなってからずっと、修は(しゅう)は床に臥せっている。真昼はこの日、修の家を訪れた。
奥座敷へ通されると、彼は布団の上に背筋を伸ばして座っていた。先生、と落ち着いた声で真昼を呼ぶ。胸のポケットに金色で縁取られたエンブレムのある、紺色のブレザーを着ていた。一人では自由が利かなくなり始めた、と言っていたので、母親に手伝ってもらったのだろう。ブレザーの襟とネクタイが、少し曲がっていた。
彼は運動ができない分、話すことが好きな少年で、身振り手振りを加えながら胡蝶の話をした。荘子の真の姿は胡蝶で、夢の中で人間として生きていた、と自説を漏らす。時折、彼の呼吸が乱れた。学校に通っていた頃よりも肌が白く透き通っていくような気もした。こんな僕も、誰かの夢であればいいのに。彼は冗談めかして言う。真昼は、本気で言っていると見抜いた。ほぼ毎日電話をしているのだ、本気かどうかは、声だけで判断がつく。
駄目だよ、修。自分を本物じゃないと思うのは。
「どうしてですか。分かってください」
修は恨めしげな目で彼女を見つめた。真昼は首を振った。修は消えることを望んでいる。誰かの夢であればいいのに、と言うのはその結論に至るための経緯。経緯を認めてしまえば、結論さえも了解することに繋がる。強い否定の言葉を発した。
「駄目だ」
修は左胸を抑え、ぽつりと言った。あまりにも透明で、それ故に冷たかった。
「僕も苦しいのです、先生」
けれど、病気なんて、これっぽっちも苦しくないのですよ、先生。僕の苦しさに、病気など関係ないのです。修は陰性の笑みを浮かべた。
「先生、僕が消えれば全てが丸く収まるのです。僕は、僕自身が罰なのです。いること自体が罪なのです。僕も彼と共に消えたい。いえ、僕が、消えたいのです。先生、僕を許してください。僕を消してください」
一ヶ月前。明は、片割れの薬が切れたというので、薬局に行った。その帰り道で事故に遭った。修が現在形で話すのは、過去の出来事ではないと感じているからかもしれない。明は修の中で、死に切れていないのだ。明の代わりに自分が消えれば良いのにと、と修は一人きりの広い部屋で鬱々と考えていたのだろう。
「そうか、」
真昼は優しく言った。ブレザーの襟とネクタイを直してやる。サイズの大きい制服だな、と思って見れば、校章の上にA・Hのイニシャルが刺繍されていた。
「死んでしまいました」
修の口から零れ落ちた言葉はかすれていた。一筋の涙が頬の上を滑る。二まわり大きな明の制服が、修の体をより小さく見せた。真昼は修の頭を撫でた。修の真っ直ぐだった背が丸まった。くぐもった声が真昼の鼓膜を揺らした。
「先生、」
言葉にならないのか、修は真昼を呼んだきり、唇を振るわせるだけで何も言わない。
真昼は修の肩を抱いて、彼の背中をさすった。