夏の月
「丸くて大きな満月だ」
彼はそう言って僕のコップに安物の日本酒を注いだ。
「本当だな。綺麗だ」
僕は彼の持っていた酒瓶をとって、彼のコップに注ぎ返した。
蒸し暑い夏の夜の空は澄んでいて、星と月明かりだけがアパートのベランダを照らしていた。
僕が彼と出会ったのは大学生の頃だった。田舎から出てきた僕にとって大学という所は恐ろしい所であった。何故かというと、僕は人と話すのが大の苦手でだったからである。
案の定、入学式から二年経っても一人で過ごしていた。周りの学生にはもうグループができていて、僕は一人になってしまったのだった。
そんな日常を送っていたある日、僕はレポートが書けず、教授に聞きにいかなければならなくなった。これは話すのが苦手な僕にとっては一大事で、教授の部屋の前でただうろうろしているだけであった。
彼が僕に話しかけてきたのはそのときである。
「君もレポートが難しくてできないのか。よかったら、俺と手組まない」
彼はそう言って苦笑いを浮かべていた。僕はかなり動揺した。何せ人に話しかけられるなんて体験は久しくしていなかったからだ。僕は慌てて答えた。
「は、はい。よろしくお願いします」
こうして僕と彼は友達になった。
僕が酒を注ぎ終わると彼は突然こんなことを言い出した。
「月ってさあ。毎日形変わるんだよな。人生みたいだ」
彼が真顔でそんなことを言ったので僕は笑った。
「何言ってるのさ。満月なんて毎月見られるだろ」
「そうだな。悪い。訳わからないこと言って」
そういった彼の顔は少し、悲しそうだった。
あの満月の夜の二日後。彼は大学から居なくなった。
卒業してサラリーマンになった今でも理由は分からない。ただ今でも僕はあの頃と同じ日本酒を飲むとき、彼が右手のコップを僕に突き出している幻を見る。しかし、あの時と同じ丸くて大きな満月を見ることは出来ない。